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先祖は武士だったと聞いた(必要な知識かも知れない話)

意外と多くのお宅に
「我が家の先祖は武士だった」という言い伝えが残っています。
かく言う我が家にも、そんな話が残っているのです。

先祖調べを始める前の私は「武士=戦国武将」みたいなイメージしか無かったのです。あ、普通にお城に登城する武士のイメージもありましたよ。
一応ね。

ただ、先祖調べをしていくと戸籍の塗布(消して文字が見えない状態にすること)で「族称」が消されているけれど。
時々、塗布忘れで見えたり。
綺麗に消えていないので、書いて有る物が想像出来たりする。
そんなことが話題になったりすると・・・。

我が家って本当に武士だったの?っと疑る心が湧き上がってくるのです。
そう思った時、武士ってどういう人を言うのだろうと謎に思ったのです。

同時に、戸籍を取得して行くと・・・。
明治期になると、平民の家と士族(武士)の家が婚姻していたりする。
婚姻って、家柄がつり合う様に、親同士が決める物なんじゃないの?と謎に思ったりします。

さて、ここで考えてほしいのが江戸期の武士というのはどういった物なのかということです。
① 江戸幕府に仕える役人である武士
② 藩主(大名)に代々仕えた藩士である武士
③ 藩士である武士に使える武士(陪臣)
④ 郷士と呼ばれる、地元採用の武士

こんな感じに分類出来ると思うのです。
江戸時代はご存じの通り、平和な時代でした。

武士として体を鍛え武芸に磨きを掛ける一方、武士は事務職・料理人・裁判官みたいな感じで武士=戦うとは全く別で、藩(幕府)を支える歯車の一つになっていきます。

武士だったという方でも、調べると奉行所にいたとか。
台所番だったとか。
色々有るはずなのですよね。

幕府ではなく、大名に仕えた人達は「お国替え」ということも時々あり。
藩主である大名が、転勤(お国替え)を命じられると、代々仕えていた武士は藩主に伴われ新天地にお引っ越しとなります。

イメージとしては、これですね(笑)


この人達は、いわゆる上級武士・または中級武士程度になります。
代々武士として、世襲制が許されています。

そして、最後に郷士と呼ばれる人達です。
先に書いた、上級・中級武士達が地元(領地)で雇ったのが、いわゆる郷士といわれる下級武士です。
但し、郷士は今で言う所の非正規雇用に近いイメージです。
一応、藩からの雇用であるのが陪臣と違う所です。

この人たちは、一般的に一代限りの登用とされています。
※藩によっては人材不足で世襲制に近くなっている土地もありました※
この人達は、基本的にお国替えになったら解雇になります。
藩主の新天地に、着いて行くことはなかったようです。

明治に入って、郷士である下級武士達は卒族と呼ばれ平民になる方が多かった様です。文字通り、武士であることを卒して平民になりました。
私の先祖が、このケースです。

最後に、陪臣と呼ばれる人達。
これは、藩士の家来になった人たちです。
藩士は、いただいているお給金立場によって登城する際に「共をする従者」を連れていく人数が決まっていたのです。
その時に連れて行く者も、武士である必要があったようなのです。
その武士達を陪臣と呼びます。

藩からお給金を貰っている者は、藩の給料支払い明細である分限帳に名前がありますが。陪臣は藩士からお給料を貰っていましたので、藩からはお金を貰っていません。ということは、分限帳に記載はありません。
お殿様にお仕えしていたのではなく、武家である○○家にお仕えしていたというイメージでOKです。

同時に、武士ですから平民から税金(年貢)を徴収するために作った宗門人別改帳にも記載はありません。先祖調べをする方が、尤も苦労するタイプのご先祖様です。

ちなみに、なぜ明治政府は武士を、士族と卒族に分けたのか。
謎に思う方も多いのでは無いでしょうか。
武士は基本、藩主にお給金を貰っていました。
しかし、廃藩置県になり藩は無くなり。
武士は、今で言う失業状態になります。

明治新政府は、元武士が生活が立ちゆかず暴動を起こすことを恐れたというのです。そこで、武士だった者を「士族」として分類し。
しばらく、今で言う失業保険的な保証金を出していたようです。

だからと言って、地元採用の武士まで生活保障をしたらトンデモ無い金額の出費があるというので。地元採用なら、地元に家族も親戚もいるし。どうにでもなるでしょ?と思ったかどうか(笑)
卒族として、平民扱いにして失業保険金は出さなかったようです。

ちなみに、あれ?藩主はどうなったの???
と、思われる方。
大名は士族ではなく、基本的に華族として分類されました。

彼等の殆どは、政治の世界に身を投じ、経済にも明るく。
明治に入って、国内の発展に尽くされた方が多いということで知っておいていただけたらと思います。

そんなこんなで、武士だった家は明治以降没落を辿る家も多く。
才のある方は、その才を生かし企業を興したり、財を成したりしていくようです。

元々、江戸末期には武家は家計は火の車だった家が多く。
豪商などに、借金をしていたりと。
商人や、豪士に頭が上がらない状態だったらしいですから。
本当に身分では何も分からない、カオスな時期だったのでしょう。

江戸末期生まれの高祖父は、地元採用の元藩士(郷士)。
その息子の曾祖父が恋した相手は、地元名士のお嬢様。
明治末期のお話。

結婚の許しを請おうと、お宅にお邪魔した所
「どこの馬の骨か分からない男に、大事な娘は嫁がせられない」
とお断り喰らったと言う状況だったようです。

江戸末期なら、郷士とはいえ武家に嫁入り出来ると言えば。
二つ返事で嫁入りを許されそうなのに。
難しいな・・・と思った私がいました。

以上、武士色々を書いてみました。
私が郷土誌などを読み込んで、書いた内容ですので・・・。
間違いが往々にあると思います、もし違う部分がありましたら是非ともご指摘いただけると嬉しいです。

ここまでお読みいただいて、ありがとうございました。

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やまゆき
大変光栄です!ありがとうございます❤️