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超自分派という選択

世の中には、自然派とかナチュラル思考とか丁寧な生活(ロハス?)などというものがある。ほぼ、こういう言葉って意識高い系が使っていたりする。

あと、出産して子供の健康に心が傾く時期に無農薬とかオーガニックを高らかにうたう人達が近づいてくることが多い。

自然に優しいというのは高尚であり、地球を救う的な謎の満足感を人に与えるのだろう。

そんな渦に巻き込まれつつ、一時期そちらにも傾倒しつつ。
カミングアウトすると、私自身も○○派生協とか、○地を○る会とかに入って食材を買っていたこともある。

だが今は、超自分派で有ることを宣言したい。
悪く言うと某緑の方と同じく自分ファーストな生き方をしている。

自然に無理なく、自分に優しく。心地よくが私の生き方だ。

今日はこれについて、少し語ってみたいと思う。
超自分派というのは、自己中ってことでは無い。
「自分が心地よいと感じる生き方を選択する」これだ。
ただ、大前提として人様に迷惑をかけない、押しつけはしないがモットー。

自分軸で生活していても、自己中だと罪悪感を感じるので不愉快になる。
心が罪悪感を感じる状態は、自分に優しく無い。
だから、自分に優しく。他人にも厳しくなりすぎないがモットーだ。

さて、具体的にどんな生活が超自分派かというと・・・。

1年を通して、手作り出来る食材は手作りする。
梅作業や、味噌造りもする。
そういうと、丁寧な生活されてますね!材料もこだわっているのでしょ?
と言われるけれど答えは「NO!」。

自分の好きな味の梅干しを食べたいだけ。
味噌も、美味しいから造るのであって材料にはこだわらない。

だから、材料費が安く挙がれば万々歳なのだ。
自分軸で美味しいものを求めてるだけ。
イコール、自分ファーストなのだ。

最近は、洗剤にもこだわっている。

数年前から使い始めたこれ。
リンク先を読むと、反吐がでるほど(失礼!)ナチュラル思考全開なんだが。私は、自然に優しいからとか、そんなのはどうでもイイ。

香りが良いし、すすぎも楽だし、洗い上がりも汚れ落ちも良い。
強いて言うと、冬になるとカユカユする合成洗剤が苦手なのも理由の1つだ。ついでに、洗い上がりにほんのり香る天然の香りが良い。

昔から、冬になると合成洗剤で衣類を洗うと「カユカユ」になる。
そういう体質らしい。父も母も同じだったから、実家も冬は洗剤を変えていた。そういう方は、思いのほか多いのでは無いか。

ちなみに、過去に使っていたものを挙げるとこんな感じだ。

例えば、シャボン玉石鹸のスノール。
良いんだが、溶けにくい。
あのクッソ寒い真冬に、洗面器で丁寧に溶いて投入とか面倒過ぎた。
結果、使わなくなった。
イコール、自分に優しくから使わない。

で、サラヤのアラウ。
かなり長く使っていた。
香りも良い、カユカユにならない。
液体の方だったから、溶け残りも無し。

でもさ、これ。
汚れ落ちがよろしく無い。
肌に優しいと、汚れ激落ちは両立出来ないらしい。

結果、夫のYシャツのえり首をウタマロでゴシゴシやってると・・・。
やっぱり手が荒れる。うーん、アタシに優しく無い。

途中、マグネシウムの粒の入った袋を入れて洗うってのにもトライしたが。
洗えば洗うほど、白いタオルが黒づんで行く。
なんか、ズタボロの雑巾みたいになった。
洗っても綺麗にならないのは、論外だったから捨てた。

で、出会ったのが上にリンクを貼ったアレ。
当然、激落ちのえり首袖の洗剤も夫のYシャツに塗りたくっている。
だから、すすぎ0回洗剤だが。
当然すすぎも入れてる、地球に優しくないじゃん!
意味なく無い?
とか言われそうだけど。
別に良いの、地球に遠慮してコレを使ってる訳では無いから(笑)

そう、これが超自分派。

野菜も、中国産は少し心配だが。
国産だったら、お安いものも普通に買う。
別に、スペイン産のにんにくとかも普通に買う。
チリ産のぶどうだって買う。

良く農薬を気にする人がいるが。
実際農業で、農薬除外し。
国内生産の野菜全てを無農薬に変えてみたら大変なことになるよ。
スリランカがそれで破綻してるじゃないか。

農薬を使う基準はとても厳しく。
出荷○日前からは、散布はしてはならない等。
消費者の口に入る時には、無害なレベルまで持ってきている。
そういった配慮の元で、流通に乗せている。

まあ、テマヒマ掛けて作った強烈に高いお野菜を、有りがたく毎日食べられる財力の有る方はお好きにしてくれれば良いと思っている。

アタシは、安全さえ確保されていれば問題無い。
残留農薬があっても、害が無ければ良い。

ただし、小さな体のペットには無農薬とかオーガニックを選ぶけどな。
人間の基準だと安全という保証は無いから。

大量に消費するものは、お安く!
まあ、そこまでも自分ファーストな訳だ。

自分ファーストと言えば(笑)
実は我が母は、新興宗教の信者だ。
驚く事に幹部やって、講師なんてのもやってる。
彼女はいつも他人軸で、生活している。

だから悪い事が起きれば「私の心が呼び寄せた結果」と納得し。
原因を考えては反省している。
反吐が出そうだが、良いのだ。彼女がそれで良ければ。

ちなみに、母は自分に非がみつからない不幸が襲った場合。
「そうか、これは過去世で私が積んだ業が今出て来ている。
 これで、業が消えた感謝感謝!」となる。

個人的には、本当にこれが嫌いなのだ。
この考え方で子育されたから、私は捻くれているのかも知れない。

彼女は信仰することで、心の平穏を保っているので。
好きにやってくれれば良いが、こちらに押しつけはノーサンキューである。
当然、その旨は本人が泣こうが喚こうが「嫌いだ」と伝えている。
そこは、超自分派としては曲げられない。

でも、母の信仰は突っぱねない。
宗教のお誘いには「ありがとう」と言い。
母が喜ぶなら、帰りにお土産の1つも貰えるので暇なら顔を出す。
本を送りたいと言われれば「ありがとう」と言って受け取り。
廃品回収に回す。エコである。

読んでくれたか聞かれたら
「素晴らしかった、心が豊かになったよ」と言っておく。
あっ、別に読んだって言ってないからさ。嘘じゃ無い。
超自分派だ。

自分を大事に出来ない人は、他人を大事にする余裕はない。
これが、私のモットーだ。
ゆるーく、楽しく。風当たりをやんわり除けつつ、生活していく。
それで、良いじゃ無いか!

心に余裕がある時は、自分が嬉しくなるから自分の為に善行をする。

車椅子の方のお手伝いをしたり。ご高齢者の方の荷物を持ったり。
色々と、押しつけにならない程度に幸せのお裾分けする。

重箱の隅は、つつかない。
くるしくなるから。
見たく無いものは、取りあえず見ずに置く。

半世紀生きてきて、知恵が付いたような気がする。
皆さんにも、超自分派をお勧めしたいと思った今朝の出来事だ。

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やまゆき
大変光栄です!ありがとうございます❤️