古着、お下がり、の違いは自分次第
古着ってよく考えれば、誰かからの「お下がり」。
私はどうも、「お下がり」というものが嫌だった。
少し前にラジオで、人気のインスタグラマーが若者に「古着を着るか?」質問しているという話題を聞いて、ふと思いついたことを書く。
私は、きょうだい3人の真ん中っ子、上に姉がいるため、子供の頃の服はほぼ100%姉からのお下がり。
小学生の頃、ブランド物のトレーナーを着ている子を見るたびに、
なんでうちにはよくわからない古い服ばかりあるのだ、それも可愛くもセンスもなく、中途半端に襟がフリルとかのシャツが・・・合わせようによればなんとでもなるのか、いや、そもそも服のレパートリーが無い。
おしゃれなんて鼻から興味のない父親と、お金もかかるから節約している母親のもと、着たくない服ばかりで毎朝登校前は、幼心に嘆いていた。(今思えばおしゃれに興味があったならそっちの道に行けばよかったのにな・・・)
学校に行くのも億劫で、毎日遅刻しそうになり、いつも同じような服を着ていった。
そのうち中学生になれば、制服や運動着なんて便利なものが登場し、田舎の学校では運動着で登下校もしたり。(余談だが、思えば運動着への着替えはどこでしていたんだろうか・・・更衣室、なんてあったのか、もう何も思い出せない)
毎日着るものにも迷わず、親と服のことで揉めることもなくなった。それなりの服を量販店で買ってもらえていたからか。
高校生になり、県内でも創立2年目の新設校へ通えることになり、自由な校風で実に個性的な面々が通っていた。私にとっても素敵な高校生活を送れたんではないか、と思えるとてもいい環境の学校だった。
登校はなんと私服。制服からの卒業。
お洒落もそれなりにしたいお年頃で、どんなきっかけか忘れたが、当時古着にはまった。やはり毎日私服で学校に通うには、それなりの服の用意が必要。
お下がりが嫌だったはずなのに、古着屋の古着は別物。自分の気に入る一点ものを探すのがとても楽しかったのを覚えている。ある意味宝探しをしているようなワクワク感。そして嬉しいのが値段。プチプラで有名ブランドのお下がりは最高だな〜とその時は重宝していた。時に親の若かりし頃の服がどんぴしゃだったりして、レトロな総柄のシャツや、パンタロンなどをお下がりしてもらい着ていた。この時点でお下がり克服しているが、要は自分が気に入る服であれば何でもよかったのかもしれない。
あれから何年も経ち、現在、古着は手元に一着もなく、数年前まで通勤していた時もオフィスカジュアルという名の格好が望まれたため、ほとんど着ず。休日も着ない。
古着屋に行く機会も減った。今の時代サスティナブルとか言ってるなら、この辺も押さえとかなきゃかな。それよりもミニマリズムに興味が出てきたので、そもそも服を買い集めなさそうだ。とっておきの服が古着屋にあるなら、それは採用だな。