【無才の視点】おじさん×パーカー論争
自己紹介もひと段落したところで、私がノートで目指していることの一つとして「時事ニュース」を取り上げて、私の視点で解釈したことを発信すると言う動きに移ってみたい。
初めてなので、まずは差し障りの少なそうな雰囲気でありながら、そこそこ話題のこのニュースを取り上げることにした。
【端緒】
脚本家で作家の妹尾ユウカ氏が、自身の配信番組にて「40歳過ぎてパーカーを着ているのはおかしい」という内容の発言をしたことによる。
これに反応したのが堀江貴文氏とひろゆき氏。
どちらも知名度のあるおじさん達が、妹尾氏の発言に否定的な感想を述べた。
この後、続々とおじさん達が論争に加わり、さらにその発言に対して妹尾氏が反論することにより、事態が大きくなりネットニュースを飛び出して話題となっている。
【結論】
それが違法だったり、著しいマナー違反である場合を除いて、他者からの服装についての苦情には応じる必要はないと思う。
妹尾氏の発言は、商談に現れた相手(40代のおじさんと思われる)がパーカーを着てきたことによる不快感が主な要因となっている。
この点にはあまり触れられておらず、いわゆる「切り抜き」によって印象操作をされている可能性は十分にある。
その後の反応や反論をしている人々が、それぞれ動画配信や自身の発言を経済活動に転化にしている人々であることから、あえて事態を大きくしている可能性も否定できない。
また、それらを取り巻く環境(ネットニュース、情報番組など)も、この問題を取り上げることにより閲覧数を上げることができるため、「差し障りのない些細な問題でありながら、それなりの経済効果が認められる話題」として、今なおこの騒動に参加する人間がおり、この応酬は今週いっぱいは続くのではないか。
が、ここに来てモデルの藤川らるむ氏がある意味では究極的な意見を出したことにより、急速に鎮静化する可能性が出てきた。
【無才の思考】
① 年齢を基準にした他者の評価は危険
今の年齢を中心として自分よりも若い、もしくは老いた人に対し、年齢を基準とした評価をするのは非常に危険であると思う。
自分が通ってきた道であり、これからの行く末であるからだ。
その時点での他者に対する評価が、自分が「その年齢」だった、もしくはなった時の評価と簡単に比較できる時代となった今、その危険性は増していると言える。
② パーカーに込められた思い
シリコンバレーを中心に起きたIT革命からこちら、成功者がパーカーを始めとしたラフな服装で公の場に出ることが、それまでビジネスシーンで幅を利かせていたスーツ組に対するアンチテーゼとして機能していた傾向がある。
今回、先陣を切って反論をするに至った堀江氏もひろゆき氏も、ともにITで成功を収めた人間である。
つまり、彼らにとってパーカーは「公の服」の側面がある。
それを年齢によって否定されれば、このような論争が起こることは容易に想像ができたと言えよう。
また、妹尾氏が同じようにラフな服装で公の場に現れるイーロン・マスク氏や故スティーブ・ジョブズ氏を前にして同じ発言ができたかどうかも疑問に思うところではある。
③ メディアの商業重視の姿勢
あらゆるメディアについて言えることだと思うが、ひと昔前のジャーナリズムと言うような考え方はもはや絶滅が危惧されるレベルとなった。
物事の本質や真実を追求する姿は消えてしまい、とにかく数字に振り回されている姿勢が顕著だ。
民主主義社会において、数はそのまま力となり、金となる。だからそれがすべて悪いことだとは言わないが、メディアの力を独占状態で使えた時代と違い、今は個人がそうしたメディアの姿勢を叩くことができる時代となった。
そのほとんどが大企業であるが故に、個人配信のような小回りも利かず、課せられた責任もより重いわけだから簡単にはいかないと思うが、方向性を換えないといずれは滅びることになるだろう。
今回の騒動もそうした姿勢が生み出した側面もあるように思う。
正直なところ、藤川氏の言われるとおり、誰がどんな服を着ていても、そこまで気にする人などいないのだ。
そもそもネットを中心に起こった些末な問題であるわけだから、公共の電波を借りているテレビ局や新聞社が取り上げる必要性などほとんどない。
ネットで起こったことはネットに任せ、もっと大きくて公益性の高い番組作りをして欲しいと思う。
【結び】
かく言う私も、そのメディア側の一人であることは自認している。
拡散力や影響力の多寡に関わらず、私がやろうとしていることも同じ意味合いを持っている。
この時点で、私の論理は破綻を来たしているわけだが、そもそも人生というのは生まれた瞬間からいずれ必ず死ぬと言う現実がある以上、すでに破綻していると考えているので、そこまで大きな問題とは思っていない。
言うなれば、我々生きとし生けるものはすべて、その存在自体が破綻の塊でもあると言えると思う。
だが、その破綻の塊は、創造し、成立し、形成し、弥縫を繰り返しながら矛盾だらけの世の中を進んで行く存在でもある。
この文章についても、そうした側面に光を当てていただけると嬉しい。