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11月に読んだ本

今月は大阪日本民芸館で開催されている「三代澤本寿」展に影響されたのか、民藝、型絵染、松本市にまつわる本を多く読んだ。結果は3冊。1ヶ月の読書数としては3冊というのが心地よい冊数なのかもしれない。そんなふうに考え始めている自分がいる。


▼『型絵染:三代澤本寿』

民藝の型絵染作家として有名なのは芹沢銈介。その弟子は何人かいるが、有名なのは柚木沙弥郎。御年100歳の現在も活発に製作を続けているという。その柚木は高校時代を長野県松本市で過ごしている。その松本には、柚木より10歳以上年上の民藝同人たちがいた。池田三四郎、丸山太郎、三代澤本寿である。この3人は小学校からの同級生だったようだ。ともに民藝に目覚め、松本の民藝運動を牽引する存在になっていった。
その三代澤本寿は、松本での活動の途中から静岡へ移り、芹沢銈介を師事する。1909年生まれの三代澤は、1916年生まれの岡村吉右衛門、1922年生まれの柚木沙弥郎の兄弟子的存在だっただろう。しかも柚木は一時期松本で暮らしている。三代澤とは仲が良かったはずだ。
芹沢(1895年生)、三代澤(1909年生)、岡村(1916年生)、柚木(1922年生)と若くなるにつれて、型絵染のスタイルもシンプルになっていく。いや、正確には各人ともに若い頃より晩年のほうがシンプルになっていて、さらに若い人ほどシンプルさが増していく。芹沢の若い頃は沖縄の紅型に強い影響を受けており、図柄も色も複雑に混ざり合っている。しかし、晩年になるとかなりシンプルな図像になる。私はこの晩年の作品が好きだ。同様に、三代澤も岡村も柚木も晩年にはシンプルな図像を生み出すようになる。
この4人のなかで、ずば抜けて有名なのが芹沢銈介であり、若者に人気なのは柚木沙弥郎だ。天の邪鬼な私は、三代澤と岡村の作品を集めたいと思う。そんな三代澤の展覧会が大阪で行われた。2021年の春と秋に大阪日本民芸館で開催されたもので、60ページ弱の図録も販売されていた。2010年に松本市で開催された展覧会の図録は200ページ弱のものだったので、それと比べると小冊子のようなものだが、それでも三代澤ファンにとってはありがたいものである。展覧会を観て、図録を購入して、自宅に戻ってじっくりと文章を読み込んだ。
三代澤の作品はほとんど市場に出ない。持ち主が売らないのだろう。また、三代澤の家族も売らないのだろう。現在は松本市に常設のギャラリーがある。そこには、家族が持つ三代澤の作品が展示されている。いつでも訪れることができるギャラリーができたことは嬉しい。

▼『型絵染:三代澤本寿 生誕101年展』

2010年に松本市美術館で開催された三代澤本寿の展覧会に合わせて製作された図録。三代澤作品を網羅的に掲載したものとしては随一だと思われる。
この図録内には、三代澤の弟弟子的存在である柚木沙弥郎による「三代澤さんのこと」という文章が掲載されている。それによると、松本市の開智小学校の同級生として、三代澤本寿、丸山太郎、池田三四郎、下條寛一、本郷大二の名前が挙げられている。この人達からすると、柚木は13歳下であり、晩年の彼らの仲が良くないのが気になっていたようだ。「お互いにもっと仲良くしてください」と言いたかったけど言えなかったという思い出が綴られている。
1984年、芹沢が亡くなると三代澤は民藝運動から徐々に距離を置くようになる。三代澤75歳の頃のことだ。翌年、丸山太郎が亡くなる。柚木が「お互いに仲良く」と思ったのは、その丸山の葬式の後のことだ。三代澤が民藝から距離を置き始めた頃のことだともいえる。松本民芸家具を経営し、松本の民藝を牽引してきた自負のある池田三四郎と三代澤との関係が少しずつ悪化していたのではないか。そんなことを感じさせる話だ。
三代澤は丸山の私家版著書『時にふれて』の装丁を担当している。両者の関係性は良好だったのだろう。民藝から離れつつある三代澤と、民藝の意義を主張する池田との間をつないでいたのは丸山だったのかもしれない。2021年、我々がコミュニティデザインに携わった「メディアガーデン」という建物の1階で「丸山太郎展」が開催された。コロナ禍でなければぜひ行きたいと思うイベントだったが断念した。松本は、定期的に行きたくなるまちである。

▼『時にふれて』

著者である丸山太郎が設立した「松本民芸館」で購入した豆本。親しい友人である石曽根民郎に送った、世界に1冊しかない豆本である。丸山が気に入ったものの絵と、それを説明する直筆の文章から構成される。左側のページに絵が、右側のページに文が配置されている。
この本は石曽根の息子が大切に保管しており、それを見た柳澤孝夫が復刻版の出版を企画したという。装丁は丸山の同級生の三代澤本寿が担当しており、復刻版も三代澤の型絵染が用いられている。
この本の最初は衝立について。「最近買ったものでこの衝立障子ぐらい私の心を楽しませてくれたものはない」という言葉から始まり、「人毎に自慢し、そして私も見とれている」で終わる。気に入った衝立を手に入れて、嬉しくて嬉しくて仕方がない丸山の気持ちを素直に綴ったものだ。その気持ち、とてもわかる。私は先日、三代澤本寿の型絵染が貼られた衝立を手に入れた。これが嬉しくてたまらない。衝立として使うことがないので、いまそれを額装してもらっている。友人の家具職人が丁寧に額装してくれているところだ。完成したら、私もきっと「人毎に自慢し、私も見とれる」ことだろう。
そうやって自分が気に入ったものをひとつずつ描き、そこに文章を添えて本にし、それを友人に贈る。それはとても素敵なことのように思える。いつか真似をしてみたいものだ。

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