見出し画像

カカイさんの研究の一部公開

 カカイさんがどんな研究をしているか、紹介するのだ。障害の語りについて研究しているのだ。以下に示すのは、あるとき卒論を再構成して書いたものを界隈用にさらに再構成したものなのだ。(あまりネット検索とかで詮索しないでほしいのだ。掲載の許可を得ているとはいえ、お相手がいることなのでくれぐれもお願いするのだ)内容についての学術的な批判や議論、ご質問やご意見、ご感想はありがたく頂戴したいので、コメントやツイート等よろしくお願いいたしますなのだ。

■はじめに

 カカイさんには,脳性麻痺による両上・下肢の機能障害と広汎性発達障害という診断名がついている。(障害と言えそうな当時の診断名。その頃から腰椎分離症とかアレルギーとか診断されているけど,そこらへんは問題意識になかったので省略。神経症やADHDと診断されるのはずっと後の話なのだ)生活の中で困難を感じることが多々ある。他にもセクシュアリティやジェンダーアイデンティティのゆらぎなど,主観的な生きづらさを感じるようなものごともある。しかし,自身の障害や経験を他者に語ることができていると感じられず,もどかしさや劣等感がある。
  障害を語るというときに何を語れば語ることができたといえるのか。また,自分の障害,それ自体を自分自身が納得して語ることに必要なこととは何か。それ以前に,自分の「障害」,診断名以上の持つ意味は,どのようにして得られるものなのか。

◆先行研究――当事者による社会学的手法を用いた研究(矢吹,2017) 

 アルビノ当事者の矢吹(2017)は,当事者の経験のモデル・ストーリーを批判した。モデル・ストーリーとは,これまで多数派から見過ごされてきた課題を明らかにし,問題解決を求めようとする当事者たちの試みの中で生まれた,病いに関する物語である。一方で,モデル・ストーリーには,問題解決を他者に求めることを目的とした物語であるという点で,政治性が伴っているといえる。また,それがすべての当事者が語るべき物語として受け取られ,問題解決ができなかった経験は物語として語るに値しないとみなされてしまう。さらに,物語の聞き手は,次第に当事者の経験の物語を,政治性を伴うモデル・ストーリーに無意識のうちに回収しながら聞くようになる。モデル・ストーリーは,多様な物語の可能性に沈黙という弊害をもたらしてしまう可能性があるといえる。そこで,矢吹(2017)は自身の納得できる説明はいかに可能かを探求した。ライフストーリー研究を通して,沈黙や語りがたさの表明,嘘や揶揄を用いることで,政治性から離脱して経験を語ることができることを明らかにした。ここから,自分自身が納得して語るには,政治性から離脱する必要があると捉えられる。しかし,その示された方略は,経験を語りたいという当事者の本当の欲求に応答しているものとは言い難い。どのようにすれば,沈黙や嘘,揶揄を使わずに,政治性やモデル・ストーリーから距離を置いて,当事者が語ることは可能になるのであろうか。

◆目的

 本研究では,自身が納得できるような「障害」の語りとはどのような場で何をいかに語ることか,そこでは「障害」はどのように語られていくのかを明らかにすることを目的とした。

◆障害と「障害」の区別について

 本研究では,「障害」を,誰かに命令や強制されたわけでもなく,自分の意志でそうしたわけでもなく,自然とそうなってしまうとカカイが感じていることによりカカイが抱える自身にとっての悩みや問題として捉える(ここらへん中動態っていう言語の概念を援用して定義しているのだが,発表の都合上カットしたのだ。中動態の話は今度の機会に)。一方で,カカイが医学的診断を受けた脳性麻痺や広汎性発達障害を鍵括弧なしの障害と定義する。

◆方法

1.研究対象者と研究協力者
  本研究の対象者,つまり語り手は,カカイ(以下語り手と表記する)とした。また,本研究には,語りの聞き手が必要となるため,Aさん,Bさんの2名(以下聞き手と表記する)に研究協力を依頼した。

2.手続きとその手順
  調査は20xx年y月に行われた。
  語り手は,2名の聞き手に対し,以下に記す聴き取り方を依頼した。
  1点目:語り手のことをわかろうとする態度で聴いてほしい。
  2点目:可能な範囲で語り手の語りがその場で共有できている感覚が得られたら言葉で返してほしい。
  加えて,聞き手それぞれに異なる聴き取り方を依頼した。それに関しては,次項,3. 聞き手についてと実施方法の中で記す。
  調査時間はそれぞれ約60分ほどであった。2回とも最初は語り手が障害を語ることから始めたが,以後は会話の流れに委ねた。

