断捨離祭り

『今日なにするの?』と夫に聞かれて
『断捨離!』と答えると
『なんかいっつも断捨離する!って言いながらぜんぜん進んでる気がせーへんのやけど。てか毎回断捨離する!って聞いてる気ぃするわ。どんだけ断捨離好きなん』と夫。

言ってくれるじゃねーか。
わかってる。
何年も前からずっと断捨離したい!と言ってることも。してはすぐにやめてしまう自分も。

断捨離したい。でも夫も自分でも呆れるくらい苦手な断捨離。
だったんだけど、敬愛する坂爪圭吾さんの影響を受けてか最近はこれでもかと物を捨てまくっている。


【1年間使ってないものは捨てる】
【誰かのためのものを捨てる】
【好きではなく楽で選んだものを捨てる】

坂爪さんはそんなようなことを言っていた。
周りを見回してみると棚にしまわれたものなんてなんだかそんなものしかないような気がして白目で気を失いかけた。

大切にしまってあるものもあれば、その場所になんとなくおさめてあるものもある。なんとなくおさめられて使われないものたち。
うぅ。ごめんなさい。
ずっとそこにいたんだね。

最初は服から捨てた。
元々そんなにたくさんの服を持っていないのにときめかない服がたくさんあった。
下着もまあまぁ捨てた。

人からもらった手紙や思い出の写真もさよならした。
見返したりしないのに捨てないのは【捨てたらその人が悲しむかも】みたいなわけのわからないものがくっついていたのが捨ててみてわかった。

いや、悲しまねーし。
てか、悲しんでもいいしね。
自由。

そして当たり前だけど捨てたからといってその人への気持ちが変化することはない。
むしろ思い出に執着してるのか安心してるつもりになってるのか、生身のその人との【今】を大切にできてない怠惰な自分に気づいてゲボ出た。

思い出は時に私を癒したり勇気づけたり切なくさせたりいろんな感情を与えてくれたりする。それは彩豊かではある。
けど本来の思い出の活かし方ができてないことに気づいて。むしろ今を大切にして生ききれたらそれすらもいらないんじゃないかって。どうやったって思い出は増えていくんだから。執着しないでいい。安心なんかしてやるもんか。

捨ててくとわかる。
本当に大切なものなんて僅かだし人はそんなにたくさんのものを持てないということ。


そんなこんなで断捨離が思いの外進んでるんだけど。
まだまだ断捨離できそう!と思える自分が出てきてびっくりしてる。

大切なものを大切にする。

と言えば聞こえはいいけど、今まで本気じゃなかった自分に気づいて
自分の冷たさに触れて

【やっぱ私っていい人なんかじゃないじゃん】


ってちょっと笑っちゃってる自分がそこにいた。



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