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結局、見た目には勝てないのかな。

「人を見た目で判断してはいけない」
躾や教育でよく聞く言葉だと思うが、果たしてそうだろうか。
そうありたい(相互的に)と思いつつ、結局、見た目には勝てない。
今日は、そんなお話をしたい。

私は、小さいながらも会社を経営している。
今日は新規のクライアントとなる予定の社長との顔合わせに臨んだ。
大抵の場合、私は社長には見られないことが多いのだが、社会通念に照らせばそれは理解できる。
一般的な社長と呼ばれる方々より、私ははるかに若いし、育成不全の傾向もあり、とても小さい。
未だに小学生の頃に来ていた服を楽々と着ることができるくらいだ。
だから、初対面の時の話題は、ほとんどそこから入る。
「こんなに若い方が社長だとは思いませんでした。」
好奇の視線を上下させ、概ねそんなような話題で話が切り出される。
私はそう言われた場合の表情を作り、それらしい言葉で早く会話を次のステップに進ませようと努力する。
この時間が、いつもとても無駄に感じる。
まさかその度に私の生い立ちから今までを説明する訳にもいかないし、またその必要性もないだろう。
察しのいい方なら、会話のラリーも30秒程で終わる(同行者の力も借りて)のだが、今日の人はかなりしつこかった。
話しているうちに、私がその人の性的嗜好に合致しているらしいことを悟った。
ぶっちゃけると、そうした人は結構多い。
そういう人は決まって、その後の打ち合わせ(メールで十分な内容)も直接会うことを望んで来るし、その会合をやたらと夜にしたがるし、お互いに同行者なしを希望してくるのだ。
やんわりとお断りをお伝えしても、ほとんどの場合は食い下がり、数は少ないが恫喝してくるような人間もいる。

そういったこともあり、実は私の見た目で、従業員にかなりの迷惑を掛けてしまっている。
上記のような人間は、要求が通らないと簡単に契約を破棄してくる。そして決まって、こちら側の不手際を声高に叫ぶ。
相手をするのも面倒なので契約破棄に応じると今度は損害賠償を求めて来るという始末。
乗りかかった契約を破棄されて、タダ働きしているのはこちらなのに、なぜか向こうが損害賠償を求めてくる理不尽。
その度に、従業員に余計な仕事を依頼しなくてはならない。
本当はもっと楽に仕事が進むはずなのに、一部の性的倒錯者のために何も生み出さない仕事が増える。
一度、本気で社長を交代することを申し出てみたが、私は逆に叱られてしまった。
どのように叱られたか、ここで語ることはしないが、とにかく私の凍った心に響いた内容だったことは確かだ。
そうして、皆が淡々と嫌な業務をこなしてくれるのだ。
私はこのとても頼りになる従業員の皆さんのためにも、もっともっと上手に世の中を渡っていける度量が欲しい。
それよりも、できればもっと年齢に応じた体格が欲しい。
髪の色を明るくしたり、服装を変えてみたところでどうしようもないこの見た目を、何とかしたい。

このように、私は見た目でかなりのハンデを背負っていると感じざるを得ないのだが、それを骨身に沁みて知りつつも、私もまた、見た目で物事を判断することが多い。
人間は情報入力のほとんどを視覚に頼っている生物だ。
見た目で危険を判断し、好き嫌いを選り分けるようにできている。
だから見た目の対義語になっている中身を知る前に好き嫌いの判断はついてしまっていて、それを覆すのは並大抵のことではない。
見た目で興味を惹かない物の中身を知りたいとは、誰も思わないのだ。
それゆえに、デザインが一つの機能となり、中身はともかく見た目の良い物がもてはやされる。
野菜の泥はきれいに洗い流され、規格ごとに分けられる。
車は性能が変わらないのに、ほぼ毎年、その姿を少しだけ変える。
身だしなみに気を付けるのも、化粧をするのも、毎日同じ服を着ないのも、人間生活のほとんどの場面で、「見た目」が基準となっているのだ。
悔しいが、見た目が生まれついて優れた人は、その時点でかなりの恩恵を受けることが確定してしまう。
もちろん、当事者はそれを否定するだろうが、当事者の思いとは裏腹に、周囲はそうして判断をしているのだから仕方がない。

私自身の切実な問題でもあるので、この点についてはかなりの思考を重ねているつもりだが、未だ有効な手段を見出せないでいる。
今のところ、やはり「見た目には勝てない」と結論付ける以外にない。
七つの大罪に「見た目で判断する」は含まれていないが、これもまた、アダムとイブから引き継いだ罪の一つなのではないだろうか。


追記
私はよく、聖書の一節やその考え方を引用したり、思考の根本と置く傾向があるが、私自身は無宗教であると自認(人並な宗教行事は同様に行う、一般的な日本人の宗教観を有している)しており、いかなる宗教も信奉してはいないことを明記しておく。

ただし、超然的な何かの存在は感じているし、信じてもいる。また、聖書については世界で最も「売れている本」として、どの世界でもある程度通じる共通的な要素が多いため、引用の機会も増えている。


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