3.聞き手についてと実施方法
●Aさん
▲背景・語り手との関係性
  Aさんとは,障害当事者向けのプログラムで出会った。Aさんには,身体の障害がある。また,身体機能の現状維持を目的としたリハビリテーションを受けた経験もある。

▲実施方法
 インターネット音声通話ソフトウェアを利用して実施した。調査ではビデオ通話機能は利用しなかった。また,調査前日に,同じく音声通話にて,調査についての説明と協力依頼を行い,互いの近況報告などの本研究に直接関係のない雑談もした。

▲個別に依頼した聴き取り方とその意図
  1点目:語り手の語りと共通する点を見つけながら聴いてほしいこと。
  2点目:語り手と語りを一緒に紡ぎ出してほしいこと。
  以上の2点を依頼した。これには,語り手とAさんの経験の共通性や違いを活かしてともに自然と「障害」を語り紡げるのではないかという語り手側の意図があった。

●Bさん
▲背景・語り手との関係性
  Bさんは,カカイが在籍していた大学と同じ大学の大学院に所属していた,カカイの先輩にあたる人物である。現在は,ASDのある子どもの支援者である。また,Bさん自身にも,人と関わることの苦手さや心の中に漠然とした生きづらさがあるようである。

▲実施方法
  語り手の所属する大学の相談室で直接対面して実施した。調査当日,近況報告をした後,調査開始直前に,調査についての説明と協力依頼を行った。その後,調査を実施した。

▲個別に依頼した聴き取り方とその意図
  1点目:静かに相槌を打ちながら聴いてほしいこと。
  2点目:語り手の語りがBさんの他者との関わりの経験と共通する点を思い出し,その共通性を可能な範囲で言葉にして語り手に投げ返してほしいこと。
  3点目:語り手の語りに突然ツッコミや鋭い指摘を入れることはしないこと。
  以上の3点を依頼した。これには,語り手自身の語りが滞りなく受け入れてもらえるのではないか,という語り手側の意図があった。

4.分析方法・手順
●分析用データの作成
  インタビュー終了後の手続きは以下の通り。
  Step. 1 逐語録をWordファイルで作成。
  Step. 2 Wordのコメント機能を用いて,Step.1で作成した逐語録ファイルに,発話ごとにインタビュー時,語り手が感じていたこと,考えていたことを記述。
  Step. 3 Wordファイルを研究協力者に送付。
  Step. 4 聞き手に,逐語録の内容の確認と,語り手同様に発話ごとに協力者が感じていたこと,考えていたことを記述するよう依頼。

●分析
  本研究の分析は,長谷川(2017)の方法を参考に,プロセスレコードの記録法を本研究に即して一部改変して利用した。その際,「障害」の語りがどのように生起し,変化するかを,語りの相互作用過程に注目して検討した。なお,分析は,語り手,聞き手の双方が行った。
  一部の分析の過程では,2名から5名の大学生,大学院生,及び教員1名も分析に立ち会った。これにより,語りの場にいた当事者である聞き手や語り手以外の視点を取り入れ,より広く語りの場を見ることが可能となった。

5.倫理的配慮
  本研究は,所属の研究倫理委員会からの研究に関する倫理的配慮について承諾を得ている。(もちろん実際は大学名と受付番号は示しているのだ。卒論で倫理審査通しているの我ながら偉いのだ)

◆結果と考察

  以下に本研究で得られた結果を示す。なお,以後,結果と考察の中で発言のデータを提示する際には,語り手のことをカカイと表記する。

1.Aさん:「障害」を共に語る―突然の不謹慎さの中にも現前し共有される「障害」
  Aさんとの調査では,語り手から語られた「障害」の中に,先輩後輩関係や恋愛関係を含む人間関係全般において,①コミュニケーションの苦手さをなんとかできない,②駆け引きができない,③金銭的にも精神的にも他者に尽くし過ぎてしまう,というものがあった。そのような語り手自身の「障害」を他者に伝えようとしても理解してもらうことができないため,人間関係がうまくいかず,それが語り手の問題のように感じられるという内容が語られた。以下に示すデータはそれに対するAさんの応答から始まる。

Aさん:ま,私からしたら,それはカカイのキャラクターでしかないのね
カカイ:まあね
Aさん:あの,うんうん,そういう困難があっても,まあカカイやし,みたいな
カカイ:うん
Aさん:うん,しゃべりすぎるところが,カカイやしみたいな 


