インド・カシミールの歴史 (ラージャタランギニー)#2-6
120. 彼の性質は熱しやすいものではなかったので、静かに、燃えやすいギーのような、人の守護の座へと、階段を上がっていき、臣下の者たちも、神の定めであれ、人の起こしたものであれ、不幸の階段を上がることはなかった。
121. 心を奪うような、王の性的な魅力の強さを受けると、巣を奪われて、山頂を孤独に飛び交う鳥のように、美しい尻をした女性たちは、麗しい山すそに広がる森の静けさのように、心を落ち着けることができず、騒ぎ立てた。
122. 緑豊かな森に咲く花に、触れれば放つ芳香と、行者のようなカランジャの木の樹脂、樟の葉のさわやかな匂い、神のごとき太陽の光線に触れるとき、王は喜びを感じた。
123. 生類の主(bhūteśa)、増加の主(vardhamāneśa)、最勝の主(vijayeśa)それぞれのシヴァ寺院を参拝をしないと決めたときには、王は、王としての務めに、毎日勤しんだ。
124. シヴァの憩う寺院の川辺に至る階段を、洗い清める水が、米粒のようなしぶきに揺れて、そよ風が、体に触れると、王の姿は、喜びに動けなくなった。
125. 従来の祝祭をすっきりしたものにして、鳴り物がなくとも魅力あるものにし、王は、最勝の主シヴァ(vijayeśvara)のリンガの水で清めることこそを、望みとした。
126. リンガの台座を輪廻のように、沐浴のための水差しの水が回って流れ、立てるせせらぎの音は、横になって憩っていても、笙の音にも勝利するほど、心地よいものだった。
127. 苦行者たちが被る灰と、ルドラの目(菩提樹)でつくった数珠と、ジャタージュータに編んだ髪の毛という、特徴がまるで、偉大な主シヴァ(maheśvara)のもののように、大地の主の催しに集まった者たちには、見えた。
128. シヴァのリンガを千回参拝するという務めを、主は、守るべき約束として、毎日、どこにいても破ることはなかった。
129. それでも、誤ってこれを全うできなかったときには、岩を積み上げて、従者たちにつくらせた、千のリンガのしるしを、至るところで、いまでも、目にすることができる。
130. あちらこちらと、王は、池ごとに、リンガの形をした蓮実を撒き、その蓮の花のような息子に恵まれんことを祈って、その種を一つ一つ置いていった。
131. 場所という場所で、水があればその中に、数えれば多くの種を撒いたので、まるで、シヴァリンガの懸河、その石が取れるナルマダー川がもうひとつ出来たかのようだった。
132. 王は、主だった荘園には、すべてリンガを、設置したのだが、それは、いまや、住僧(parṣad)のものとなり、そのご利益は、時とともに消えていってしまった。
133. 王がつくった、偉大な宮殿、偉大なリンガ、偉大な聖牛ナンディンの像、偉大な三叉槍によって、遠大な、偉大な主シヴァ(māheśvara)の寺院の偉大さを、偉大な大地に、もたらした。
134. まとめた者の主シヴァ(saṃdhīśvara)の寺院を、体をまとめ上げた霊場に建てて、尊師である、制する者(īśāna)の名をとって、制する者の主シヴァ(īśeśvara)の寺院でシヴァを祀った。
135. テーダーと、畏怖の女神(bhīmādevī)と、またそのほかの地域の、そこかしこに、王は、学舎、彫像、リンガ、宮殿など、とても価値あるものをつくった。
136. 始原より生まれたシヴァを、装飾するものとして、数々の聖地で清めた、カシミールの盆地を、この何ごとも知る者は、愉しむことを知った。
137. 沐浴に適した、渓谷を流れる川の水は、花で飾ったリンガの祝祭とともに、王の領地の森と地面を、花で満ちた春の月になれば、満たしていく。
138. そしてまた、もっとも喜びに溢れたカシミールのカルダモン香る夏には、三上天でも得難い、雪のリンガが、ほとんどを森で覆われた先の高地にあって、賞讃され、森の木々に、恵みをもたらしていく。
139. 空洞ができるように開いた花で満ち、月のようなサガリバナで満ちた木々で閉ざされた、水蓮で満ちた池へのスロープに座ると、王は、幸運を味方にして、空洞のある三日月で飾られたシヴァの瞑想に浸っていた。
140. 青蓮の広がる河川や渓泉に、アガスティヤ(カノープス)の星が東の山に昇って、その水を澄ませ、ヒメクグが茂る中を、水浴びして、毒素を抜くように、シヴァを敬いながら、王はときめく思いで、秋を愉しんだ。
141. 勤行する者たちとともに、野菊咲く中を、あれこれと分担して、不寝番の祀りごとをし、衆生が過ごす守護者シヴァの信心で、深々とした冬の夜を充実して過ごした。
142. まことに驚くやり方で王位を得て、こうして、彼の敬虔な崇拝は実を結んだ。五十年に三年不足する期間(47年)、貧困から次第に階段を登って、在位年数を過ごした。
143. しかし、平和にうつつを抜かして、彼が、王の執務を顧みることを、怠るようになってきたので、末期になると、家臣たちも、親愛の情を失うようになっていった。