健常者の私が首都高運転中に発作で死にかけた話
先日、友人とふと思い立ち、車を借りて深夜ドライブをすることになった。
その運転中、健康障害事故を起こしそうになったのでその内容を書き留めておく。
1. 突然のドライブ
土曜日にたまたま製作で一緒に残っていたももちゃんと私は、ゼミ室の使用時間が過ぎてから、非日常を求めて深夜ドライブを決行することにした。
その場の思いつきだから私はなぜかとても薄着だったし、自転車は学校に置きっ放しである。
ももちゃんは充電コードを学校に忘れた。
行き先は富士山か水戸。
近場で温泉入ってこれたらいいね、ということで、茨城県行きのドライブが始まった。
2. お車
借りたのは例の軽自動車。
企業の使わない時間に安く借りられるカーシェアで、以前に利用したものと同じである。
小回りがきいて最高。
前回は長いこと苦戦したサイドブレーキも、サラッとできる。
運転はわたしがかってでた。
深夜の高速が怖いというももちゃんは助手席に乗った。
3. ドライブの全容
西東京の一般道から順調に高速に乗った。
深夜であれ軽自動車の小回りは変わらず最高だ。
交通ルールとカーナビに苦戦しながら、私たちは順調に目的地に向かっていた。
新宿が見えてきた頃、異変はその姿を表した。
目の前のトラックの赤いライトが大きくひろがって見えた。
直前までパソコンを見ていたから、疲れ目だろうと思い目を凝らしてやり過ごした。
次におとずれたのは、慢性的な倦怠感だった。
この時点で血液採取のあの光景と我慢の行き先が脳裏をよぎった。
【別記事】採血で「気分が悪く」なった話
https://note.mu/yamiko03/n/n4b901c4dc910
あの状態で運転、しかも首都圏の高速道路など以ての外、
あれになったら死ぬ。
消えゆく感覚を取り戻すべく、ハンドルとアクセルを固定し背筋を伸ばしたり縮めたりして姿勢を変え続けた。
そんな苦労も虚しく症状は悪化していく。
しばらくすると、足の感覚がほとんどないこととと、脳で考えられなくなることのダブルコンボで焦りが出てきた。
パニックに近かったかもしれない。
80km/h以上必要な高速道路のど真ん中で制御が効かないことを考えると身が竦んだ。
とりあえず深呼吸をする。
流石に人様に迷惑をかけられない。
しばらくすると渋滞気味な前方の様子が確認できた。
合法的にスピードを落とせる。
「ゆっくりいこう。ね。」
ももちゃんの慰めは1人じゃない安心感と責任感を私に芽生えさせた。
少しの安堵と加速する心拍数、息苦しさと感覚のない消えゆく魂で発狂したくてもできない状況に脈拍が加速していく。
このとき進んでいたのは首都高の地下に潜るようなトンネルゾーン。
1つしかないレーンを、前の車を同じ速度で追いかける集中力は何を振り絞っても、うみだすことができない。
それは、ハンペンを絞って牛乳を出せと言われているような、
兎に角お門違いなのである。
絶望を感じた。
同時に、高速道路の工事レーンでの緊急事態は、物理的にどうあがいても休むことが出来ず、死ぬしかないことに驚いた。
首都高は、健康すぎるドライバーのための交通ルールが適用されていた。
東池袋出口で上がっていく時、少しずつ平静を取り戻していった。
その後、この一連の発作が「低血糖症」「貧血」だと思い込んだ私たちは、池袋のコンビニで腹を満たし、常備している鉄分キャンディを貪った。
しかし、原因はどちらでもない可能性が高いようである。
【外部リンク】首都高でやみこを襲った血管迷走神経反射とは?
http://www.myclinic.ne.jp/ueno_nougeka/pc/free5.html
終わりに
結局、幸い大事には至らず無事帰宅することができた。
発作の後は全てももちゃんが運転してくれた。
最初はオドオドだった半年ぶり運転のガチペーパードライバーももちゃんも、3時間を超える運転で自信をつけたようだった。
しかし、これまで運転が・マリカが大好きだった私は、なぜかもう運転できない気がする。
それは多分、発作が起きることを予測できてしまうから、
予測できてしまうことで勝手にパニックになれる。
健常者であることが当たり前の世の中に置いていかれる気がした。
合わせて読みたい
【外部リンク】100人に1人がかかる!パニック障害について
https://www.cocoro-h.jp/panic/about_panic/index.html
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