インド・カシミールの歴史     (ラージャタランギニー)#1-1

さぁ、優れた詩人カルハナが、書き上げた王の大河(ラージャタランギニー)を始めよう

第1河


1. 蛇が広げたフードを飾り快楽をもたらす宝石の美しい光を、その身にまとい、この世を離れ解脱する者に対して、天界のカルパの木のように、願いを叶えるシヴァに拝礼を捧げます。

2. 額に炎の光を刻んでいるシヴァと、額にサフランのしるしを持つラクシュミー、片や、耳を覆って這いまわる蛇が口を広げ、片や、耳を覆うは遊びまわるように踊るイヤリングの数々、攪拌された海から生まれた毒を飲んだシヴァの喉の色は青く、同じく海から生まれたラクシュミーは透き通った喉から出る声の美しさで、胸に抱いた素晴らしい鎧とドレス、身に着けた多くの物が、同じだけの幸運のしるしとなり、その左半身と右半身の手足が一体となっているさまの、その美しさを何と讃えましょうか。

3. 優れた詩人が持つ力は、神露アムリタのせせらぎとなって注ぎ込み、その不滅の名声が向かうところ、しっかりと、自分の名も、(詩に書かれた)他人の名も、残っていくことに讃えあれ。

4. 過ぎ去った時間を、その瞬間、面前に表すことができることができる者は、優れた詩人のほかにおらず、心からの喜びを作り出す豊富な才能は、創造主たちをも退けよう。

5. すべて知るべきことの存在を、目の前に見せることができないとしたら、詩人以外には誰も有しない、神がかった観察力を、誰が知ることができようか。

6. これが長大な詩となったのは、詳細ではないにしても、さまざまな出来事を扱いたいと願ったからであるが、なにがしかの喜びを、賢人たちにもたらすことだろう。

7. 賞讃に値する詩人が、その美点を持って、愛着も敵意も抑制し、弁舌の神サラスヴァティーのように、審理人としてふるまうことで、真実を述べることができる。

8. 先人たちをこれまでまとめてきた物語を、私が再びまとめようとするとき、その動機を明確にせず、顔を背けることは、正直である者に相応しいことではない。

9. あれこれと、人の守護の歴史をまとめたものに目を通して、その方法を評価して、一定の時代を生きた者たちが書き記したことに、注釈を補って、

10. 真実が、どのように、何であり、何によって、いつ起こったかを説明するに相応しくするために、あらゆる方法で漏れている部分をつなぎ合わせるために、私は努力をした。

11. 数多くあるテキストの中から、適当なものを記憶に留めようと、要約した物語にして、スヴラタが数巻の本にして、散り散りとなり失われた王の歴史を描いているので、それを参照した。

12. これらの本の名声は、これを上回る物はなく、過去の歴史に光を当てているけれども、スヴラタの文章は、適切さに欠けて、学問としての鋭さを持つものではなかった。

13. 詩人の作品としての良心はあれども、細心に欠けるところがあって、クシェーマインドラが書いた、人の守護の列伝(nṛpāvali)には、どの部分においても、欠点のないところはない。

14. 目を通したのは、知ることができた、それまでの賢人たちの作品で、王の行跡を参照したものは、私の持つ十一文献で、ニーラ仙の物語(ニーラマタプラーナ)にも及んだ。

15. これまでに大地を抱く者たちが行った、寺院へ奉納を書いた碑文や、功績を讃えた銅板、書物にも目を通して、苦労して、過ちを残らず修正した。

16. 口伝で伝えられているが、失われていた、五十二人の人の守護は、記憶のかなたにあったが、ニーラマタの昔話から、牛の喜び(gonanda)など、四人を見つけ出した。

17. 十二の千連(12,000)に、主の列伝をまとめたのは、敬虔なシヴァ派であった、再生族のヘーララージャであった。

18. その物語の中から、パドマミヒラは、憂いのない者(aśoka)よりも前にいた者を見出し、ラヴァなど、八人の人の主を、その作品の中に記している。

19. 憂いのない者(aśoka)たち、五人の王について、かの、チャヴィラーカラが述べており、五十二人の王の中から、自分のシュローカ詩として、このように語っている。

20. 「憂いのない者(aśoka)から、心に怒りを持つ者(abhimanyu)までの、五人の、地上を愉しむ者たちは、五十二人の王の中から、先人たちが取り出したものだ」

21. この作品は、人の守護たちの、場所と時とにおける、勃興と退行とを、合わせて語ることによって、命を癒す薬として、合理的に調合したものである。

22. 以前にあった無限の出来事を、総見できる、優れた心を持つ者であれば、このように整えられた書物に、心を震わせないことがあるだろうか。

23. 人々のきらめきが、瞬く間に消える儚さを思い起こせば、最も高く、筆頭として灌頂されるものとして、詩が表す感情(rasa)のうち、寂静を論じるべきである。

24. この、少なくない寂静の思いが、水のように流れる、見目麗しい、この文章を飲み干し、耳には、まばゆい真珠となって、明確な余韻を残す、さぁ、この王の大河(ラージャ・タランギニー)を味わわれんことを願う。

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