インド・カシミールの歴史 (ラージャタランギニー)#1-12
325. ようやく、この王が滅んだ後には、家臣の功徳によって、強力な力を持った、都(paura)の者たちが、鶴(baka)という、有力にして、正道のふるまいをする者を、灌頂して王位に就けた。
326. そうなったにもかかわらず、それまでの記憶から、口々に恐れを語る人々は、火葬場に建てられた娼館にいるように、人の守護の住まいに仕えた。
327. 大変な苦しみを味わった状態から、現れたこの王が、多くの人々を生き返らせたのは、者たちを洗うように生き返らせた。渓谷を流れる水が、水を含んだ黒い雲からもたらされ、灼熱の終わりを告げる雨季の日差しに、触れたようだった。
328. ほかの国にやってきたかのように思えるほど、法理が整い、怖れることもなくなったことに、人々は、隠れ住んでいた遠くの国から戻ってきたかのように、思えてしかたなかった。
329. 王は、鶴の主シヴァ(bakeśa)の寺院を、鶴舞い降りる峡谷(bakaśvabhra)につくり、鶴のような川(bakavatī)という水路を引いて、対岸に優れた都市をつくり、いまも名高い、塩の泉(lavaṇotsa)と名付けた。
330. そして、三と六十年、三と十の日数を足して(63年13日)、さらに十三日を過ごして、この、大地の守護は、地上を統治した。
331. あるとき、ヨーガを極めた女で、御前(bhaṭṭā)という者がいて、夜の帳が降りると、可憐な女性の体に変わり、官能を満たして、主のそばにやってきた。
332. 彼女に、魅惑されるように、よしなしごとを言われて、記憶がぼんやりとしてきた、王は、ヨーガの秘蹟の偉大な効果というものを見せたいと言われると、歓喜して、誘いに乗った。
333. 息子とさらにその息子、百人を連れて、次の日、指定の場所に指定の時間に行くと、転輪王である彼は、彼女に導かれ、女神の転輪(devīcakra)の儀式を捧げられた。
334. この神仙の儀式によって、天空に、階段が現れ、彼女が、もろ膝をついたので、その、道しるべの石は、いまでも、見ることができる。
335. 百の骸骨を持つ主シヴァの神が、女神の転輪の儀式を、この石に印したことは、ケーリーの地にある学舎に残して、いまでも、廃れることなく、維持されている。
336. 王妃は、血族という木の球根として、地の喜び(kṣitinanda)という一粒種を残し、その後を、この息子が、三十年の間、地上を治めた。
337. 五十二年と、二か月の間(52年2か月)、地上には、この王の実の子である、ヴァスの喜び(vasunanda)という者が治め、有名な、性愛の正典(smaraśāstra)をつくった。
338. 彼の息子である、二代目の人(nara)が六十年、同じようにして、その息子の、まなこ(akṣa)が、同じだけの年を、治め、豊かな、まつ毛(akṣavāla)という荘園をつくらせた。
339. その実の子である、牛守のアディティ(gopāditya)が、この半島を加えた、地の守となり、各階級の序列と、四住期の務めを尊重して、いにしえのユガを再現したかのようだった。
340. さらに、足の悪い(khola)、小鳥(khāgikā)、ハーディといった荘園、スカンダの町、手足を休める地(śamāṅgāsa)と、寄進などを、王は行った。
341. 最年長の主シヴァ(jyeṣṭheśvara)のリンガを、牛守(gopa)の山の川の近くに設置し、アーリヤの地の出身の者たちに、牛守(gopa)の地を寄進して、この再生族たちの請願を叶えた。
342. 甘草の生えた庭(bhūkṣīravāṭikā)に、ニンニクを口にした者は追放され、編み髪の泉(khāsaṭā)には、自らの振る舞いに欠如があった賢者たちを、譴責して送った。
343. ほかにも、評判の高い国々から招いて、ヴァスチカなどの、清められた寄進地へと、バラモンたちを、住まわせた。
344. 「この世の守護者で最上の者は彼である」という記述が、賛美の碑文にいくつもあり、供犠に必要な場合を除いて、獣を殺すことを許すことはなかった。
345. 日が六日に年が六十(60年6日)、王は、肥沃なこの地を守護して、その見事な実りを味わったのち、美しく整ったあの世へと旅だった。