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1月に読んだ本

年間に100冊の本を読もうと思うと、月に8冊は読まねばならないらしい。「百冊挑戦」の仲間たちとそんな話をしている。しかし、それを信じて読み進むと、8冊×12ヶ月で96冊。4冊足りなくなるw。この事実に最終月になって気づいたとしたら、12月は8冊+4冊で12冊も読まねばならないことになる。これは絶望的だ。

だから月に9冊読むことを目標にする。ということで、1月に読んだ本を以下に記す。


▼『八木一夫展』

1981年に京都と東京で開催された八木一夫展の図録。現代陶芸の代表的な作家である八木一夫の作品が掲載されている。このnoteのトップ画像に毎回登場する、奇妙な動物の焼物は、京都府亀岡市にある松井利夫さんの窯で焼いてもらっている。その松井さんの師匠が八木さんである。だから八木一夫という人が気になっている。図録によると、八木さんはイサム・ノグチと辻晋堂の影響を受けているらしい。八木さんの考え方のうち、気に入ったのは以下の点。

①陶芸は通常、窯のなかで思わぬ変質を遂げることがある。土や釉薬や窯の温度など、さまざまな変数で焼物の質が変わる。しかし、その偶然に甘えてはいけない。「なしたこと」と「なったこと」の違いを見過ごしてはならない。

②多くの人は陶芸の焼き方にこだわるが、八木さんは冷やし方にこだわる。冷えるときに変質するから。「よく焼けてますな」という言葉の代わりに「よく冷えてますな」という言葉を使う。

③八木さんは「陶器は使っているうちに味が出る」とか「育つ」という言葉に反発する。「茶碗は美しさを変えていくのではなく」「汚れていくというのが真実である」という。


▼『没後25年 八木一夫展』

2004-2005年にかけて開催された、八木一夫の没後25年を記念した展覧会の図録。1981年の図録に比べて論考が多く、掲載されている作品数も多い。イサム・ノグチだけでなく、その師匠であるコンスタンティン・ブランクーシからの影響や、マックス・エルンスト、ジョアン・ミロ、ジャン・アルプ、パウル・クレーなどシュルレアリストたちからの影響もあったようだ。確かに、作品をよく見ると、それらの作品を連想させる部分が見つかるが、どれも少しずつオリジナルとは違う雰囲気がある。それはきっと作品が陶器で作られているからなのだろう。八木さんは「なかはうつろか」と問うたそうだが、「うつわ」「うつろ」ということにこだわり続けたからこそ、海外の画家や彫刻家から影響を受けていても、そのままの引用はできなかったというわけだ。壺の口をどこまで小さくすると壺ではなくなるのか。ついに口を閉じてしまったら、それは壺ではなくなるのか。そのとき、それは何と呼べばいいのか。「オブジェ」か。そんなことを、八木さんが設立した走泥社の仲間たちと議論していたそうだ。


▼『やきもの この現代』

八木一夫についての論考を中心に据えつつも、それより前に民藝運動の歴史について述べ、それより後に八木の仲間や弟子たちについて述べている。著者が民藝関係の本を書いてきた人だからか、前段の民藝の流れが簡潔にまとめられているのが嬉しい。余計なことは書かず、しかし一般的には知られていない人と人とのつながりなどについてサラリと記されている。バーナード・リーチ、富本憲吉、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司というおなじみの民藝同人だけでなく、加藤唐九郎、北大路魯山人、イサム・ノグチについても「八木一夫前夜」として述べられている。八木一夫以後については、走泥社から熊倉順吉が登場しているのが嬉しい。建築出身の熊倉の生き方については、「なぜあんなものを作ったのだろう?」という疑問とともに興味を持っていたので。


▼『終わりきれない「近代」』

2005年に開催されたシンポジウム「オブジェ焼の死」の内容を元にして刊行された書籍。八木一夫の代名詞である「オブジェ焼」が、現在にいたるまで「なんとなく生き続けている」ことに対する違和感から開催されたシンポジウムだったようで、すでに古臭くなっているのに終わりきれないオブジェ焼にとどめを刺そうと集まった論者たちによって書かれた本。ところが、読み進むと結局「八木一夫はやっぱりすごかった」という話になっていて、他の本とあまり変わらないなという印象。シンポジウムのタイトルは「オブジェ焼の死」だったのに、語り合った後に出版した書名は「終わりきれない」ということになっているのは、各方面に気を使った結果か。八木一夫や走泥社の弟子たちが、京都を中心にまだまだたくさんいるからこそ、「オブジェ焼はもう古臭い、終わりだ」とは言い切れなかったのかもしれない。そんななか、最後の論者である峯村敏明さんだけが、フランス語の「オブジェ」という言葉の意味と、そこから派生したシュルレアリスムの作家や、デペイズマンという手法(ロートレアモンのあの言葉とか)を解説し、「私には、オブジェというのは基本的には古臭く見えます。作者が〈どうだ、新しいだろう〉と自負している様子が作品から透けて見えると、いっそう古臭く感じてしまいます」と言い切っている。そうやって「オブジェ」という概念をディスっておいて、最後に「まぁ、八木さんはオブジェ焼って言ってるだけですから、オブジェという概念をまるごと背負ったわけじゃないけどね」と少しかわしている。これも配慮が行き届いた書き方ではあるが、論者のなかでは最も「オブジェ焼の死」に近づいたものだったと感じる。それができたのは、この峯村さんが陶芸界の人じゃなかった(美術批評家だった)からだろう。