 ここでAさんは,語り手の「障害」だと感じているコミュニケーションの苦手さに関する語りを受けて,それが語り手のキャラクターであり,語り手自身であるという肯定的な捉えを語り手に対して示した。それに続けて会話は以下のように展開した。

カカイ:(笑)……うん
Aさん:うん
カカイ:そうね
Aさん:うん
カカイ:だから,今のところはそういうあなたみたいに,そういうのがカカイだよねって,言ってくれるような人としか,付き合えないのよ
Aさん:うん。いや,でも,私もそうだよ
(このときAさんは,なんだかんだで今まで付き合ってきている友人たちは,障害も含めて私を受け入れて,それを良しとしてくれているような気がしていると,Aさん自身の友人関係を振り返っていた)
カカイ:えっ,そうなの?
(このときカカイは,自分だけの特異で異常な経験だと感じていた,自分を受け止めてくれるような人としか付き合えないことがAさんにもあることに驚いた)
Aさん:うん,多分そうだと思うよ
カカイ:へー,そうなんだ
Aさん:え,そうだよ。あの,そう,すごい,あの,そうだなーっと思ったのがさ,やっぱし,なんだっけ,後輩とかにさ,何してあげたらいいみたいなのあったじゃん。うんうんうん。すごいわかる。うん

  ここで,語り手は,戸惑いながらもAさんのカカイに対する肯定的な捉えを引き受けた。その上で,だからこそAさんを含めた自身のことを受け止めてくれる人としか「付き合えない」,それは自分の「障害」であると語った。それに対してAさんは,「私もそうだよ」と語り手と共通していることを示した。語り手は,常日頃から人間はうまくいかない人ともある程度は付き合いをするのが当然で,それができない自分がおかしいように感じていた。そのため,Aさんの「私もそうだよ」という言葉は,語り手の驚きと安心感を引き出した。
  続けてAさんは,語り手が語った後輩との関係から話題を膨らませて,Aさんが中学,高校時代部活動に所属していたことや大学時代に委員会に所属して活動していたことを語った。

Aさん:で,まあ,後輩できるやん
カカイ:うん
Aさん:とまどうよね。何か,先輩とかはさ,本当に,先輩には好かれやすいんよ
カカイ:うん
Aさん:ううーん。一緒,一緒やと思うんやけど
カカイ:一緒や
Aさん:何してあげたらいいかわからんというか,うん,後輩に好かれた,記憶はない
カカイ:えー,そうなの!?

  Aさんにも,語り手と同様,先輩には好かれるが,後輩とはうまくいかない経験があったと語った。ここでも語り手には,驚きと安心感がもたらされた。先輩との関係と後輩との関係の違いや付き合い方の難しさという経験の共通性が,語り手の驚きと安心感を契機にしたAさんとの間の語り合いで共有されたといえる。

カカイ:先輩って何なんだっていうのが何にもわからない
Aさん:そうねえ。いや,多分,先輩好きやし,甘えていくのっていうか,こう,遊びましょうって,ご飯,行きましょうみたいな,そういうのは,言えるし好き,好きやし,可愛がられたいし。後輩ってなるとなあ,なんかなあ,どうしていいかわからん
カカイ:わからんなあ

  その語りに刺激され,語り手は,自分が先輩と同じ年齢になっても,同じように振る舞えないという気づきを言葉にした。Aさんは,語り手の言葉に理解を示し,Aさんの先輩と後輩,それぞれに対する捉えを語った上で,「どうしていいかわからん」とまとめている。語り手もまた「わからんなあ」と同意を示した。ここで,先輩との関係と後輩との関係の違いや付き合い方の難しさという経験の共通性が,語り手の驚きと安心感を契機にしたAさんとの間の語り合いで共有された。
  しかし,ここから話は思わぬ方向に進む。

