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お墓探し2【レアケース】

さて、前回書いたお墓探しのレアケースを受けて今回も書いていこうと思います。前回書きましたお墓は、同居していた祖母の義母さんのお墓でした。

今回は、祖母の実母の墓を探した時のお話をします。
結論から言いますと、未だ曾祖母のお墓は不明です。
一体どこに眠ってらっしゃるのか、まだまだ彼女を探す旅は続いています。

数年前、コロナでステイホームが騒がれた頃。
結婚してから、中断していた先祖探しを再開しました。
現金な物で、切っ掛けはコロナの給付金10万円でした。

そう、それを先祖調べにつぎ込もうと考えたのです。

諸々は端折りますが。
高校時代から気になっていた、曾祖母のご実家を戸籍と電話帳。
そして、web検索から見つけ出しました。

偶々、昭和20年頃に生まれた方の出生地の場所に今もお住まいだった。
しかも、ご商売をされていてお名前が確認出来た。
そんなラッキーが重なり、事情を書いたお手紙をお送りしました。

内容としては
「そちら様が、曾祖母のご実家に当たるのですが。
 彼女は、末娘を出産後に産後の肥立ちが悪く赤ん坊共々実家に療養に戻り。そちらで亡くなっていると聞いています。
 我が家のお墓には、入ってらっしゃらないことから未だに実家の墓に眠ってらっしゃる可能性があるかと思いお手紙致しました。
 可能ならば、お墓参りに伺いたく。曾祖母の菩提がそちら様にあるのか、無いのかをお教えいただきたい」
そんな内容を書いた記憶があります。

お手紙が届いたと思われる日から、月単位経ってもお返事は無く。
「怪しい手紙」と思われたか「対応したくない」と思われたか。
諦めていた頃に、お電話がありました。

高齢の為、中々動けず。
お待たせ致しましたという丁寧な会話から入り。
お寺にお子さん達と行って下さったこと、お墓も確認いただいたとのことで恐縮しまくりでした。急いで、お礼の菓子折をお送りしました。

結果は「我が家の墓には居られませんでした」「お寺様の過去帳にもありませんでした」とのこと。「お子さん達がいらっしゃるとのことで、どなたかがお骨をお持ちになったのではないでしょうか」そんなお答えでした。

こんなに丁寧にご対応いただいた裏側には、不思議なご縁がありました。
曾祖母には、実は結婚前に私生児に当たる子供がいました。
ご近所の男性と恋に落ちたのでしょう。
ただ、親同士の話し合いが着かなかったらしく子供は母親の家である曾祖母の戸籍に「○○の子」として入籍しています。

曾祖母は、その子を置いて曾祖父のところに嫁入りしているのです。
戸籍を取得するまで、全くそれについて知りませんでした。
祖母には、父違いの兄がいるということになります。

その方は、ご実家の都合なのか遠い場所に養子に出されていました。
その父違いの兄が、晩年。
家族を連れて、1度実家のお墓を拝みたいとやってきたというのです。
その対応の経験があり、お墓というものは人によっては遠路はるばる子供や孫など一族郎党を連れて訪問するほど大事な物。というご認識が、ご当主様にお有りで丁寧なご対応をいただいた様なのです。

他にも、どういう親戚か分からない男性が大変親切にしてくださって。
血縁というものは、大事だと思っていると言うお話もいただきました。

その際、一族郎党を連れてきた方と。
親切にしてくださる親戚。
このお二人が、どういった関係か分からないのでご存じなら教えて欲しい。
というお伺いもいただきました。

先祖調べをしていた関係で、会話の中でお二人と、ご当主様の続柄は直ぐに分かり。ご説明できたのは、私としても嬉しい出来事でした。

お二人とも、私の曾祖母に関連する方で。
一族郎党を連れてきた方は、曾祖母の長男。
良くして下さった男性は、曾祖母の三男。
不思議と、早く母を亡くした子供達は母の実家に出入りしていたようです。

そんなこんなで、調べは振り出しに戻ったのですが。
親戚中に話しを聞いて、初めて分かったことがありました。

1970年代初頭に、曾祖母のご実家でご不幸があったそうです。
葬式に参列するために、曾祖母の子供達が駆けつけたそうなのですが・・・。そこで、ご当主様からお叱りがあり。
「お前達、いつまで母さんを実家に置いて置くんだ!」
そんな言葉を投げかけられた事が有ったそうです。

ということは、この時に誰かがお骨を持ち帰った可能性はあるということでしょう。葬式の後には、納骨がありますから。
そのタイミングで、お骨を取りだして誰かが引き取ったと思えば辻褄が合います。そう、1970年初頭まではご実家の墓に眠られていたのです。

それから50年と少し。
どこでご供養されているのか・・・。
既に、どのお宅も代替わりしており連絡もつかないお宅が多く。
何か仏事がある時に、聞こうと思いつつ、未だにお骨の行方は分かっておりません。少しずつ、お骨について聞いていくと範囲は狭まっては来ています。

ほぼ、あのお宅だろうな・・・。
というところまで狭まったので、近いうちに聞いて貰える様に母に頼んであります。電話だと、出ないお宅なので(苦笑)

私が目を付けている、二女のお宅になければもしかすると・・・。

長男が晩年来た時に、子供達が誰も連れて行かないと聞き。
それでは寂しいだろうと、連れて帰った可能性もゼロでも無いのかなと。

とすると、高知に渡った長男さんは連絡先すら分からず。
ただ、四万十の辺りにお住まいだった程度しか分からず。

なぜ、遠い遠い静岡から、高知に養子に出されたのか。
養子先の名字を名乗らず、生まれた家の名字を晩年は名乗られていたのか。
謎はどんどん深まる気がしています。

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やまゆき
大変光栄です!ありがとうございます❤️