▼『つくり手たちの原像』

動物陶芸の師匠である松井利夫さんが館長を務める滋賀県立陶芸の森で1998年に開催された特別展の図録。第1章で、八木一夫さんを始めとする走泥社と、同じく京都で結成された四耕会、そして辻晋堂さんの3者が紹介されている。いずれもオブジェ的作品だが、個人的には四耕会の作風が縄文土器的で好きだ。続く2章以下では、3者よりも若い世代のオブジェ的作品が並ぶ。これを見るだけでも、オブジェ焼はずっと影響を与え続けていて、用途を持たない陶芸というひとつの分野を維持し続けていることがわかる。そうなるともう「差異の反復」を繰り返すだけ。何がモチーフかの違いだけになる。もちろん、気に入った作品を買うという意味では問題ないのだが、この差異の反復にどんな意味があるんだろう?などと考えてしまうと大変。ほとんどの作品に意味が見いだせなくなる。「意味なんて考えなくていいんだよ」というのが大方の返答だろうが、僕としてはやはり人と違うカタチを追いかけるだけの現代陶芸から抜け出して、「素人も参加できる陶芸」という特徴を活かしたプロセス重視のアートプロジェクトへとつなげたいと考えてしまう。


▼『生命のかたち 熊倉順吉の陶芸』

1989年に東京で開催された熊倉順吉の展覧会の図録。八木一夫たちが創設した走泥社に参加した熊倉は、その作風がコロコロ変わったように見える。この図録では、熊倉の作品を6期に分けて整理している。①器制作、②空間造形的作風、③塊量的作風、④肉体形象、⑤ジャズをテーマとした制作、⑥金彩の特殊処理による制作の6期である。なお、その間にクラフト運動には継続的に取り組んでおり、ガーデンファニチャーなども制作している。個人的には、①の時代につくられた器シリーズは好きだし、②の時代の空間造形も悪くないと思っている。わからないのはシュルレアリスムの影響を受けすぎた③の塊量的なものと④の肉体的なもの。まったく好きになれない。これは最近の読者とも共有できる感覚なのか、近年発行される熊倉の作品集には③と④の時期の作品がほとんど掲載されない。その意味で、この図録は貴重なものだといえる。いわば「僕の嫌いな熊倉」もたっぷり収録されたものだからだ。近年の図録だけを眺めていたら、熊倉に批判的な視点を持つことができなかったかもしれない。それくらい熊倉の初期の作品は魅力的なのである。


▼『熊倉順吉とその仲間たち』

1993年に滋賀県立陶芸の森で開催された展覧会の図録。熊倉のクラフトデザインに注目した企画展なので、塊量的作品や肉体的作品は出てこない。観ていて心が安らぐ図版が続く。また、現代建築に対する提案なども出てきて、建築出身の熊倉の特徴が明確に打ち出されている。建築評論家の神代雄一郎と一緒に写っている写真は新鮮である。その神代が締めの文章を担当しているのも嬉しい。熊倉は走泥社に参加することになるが、その前に富本憲吉の影響を受けている。その富本からウィリアム・モリスの話を聞いて共感していたようだから、アーツ・アンド・クラフツ運動への共感もあったのだろう。信楽でクラフツ運動を展開した熊倉に、僕が興味を持ったのもこんな背景があってのことだ。モリス、富本、熊倉という「もともと建築を学んだ人たち」の流れのなかで、熊倉がクラフト運動を展開したという点にとても興味がある。この図録は副題が「陶・クラフトデザインの展開」というだけあって、熊倉のクラフト運動に対する関わり方がしっかり解説されていて、満足のいくものだった。


▼『熊倉順吉展』

松井利夫さんが館長を務める滋賀県立陶芸の森は、熊倉の展覧会を定期的に開催している。これは2000年の図録である。熊倉が愛したジャズと陶芸との関係を展示したものだったようだ。ジャズシリーズは、塊量の時代、肉体の時代に続く時代に展開されたもので、個人的にはあまり好きではない。ただし、図録にはその他の時代の作品がバランスよく掲載されているので、熊倉の作品の全体像を掴む上では持っていて良いものだと感じた。


▼『東京国立博物館の至宝』

コロナ渦中でなかなか博物館へ行けない。でも、美しいものを観て和みたい。そんなときにとても助かるのがこの本だ。たぶん、東京国立博物館へ行っても、こんなに近くで現物を見ることはできないんじゃないかな、と思うくらい近づいて撮影してくれた写真がたくさん掲載されている。土肌や質感、細かい模様まできれいに見える。この写真集を眺めていると、自分が造った動物陶芸の撮影方法について考えさせられる。立体的なものに対して、全体にピントが合うような絞りの設定とか、光源が反射しないような光のあて方とか、撮影対象が引き立つような背景色の選び方とか。これまで撮影した動物たちも、もう一度撮影し直したくなる。そして、新たな動物陶芸を作りたくなる。特に縄文とか古代とか、高度な技術を使っていないようなものを見ると作意が高まる。埴輪とか土偶の写真が最高だ。本の定価が8800円というのはなかなかの金額のように思えるが、入館料1000円の東京国立博物館に9回行くと考えればとんでもない金額でもない。今年、毎月通うとすれば年間12000円の入館料が必要になるのだから。ましてや僕が住む関西から行こうと思うと、片道の交通費だけで15000円ほどかかってしまうのだから。

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