インド・カシミールの歴史     (ラージャタランギニー)#1-3

57. カシミールのインドラである、牛の喜び(gonanda)は、ガンジス川をゆりかごとして、亜麻色の美しい衣装をまとい、カイラーサ山の白銀の燃えるような輝きに囲まれていた。

58. 身の内に、大蛇シェーシャの、毒が膾炙することを、怖れる必要が無くなるようにと、ヴィシュヌの乗り物たるガルダ鳥が、蛇を食べ尽くすこの大地では、主は、離反した従者が謀反する心配もなく、エメラルドの宝石を手足にまとい、愉しんでいた。

59. 縁者である、ジャラーサンダから、援軍の要請を受けた王は、彼の義理の息子であるカンサの敵側であった、クリシュナのいる、マトゥラーの都をこの土地の兵士たちで、取り囲んだ。

60. 王が、スイカの川(ヤムナー)の岸辺に、敵を誰何する陣を整備すると、ヤドゥ族の女性たちの微笑みとともに、(敵の)戦士たちの盛名も閉ざされていった。

61. これに対して、すべての緒戦で敗れた、自分の戦士たちを守るために、立ち上がったのは、鋤を旗印とする者(バララーマ)であり、戦士となった王と向き合い、迎え撃った。

62. 二人の互角な戦いは、長い間続いたので、手に持ったまま、勝利の女神は、最後に勝つ者が分からず、勝者に授ける花冠を、枯れさせてしまった。

63. そして、刺し傷を受けて傷つき、その体を以て、かき抱くように、戦の原に倒れたのは、カシミールの王であり、ヤドゥ族の主クリシュナは、勝利の女神をかき抱いた。

64. いにしえの英雄が進んだ、すばやい死出の進路を、この優れたクシャトリヤも進んだのち、優れた、腰帯(dāmodara)という名の、彼の息子が、地上を支えた。

65. 期待に値する、素晴らしい王位を手にしても、大地の主は、誇り高く、父が殺されたことを考えると、完全な喜びを手にすることはできなかった。

66. そして、シンドゥ川の上流、ガンダーラ国の人々が、娘たちの主人選びの支度をしており、招かれて道を進んでいるのが、クリシュナの出たヴリシュニ族であることを聞いて、浮き立つ暑熱に、大きな枝のような腕を持つ彼は、

67. そして、その怒りが嵩じるあまり、遠くないところに、陣取っている彼らに、対峙しようと、行軍を発すると、その旗幟を立てた騎士たちが立てる、土埃が、空の表面を呑み込んでしまった。

68. この混戦で、結婚の願いは灰燼に帰して、夫を選ぶ儀式は、ガンダーラ国での婿選びではなく、天界の女性たちが行うことになった。

69. そのとき、敵側への攻撃を演じた王は、円盤を武器とする者(クリシュナ)と対戦して、世界という円盤を回す政治の正道を通り、思慮深い転輪王となって、天界に召されていった。

70. この王に身ごもった妻がいたので、ヤドゥ族の末裔たる、クリシュナは、この、名声のような(yaśovatī)という名の者を、王位につけて、再生族たちに灌頂させた。

71. そのとき、自分のそば仕えの者たちが、それを差し止めようとするのを、押しとどめて、甘さ(madhu)を殺した者(クリシュナ)は、この古い言い伝えの、シュローカ詩を持ち出した。

72. 「カシミールの大地はパールヴァティーであるから、女王は、シヴァの分身から生まれたと知るべきである。それが罪深いことだとしても、繁栄を願う賢者は、貶めるようなことをしないものだ」

73. 男たちが軽んじ、性の対象であるかのように、女性を見ていたのが、(即位した)女王を、家臣たちの母として、女神であるかのように見るようになった。

74. そして、月が満ちて、この女王は、聖なるしるしを持った、まるで、燃え続けた木の先に、新しい芽を結んだような、息子を産み落とした。

75. この子に王位灌頂の儀式を執り行うために、一堂に集められた、再生族のインドラたちは、澄まし油(ギー)を舌に3回含ませる生誕の儀(jātakarman)など、必要なものを執り行った。

76. 人のインドラとしての栄光とを一緒に手にした、小さな大地の主は、牛の喜び(gonanda)という名前を、祖父から子孫へと、順当に受け継いだ。

77. 幼い王のそば近くには、二人の母代わりが、彼の成長のために控えており、一人は、乳をたくさん含ませ、もう一人である大地は、すべての成功を託した。

78. この王の汚れのなさを無駄にしないために、これを守ろうと、父王の大臣たちは、そばに付き添う者たちに、彼が理由なく笑ったときでさえ、褒美を与えた。

79. まだ子供である彼の不明瞭な話を、理解できず、従うことができないとき、役人たちは、罪を犯したように、自分のことを責めた。

80. 父王の獅子座に座ろうと、上っていった、小さな大地を愉しむ者は、足が届かないので、足置き台を取らないようにと、首を伸ばして願うさまであった。

81. カラスの羽のようなおさげ髪が、払子の扇ぐ風で揺れるままに、人の守護の座に座り、大臣から、家臣たちの法理の疑義による裁判を、聞かされていた。

82. このようにして、カシミール生まれの王は、その少年時代を過ごしていたので、クル族とパーンドゥ族の戦争に支援軍を出すことは、なかった。

83. 伝写本が散逸して、失われたので、それ以外の正しい名前は、三十五人の地上の守護者については、忘却の海に沈んでしまった。

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