Aさん:いや,な。でも多分,これは,その恋愛関係においてもそうで,与え,自分が与えられるものって,こう,ない,から,引いちゃうよね
カカイ:うん,そうだね
Aさん:うん,そう。もしさあ,ここで,もしかしたら,巨乳だったりとかしたら(このときのカカイの感情:巨乳は不意打ち。どういうことなのか。驚いた)
カカイ:(笑いをこぼす)
Aさん:どうもないのかなあとか,いろいろ自分なりに思うわけ
カカイ:(笑いながら)そうねえ(戸惑いながら)巨乳だったら確かに,巨乳だったら
Aさん:与えられるものがないからね(このときのカカイの感情:「与えられるものがない」という表現が腑に落ちた)
カカイ:そうだね。いや自分もそうだな(笑いをこぼす)そうだよね。与えられるものね
Aさん:うん。いや,与えて,だから,すごい,いろいろ,まあ,障害者は,だからっていうのもあるのかもしれないけど,助けてもらうことが,本当に多いんやんか
カカイ:そうだね
Aさん:何,私はね。何にしても,ご飯食べるにしても,
カカイ:あーあー(このときのカカイの感情:Aさんはご飯を食べるにしても,介助が必要だが,カカイはそれが必要ない。助けてもらうことの意味合いが違うのにそれに気付かず,カカイもAさんと同じだと思いながら,Aさんの語りを聴いていたことに申し訳ない)
Aさん:何かを,何かをするってなったら,もう,身体介助がいるからさ ー,やってもらうことが多い中で,じゃあ私が何を相手に返せる?与えられる?っていうのを,考えてしまうと,まあもやもやするよね(このときのカカイの感情:相手に返す,与えるというのは,本来考えなくてよいことなのにも関わらず,なぜか考えてしまうっていうのが,自分にもあってわかる)
カカイ:うん
Aさん:うん
カカイ:うん
Aさん:うん

  Aさんは,語り手が語った恋愛経験での駆け引きの苦手さを引き合いに出しながら,先輩後輩関係と恋愛関係は共通するところがあると語り出した。Aさんの場合は「自分が与えられるもの」がないため,恋愛に積極的になれず,「引いちゃう」と語った。語り手は,「与えられるもの」がないという表現に納得し,相槌を打った。しかし,ここで,Aさんの語りは,急展開する。Aさんは,「巨乳だったりとかしたら」恋愛関係や人間関係で,他者からも引かれず,自分からも引かずにより積極的になれるのではないかと言った。語り手は,「巨乳」という単語に大きく驚き,戸惑いつつも,相槌を打った。このとき語り手は,もし自分が,最初から女性として生まれており,巨乳であったら,自分にも男性が自然と寄ってきて,人間関係や恋愛に困ることはなかったのかもしれず,もしそうであれば今のように自分の「障害」とは何かなど気にしてしまったりすることなく幸せに生きていけたのだろうかなどと想像を膨らませていた。
  さらにAさんは,「与えられるものがないからね」と再び強調した。ここで,語り手は,Aさんから語られた巨乳の語りを踏まえた上で,Aさんの表現が腑に落ち,「自分もそうだ」と共感しながら,語りを共有物として受け取るような表現をした。
  その後,Aさんは,障害者は人に助けてもらうことが多いからこそ,自分が与えられるものがないことを意識すると語った。それに対し,語り手は理解を示した。加えて,Aさんは,Aさんの場合,何をするにしても身体介助が必要になるため,助けてもらうことの多さを意識すると語った。それに対して,語り手は,自身とAさんの立場の違いに改めて気づかされ,そこを深く考えていなかったことに申し訳なさを一瞬感じた。ただ,その後のAさんの「何を相手に返せる?与えられる?」ということを考えてしまって「もやもやする」ということに対して,語り手は自身との共通性を改めて感じ,理解した。
  語りの共有感や語り手とAさんの間の前提の違いに対する一種の申し訳なさの感情が語り手の中に渦巻きつつも,結果として語り合えている感覚を語り手は得た。

2.Bさん:応答のないモノローグー緊張の緩和と離脱に誘い出すもスルーされる
  Bさんとの語りでも,語り出しは語り手から行われ,最初に診断名と脳性麻痺がどのような障害かの説明がなされた。具体的には,脳性麻痺により,細かい動作や,目で文字や物を追うのが困難であり,筋肉,特に首や肩の筋肉が緊張し,凝りやすいということが語られた。この際,Bさんは,指定された聴き取り方の中の「静かに聴く」を強く意識しており,語り手の語りに対する音声的応答はほとんどなかった。以下に示すデータはそれに続く,語り手の語りである。

カカイ:で,おもしろい話があって,あの,手の筋肉も緊張して,あっそうか,字書くときにこの伝わって肩の部分も緊張して凝りやすくなって,小学生のときに「私肩凝るんですよね」って,そのころ特別支援学級に入りながら普通級で勉強していたんで,特別支援学級の先生に言ったら,「なんでそんな年寄り臭い,ことを」
Bさん:あー
カカイ:まだ,二千,二千,一桁台だったので,多分わかんない(笑)んだなっていう

