インド・カシミールの歴史 (ラージャタランギニー)#3-6
125. その頃、覇を争うもののない武の国ウッジャイニーに、かの優れた、歓喜(harṣa)という二つ名を持つ、国で唯一の王たる傘を持つ転輪王、勇猛のアディティ(vikramāditya)という者がいた。
126. この大地の守護に、驚くほどの愛情を、幸運の女神が、激しい執着で注いだので、シヴァの四本の腕と、四つの大洋への愛情にさえ勝った。
127. 幸運を分け与えることは、それだけ、徳が増していくので、かの王の持つ優れた徳は、いまでも、遮るものなく首をもたげている。
128. 異教徒を挟撃するために、豊かな大地に、シヴァの化身とした生まれた王は、シャカ(śaka)族を滅ぼすことで、神がなすべき職責の荷を軽くした。
129. さまざまな国外にその名を知られ、徳を容易く得る人の守護には、詩人で、母の庇護(mātṛgupta)と知られた者が、頻繁に人が侍る王の、近くで仕えていた。
130. この詩人は、深遠な、大地を抱く者が持つ隠れた力に、非常な驚きを覚えて、さまざまなステージで成長する彼を、観察して考えた。
131. 「この、傍に座っている、地上の守護者は、優れた資質で、徳ある者たちの愛するところであるのは、この地上を愉しむ者の、過去生の功徳によって、獲得したものであり、過去の王たちに勝る」
132. 「この王には、本質を考察する学者も、供犠を主宰する司祭も、聖典を収集する僧も、おそらく、手を合わせることなく、願いや功徳を与えられるだろう」
133. 「心を割って説明するときには、自らの目的を目に見えるようにし、その知性が縛られることなく、悟る力は敬うべき女性のようだ」
134. 「油かすのごとき者の物語に耳を貸さず、相応しいこと相応しくないことを篩にかけて、自分の美質は、価値のないことに、出仕して、費やされることもない」
135. 「非難される者、無学な者と、肩を並べるような者たちを手元に置くことなく、生きながら死んでいるかのような者たちが面前にいて、その徳に気づかないような者もいない」
136. 「生まれ持った敬うべき資質によって、王からやんごとなき地位に上げられた者たちは、愛情を寵愛として捧げて、高貴な地位に立った者たちから、その出世に、嘆きやため息が漏れ出ることはない」
137. 「このように、秀でた者たちを把握して、自分の目的に相応しい適材とし、その内心を知って、すべてを組み合わせ、その力をさらに強くしている」
138. 「宮仕えで、つらい目にあい、寵愛を受けんとして、疲労が生まれるようなことは、王の臣下にはなく、ヒマラヤで冷えた雪を売るように、意味のないことである」
139. 「不実に語られた徳は成就することなく、大臣は争いを好むことなく、誤って同意することや、時機を選ばず執着することは、この偉大な主の家臣にはない」
140. 「ことごとしい言葉づかいであったり、お互いに、じゃれ合ったり、弱点を攻めたり、他人の引き立てを嫉妬したり、集団でつるんだりすることも、王の従者たちにはない」
141. 「見せかけの賞讃をする者、自分の知性を自讃する者、あらゆる知識があると盲信する者たちに、大地たる主は、関心の顔を向けることはない」
142. 「この王が、従者と親しく話せば、豊富な内容で功徳に満ちており、中途で割り込んで、話しを奪う、素性の悪い薄情者は、まったくいない」
143. 「あらゆる罪や過ちと無縁な、この、人の守護にお仕えすれば、私が得ることのできる功徳によって、自分の宿願をその手にすることができるだろう」
144. 「深い心、美徳を知り、不動の悟りを持つ、この、大地の主は、苦しみや怖れを打ち払い、私がお仕えするに、相応しいお方に思える」
145. 「それでも、この王から素晴らしい褒美を与えられなければ、ほかの主人への尊敬に染まるべきであり、私が仕えるべきお方は、この大地の平野を探索して、ほかに探すべきだろう」
146. そう考え併せて、決心した彼は、生まれ変わったように、王の広間で、敬意を示して恩寵を乞うこともなく、徳ある者たちの集いがあってもその中に入っていくことはなかった。
147. 慎みながらも、諸々の社交の徳を見せるこの詩人に、主は、優れて相応しい知恵を発揮するために、自分の機会を待っていることに気づいた。
148. 王は「この、徳の器として大海原のような敬うべき人は、出世させて、処遇するのに値することを、その深い言葉で語っている」と考えていた。
149. そのように考えた、王であったけれども、この詩人の内心の考えを知るために、これを試すために、出世させて処遇することを、しなかった。
150. 詩人は、彼を出世させて、処遇しようとしない、この人の守護のことを考え、自分の願いを実現しようと考えて、思慮深く、喜んで出仕にいそしんだ。
151. 次第に積み重なるように、この思慮深い詩人の出仕が行き届いたので、不安に感じることもなく、自分の体のように、大地の主は感じた。
152. とても短い時間そばに仕えることも、とても長い時間いることもなく、秋の月夜の時分のようにちょうどよい長さだったので、王は、すっかり、満足していた。
153. 宮中に仕える者たちの戯言にも、門の入口を張り番するの者たちの変わり身にも、王の間に詰める者たちのその場しのぎの誉め言葉にも、詩人は動揺することがなかった。
154. 話しかけられる機会を得るために、陰に入った石のように喜んで動かず、寵を争う者たちのように、知らん顔をされても、主に怒ることはなかった。
155. 王の女官たちに色目を使うことなく、王に二心ある者たちと同席せず、王のいるところで卑しい者たちと語らず、時機を心得た行動を詩人はとった。
156. 自ずから、王の周囲にいる者や親戚たちは、王の中傷を言うものだが、彼から王を非難する言葉が出ることは、陰口で暮らしている者たちも聞いたことがなかった。
157. 敬意が揺るぐことのない詩人に、毎日、主から、無駄なことが多く命じられたが、努力を堕することなく、努力して務めに耐えていた。
158. 他人の優れたところでさえ、愛着を持って述べ、執着のない詩人は、自分の知識を惜しげもなく披露し、議場にいる者たちの琴線を揺るがした。