インド・カシミールの歴史 (ラージャタランギニー)#1-4
84. その後、ラヴァという者が、大地の守護者として、大地を照らすように立ち、その水草で作った美しい衣装は、名声を波打たせて、勝利の女神が愛するところとなった。
85. その軍勢が立てる響きは、この世に、不眠をもたらしたが、敵対する者たちは、おかしなことに、深い眠りにつかされてしまった。
86. 王は、十六の十万が欠けている、一千万(=840万)の石造りの館を建てて、ローローラの大都をつくり出した。
87. レーダリー川にあるレーヴァーラの土地を、寄進地として、再生族の集団に差し出したのち、この偉大さを愉しむ者は、非の打ちどころのない、優れた英雄として、天界に昇っていった。
88. 梳るような睡蓮の美しい目を持つ、その子供は高熱の輝きを、苦心せずに放つクシャと言い、前王の直後に、クルが持ち去った地(kuruhāra)を寄進して、布施者となった。
89. その後、その息子が後を継いで、敵対するナーガの一族に死をもたらし、英雄の栄光の頂点に立ち、栄華を誇った、空を行く者のインドラ(khagendra)は、(ナーガを食べるガルダのような、)地上の主のインドラであった。
90. この王は、空を行く地(khāgi)と空を見上げる地(khonamuṣa)の二つを、寄進とみなしてこれを行い、シヴァのさわやかな微笑をもたらして、買い取った来世へと、階段を上るようにして向かった。
91. その値のつかない偉大さで、高貴尽きないインドラのように、罪障を追い払い、その後、この子供の、神のインドラ(surendra)が人の守護となって、驚くような行いを示した。
92. 片や、百の怒りを持つのに対して、片や、寂として怒りを鎮め、氏族を切り裂くのに対して、氏族を守り、神であるインドラの持つ性質と、神のインドラ(surendra)には、似たところがない。
93. 西の国ダラド(ペシャワール近辺)の国に、神の地(soraka)という名の町をつくって、美しい寺院を設置して、人のインドラ(narendra)の住まうところと呼んだ。
94. 王国の盆地内には、美しさと敬虔さを集めた高層の美しい寺院を建て、美しい水の建物(saurasa)と名付けた。
95. この王は子供がいないまま亡くなったので、ほかの一族の出身である牛の支え(godhara)という者が、大地を支える山の細君である、肥沃な砂洲を支えた。
96. 牛の支えの象の檻(godharāhastiśālā)という地を、寄進し、高潔で思慮深い、王は、これを再生族たちに贈って、その美しいふるまいによって、空へと旅立った。
97. 彼の子供は金(suvarṇa)であり、金を乞い願う者たちに与え、金と宝石でできた放水路を、広がった(karāla)の地に建設した。
98. その息子は、生まれた者(janaka)という名で、従として生まれた者たちの、生みの親の優れた者となって、寺院と寄進をなし、ジャーローラと名付けた寺院を建設した。
99. 支援の人(śacīnara)がその子息であり、この地で、地上におけるシャチー(支援)の主人(インドラ)となり、優れた、力強い忍耐と擁護を持ち、その指示が、違えられることはなかった。
100. 王は、寄進として、寂とした手足(śamāṅgā)と食事のある人(sāśanāra)の二つを行ったが、彼には子息がいなかったので、よく守護する者(インドラ)の占める座に、半分だけ占めることとなった。
101. そこで、ガンダーラの大地の主であるシャクニのひ孫で、父方の大叔父の息子にあたる、憂いのない者(aśoka)が、信義に誠実にふるまい、この豊かな地を治めた。
102. 王は、罪を鎮め、勝者仏陀の教え(仏教)に、深くひざまずき、干し魚の地(śuṣkaletra)とヴィタスター川の地(vitastātra)に、仏塔ストゥーパをまんべんなく設置した。
103. 法理の森(dharmāraṇya)という、仏寺が、ヴィタスターの地の町の中にあり、その仏塔の高いことは、果てまで見上げても、目に見えなくなるほどであった。
104. 彼は、九十六の十万(960万)の、まばゆい輝きを放つ、館を持った、さらに大きな、町をつくって、人の守護は、その素晴らしさに、素晴らしい都(シュリーナガル)と名付けた。
105. 古く朽ちていた、かの、最勝の主シヴァ(vijayeśa)の寺院から、漆喰の壁を除去して、シミ一つない、石造りの壁に、王は、修繕させた。
106. 最勝の主シヴァ(vijayeśa)の寺院の広間から、離れていないところに、さらに建設を行い、寂静と入滅のための、高い塔を二つ、憂いのない者の主シヴァ(aśokeśvara)の塔として知られた。
107. 異教徒が攻撃した地域を、この人の守護は、恭順させて、その、難行に満足した、生類の主シヴァから、功徳としての子供を授かった。