インド・カシミールの歴史     (ラージャタランギニー)#1-2

25. その昔、いまのカルパ(劫)が始まってから、そこには、サティーの湖がずっと存在しており、六番目のマヌの時代には、ヒマラヤ山のふところに位置して、波打つ川に満ちていた。

26. そして、現在の、太陽のマヌの時代になると、神々として、創造主であるリシが、ブラフマー、インドラを上回るヴィシュヌ、ルドラのシヴァなどを顕現させ、

27. このカシャパ仙が、彼らに、水から生れた魔物(jalodbhava)を倒させると、その湖があった場所に、カシミールという盆地をつくった。

28. ヴィタスター川の水が流れ落ち込んで、杖棍で開墾した池から、王の証である、日よけの傘を手にして、すべてのナーガの主である、ニーラが立ち上がると、これを治めていた。

29. スカンダが持つ象の顔が、顔を向けて、その豊富な乳を飲み干し、味わおうとするので、白く輝くパールヴァティーが、そこにやってきたのではないか、と思えるほど、姿を隠して峡谷から顔を出している、ナーガたちに、豊富な水を飲ませようと、白くきらめくヴィタスター川が流れて、適切でないものを取り除いた。

30. ここでは、シャンカ(二枚貝)、パドマ(睡蓮)といったナーガたちが、何くれとない宝石として輝き、二枚貝や睡蓮といった値打ち物をねぐらとするナーガの都は、まるで、宝物神クベーラのそれのようだった。

31. 蛇を食らうガルダを逃れてここに来たナーガを守るために、この地では、山脈がその腕を差し伸ばしているかのように、背後にそびえたっている。

32. 愉悦と解脱の果実を期する者は、木の姿をしたウマーの夫(シヴァ)に、触れるために、悪障を滅ぼす(pāpasūdana)という聖地に巡礼したものだ。

33. 朝と夜が交わる女神(パールヴァティー)は、水気のない山々を流れる水で潤し、聖なるものと俗なるものに対して、近づき、そして遠ざかる知恵を見せる。

34. シヴァのように、自ずから熾る火が、大地の子宮の中から湧き起り、捧げられた供物を、その盛んに燃える火でつかみ、林をも飲み尽くす。

35. 羊(bheḍa)の山の、角にあたる頂上に、ガンジス川の出自があって、そこでは、川の女神パールヴァティーが、自ら、ハンサ鳥の姿となって、湖を泳いでいるのが見られる。

36. 喜びの中原(nandikṣetra)には、シヴァの館のような高楼があり、天界を駆ける者たちが、腰を落ち着け、いまでも、白檀の雫による、祝福を振りまいて通り過ぎていく。

37. さやけき秋の女神(パールヴァティー)の寺院を訪ねれば、すぐそばには、甘い水の川(madhumatī)のさざ波が、音楽を奏でて、詩人が詩を捧げている。

38. 円盤を持つヴィシュヌ、最勝の主シヴァ、長髪のヴィシュヌ、主シヴァなどの寺院で土地は彩られており、聖地でない場所はゴマ粒ほどの広さもない。

39. 神の軍隊に支配されたこの地では、武装した軍隊に支配されることなく、住んでいる者たちは、敵よりも来世のことを恐れている。

40. 寒い時期には、サウナの湿気で健やかになれる、風呂部屋が流れる川の岸辺に存在し、害獣のいない、渓谷の川には、危険なところがない。

41. そこには、熱し過ぎることのない、人々に程よい気温があり、父祖(カシャパ仙)によってつくられたことを重んじるかのように、焼けつく日光は、夏でさえ厳しいものではない。

42. 学識を得る校舎、立ち並ぶ高楼、サフラン、積もる雪、美しい水、ブドウなど、この上ない第三天でも得難いものが、この地ではありふれている。

43. この地は三界のいずれにおいても、宝石を産出することを誇り、布施の主クベーラが住む北の方角には、白く輝く女神の父ヒマラヤがそびえる、そこにこの盆地はある。

44. クル族と、クンティーの子(パーンドゥ族)が、競っていた、カリユガの頃にいた、牛の喜び(gonanda)になるまでの、五十二人の人の守護を、覚えている者はいない。

45. おそらく、カリユガの頃、カシャパの地を愉しむ者たちが、怪しからぬことをしたので、吟じる詩人も、顕彰できる行為を、かき集められなかったのだろう。

46. 枝ぶりの良い、森の木の木陰に過ごし、大きな海に囲まれた地上で暮らすように、腕を差し伸ばし、そばに仕える、大きな力を持った、弁舌の友人がいれば、どこにいても怖れることはない。地上の守護たちの行いも、この、詩人の仕業である、本質的な偉大さの、恩恵がなければ、思い出されることすらない。そのことに、感謝を捧げる。

47. 象の巨頭に足を下ろして休む者、栄光をその手にした者、その目の前に、昼の月の光のように、若い女性たちを王宮に隠し、宿している者、そうした者たちでさえ、まことの詩人の詩作がなければ、世の人は、この、世の象徴たる者たちを、夢にさえ知ることもなく、存在しなかったかのように、盲目の世界となるであろう。優れた友よ、何百回讃えても足りることはない。

48. 六十に八を増やした古さと、百が二十に二つ(2268年)、人の守護たちは、末法カリユガの始まり(B.C. 3102年)から、牛の喜び(gonanda)たちは、カシミールの地を守ってきた。

49. サイコロの二の目のユガ(dvāpara)の最後にマハーバーラタがあったとする記述のために、混乱が起こったが、このことを無視して、経過した年を計算することにした。

50. 主君が在位した年数を足し上げるのに、足し上げた大地を愉しむ者が、愉しんだ時間から、カリユガの時間を引けば、残るものはなく、数字が合う。

51. その後、百が半ダースと半分、三を加えた年(653年)、地上の平原で、カリユガの年数の間、クル族とパーンドゥ族の戦い(マハーバーラタ)があった。

52. 世間(laukika)の暦で二十四年、シャカの暦で相応の年は、七十を越えた、千年(1070年)の年が、いまである(A.D. 1148/1149年)。

53. そして、三代目の牛の喜び(gonanda)から、始まる年数は、おおよそ、二つの千と、三十を加えた百が三つ(2330年)となる。

54. ここから、年数で、十二の百と、半ダースの十に、半ダース(1266年)が、包括した、この失われた五十二人の、大地を愉しむ者たちの時代の合計である。(※2268年+1328年-2330年)

55. 大熊座にある、輝くとさかの七人のリシ(北斗七星)は、数百年の間に、見かけが動き、この移動については、サンヒターの作者たちも、認めているところである。

56. 「ユディシュティラが人の主として、地上を治めていた頃、(七人の)ムニたちは磨羯宮(やぎ座)にいた。下が二十六である二十五を合わせた年(2526年)だけ、シャカの暦が始まるより前の時代に、彼が王であった」

いいなと思ったら応援しよう!