生きること、善意の刃について
こんにちは!
しがない美大生やみこです!
今回は存在することについてお話ししていきます。
1. 生きること
生きることは多くの場合ひとりの主観を指していると思います。
呼吸をしたり、栄養を蓄えたり、
しかし生きることは同時にその生活の中で誰かに接することを含みます。
他人はもしかしたらコンビニの店員さんかもしれないし、友だちであったりします。
2. 友だちを不快にさせる行為
友だちを不快にさせる行為と聞いてなにを思い浮かべますか。
例えば悪口を言うとか、顔に絵の具を塗るとか、
でも、普通に話しているだけなのに人を傷つけることがあります。
例えば、ビジネスの話をしたとき、
自分の話し方、
意見、
他人を不快にさせるだけでなく傷つける方法はたくさんあるみたいです。
他にも多分あるのだと思います。
3. 善意の刃
ここでは悪意のない凶器を善意の刃と定義します。
もしかしたら善意の刃でわたしは今まで多くの人に傷を負わせてきたのかもしれません。
電車でご婦人に席をお譲りしたらそんなに老けてないわよ、と怒られるみたいに、
善意の刃で傷つけられた人はその手に持つものが刃だと教える時もあれば教えない時もあると思います。
自分が持つ、自分が発するこのセンテンスに刃がついていることを知らずに私はずっと振り回してきたのでしょうか。
普段は埋もれている猫の爪のような鋭い凶器を、何気ない言葉選びで召喚していたのでしょうか。
4. 人を傷つけてはいけないの
他人を傷つけないことには気をつけていたはずなのに、自分の知らないところでテロをしていたと思うとなにをしていいのかわからなくなります。
他人を傷つけたらいけない、
他人には幸せに生きる権利があるからです。
その権利を侵害することは憲法に違反するのではないでしょうか。
逮捕されるのではないでしょうか。
5. どう生きよう
他人の幸せに生きる権利を侵害しないように、どう生きればいいのでしょうか。
人と関わらないと言う手段がありますしそれは不可能ではありません。
しかし人と関わらないと人と関わりたくなると聞いたこともありますし、そうなったこともあります。
それは生きている意味を問うからだと思います。
社会になんの影響も与えない自分の存在価値を考えるからだと思います。
しかし、外に出れば人の幸せに生きる権利を侵害する可能性があります。
そうしたら捕まってしまう。
なんで捕まらないのでしょうか。
人の幸せを侵害する人、
人の幸せを決めつけていると言う面もあるかもしれません。
勝手に幸せを決めつけることもいいことではないように思います。
人それぞれの幸せの形に主観を押し付けるような、
人にある権利を考えれば考えるほど身勝手に生きることが醜く思えます。
6. 終わりに
生きることは多くの矛盾をかかえています。
生きるためにその矛盾に蓋をするような、
それは本当に正しいことなのでしょうか。
なぜ生き、人を傷つけるのか、
なぜそれがそうとわからないことがあるのか、
傷つけられてもそれが刃物だと教えないことがあるのか、ということです。
また、なぜその刃物を人が持ち続けるのか。
考えに蓋をすれば生きていけると思います。