  語り手は,この肩凝りについての話題に入る前に,話の枕として「おもしろい話があって」と置いた。その意図としてBさんの笑いを誘い,Bさんや語りの場の緊張を緩和させ,語り手が語りやすい語りの場にすることがあった。しかし,Bさんは語り手の笑ってほしいという意図は受け取りつつも,「あー」とだけ応答した。Aさんは笑えなかったのである。Bさんからの応答がなかったため,語り手は,昔のことであり,特別支援学級の先生もわからなかったのだろう,仕方のないことだと,ひとまずオチをつけて回収し,次の話題に移った。ここで,語り手には,語りの不全感があった。

◆総合考察――政治性からの解放

 本研究では,障害の語りから出発して「障害」の語りが浮上するような納得できる語りを紡ぐために必要なことが2点明らかになった。
  1点目に,聞き手の純粋な反応や応答,問い返しを受け,そこにさらに応答していくことである。聞き手の態度や一般的には不謹慎とされる内容によってであっても,語りがたさが解きほぐされうる。聞き手の語りに対する純粋で率直な応答さえあれば,沈黙や語りがたさ,嘘の3つを使わずとも,語り手もそこに応答することで語ることは可能である。
  2点目に,語りを発展させ,自身の社会上,生活上のうまくいかなさを,多数派から見た異常な行動,状態ではなく,自分にもよくわからず,対処のしようもないが,そうなってしまう自分らしい不思議な現象として,自身の「障害」を語っていくことである。
  この2点は,今回見てきた語りの場の外部では,タブー視されたり,不可視化されたり,価値評価の対象になったり,あるいは不適切なものとして退けられたりするだろう。Bさんとの場合は,まさに「障害」を語りの場に現前化させることが叶わず,スルーされてしまう現実を示していたといえるだろう。一方,Aさんとの場合は,語り手と聞き手の二者間で,妄想的だったり,不謹慎だったりする内容であったとしても,語られた内容とは違い実際はそううまくはいかない,現実世界での「障害」が,確かに語りの場に現前していた。つまり,語りによって,逆説的に「障害」が浮かび上がっていたのである。また,それは語り手と聞き手という語りの当事者を含めて,誰をも攻撃的あるいは批判的に扱っているものではない。そこにあるのは,「障害」を感じる必要がないとされる非現実と,その背後に確かにある現実の「障害」だけである。これは,「沈黙や語りがたさ,嘘や揶揄」といった矢吹(2017)によって見いだされた方法のいずれも使わずに,なおかつ被差別者や弱者といった否定的アイデンティティを持った主体を前提とした問題解決を訴えるような政治的な語りもせずに,自身の「障害」を語る方法だといえる。
  その語りは,実際に聞き手が同じ状況に直面していなくとも,語りについて想像を膨らませることで了解可能なものであり,双方の間で共有可能なものでもある。これらは,語り手に語りの納得感がもたらされる。

◆本研究の意義

 本研究では,モデル・ストーリーを相対化することも,問題が山積する社会を犯人扱いすることもなく,「障害」を語ることができることを明らかにした。これは,障害当事者が,政治性から解放され,他者と経験を共有することのできる新たな可能性が示唆されうるといえよう。
  また,語り手の視点から語りやそれによる語り手と聞き手の相互作用について検討し,それを記述することができたこと,その際,聞き手である研究協力者や語りの場にいなかった第三者である分析協力者からの視点を取り入れて検討することができたことも,本研究の一定の成果として考えられる。

◆本研究の課題

 本研究の課題として,今回の調査の研究協力者は,2者とも医学的な障害への理解が深かったことが挙げられ,彼/彼女らは当事者ではないとは言い切れず,当事者コミュニティの外部での語りだとも言い切れない。そのため,今後は,より多様な研究協力者との調査を行っていく必要があるといえる。

(実際問題はたくさん課題あるのだ。語りの経時的変化を見たいとか、結局分析や考察が主観によっているというか、調査後の大きな印象に引っ張られているとか、卒論書き終わってから反省したのだ)

◆引用文献

長谷川 雅美(2017).自己理解・対象理解を深めるプロセスレコード 第2版 日総研出版 p. 6.
矢吹 康夫(2017).私がアルビノについて調べ考えて書いた本 生活書院 p. 45.

いいなと思ったら応援しよう!