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ファミリーサーチからの贈り物(志賀廼家弁慶)
先祖調べをしている方々には、かなり有名なファミリーサーチというサイト。某宗教団体が運営している。ここに登録して、戸籍などから1人1人生年月日などを入れていくと自動的に家系図が出来上がります。
しかも、全く知らない誰かが入力した情報と入力データが被った場合。
「このご先祖様は、こちらの方が既に登録されていますよ」と教えてくれます。都合、知らない親戚を掘り出してくれる事も多々有ります。
これで、傍系さんの家系がバーッと出て来たという方も存在します。
無料だとはいえ個人情報の最たる物である戸籍からの情報を、しかも宗教のサイトに入力して大丈夫なのか。と最初は心配しました。
しかも、こちらのサイトは海外のサイトでして妙な機械翻訳で登録して大丈夫かなと・・・最初は思いました。
ちなみに海外のベーシックな宗教について、補足しておきます。
日本は、八百万の神を心のどこかで信じているところがあり。
しかも、葬式仏教のお宅が多く。
本気で信仰しているというと、危ない人かなと思いがちです。
しかし、海外は多民族国家が多く。
それぞれのアイデンティティーが違います。
アイデンティティーの元になるのは、信仰に基づく物で有ることが実は多いのです。ですから海外は、基本的にどの家庭も信仰があり。
相手の宗教を聞く事で、生きていく上での基本理念が分かる。
そのくらいの位置付けになります。
当然、宗教ごとのタブーもあり、付き合う上では相手の信仰を知る必要があるのです。ですから、初対面で信仰を聞くのは普通だったりします。
私も、何度か海外で自己紹介をした際に信仰について聞かれました。
日本人の様に信仰を持っていないというと
「善悪の判断が人間の本能に任せた物になるので怖い」と思われる様です。
信仰がある=信頼できると言う方式が成り立つと私は言われました。
ですから、日本人の感覚で宗教に対する警戒心は持たなくても大丈夫な様です。実際、使い始めて年単位経過してますが今の所トラブルはありません。ですので、登録をお勧めしたいと思っています。
ご心配な方に、もう一つ書いておくと。
日本人もお盆やお彼岸になると、ご先祖様に手を合わせますよね。追悼供養とも言いますが。ファミリーサーチに登録しておくと、知らない誰かが自分の情報から先祖を見つけた場合。
時々、勝手にご供養されるときがあるそうです。
でも、これ。皆さんが、お墓に手を合わせるとかお寺様に行ってお経を読んでもらう様な感覚で大丈夫だと思います。知らない言葉、知らない宗教で先祖を何かされると気持ち悪いという感覚を持つようですが。
悪用はされていませんし、ご供養してくれているので個人的には良い事だと思うようにしています。
前置きが長くなりましたが、ここのファミリーサーチさん。
全世界の色々な先祖調べに関する情報もお持ちでして、図書館などもあるようです。自分の家系図も、入力すればデータベースに残り半永久的に保管されるので後世に残していけるという利点もあります。
しかも、ファミリーサーチが持っているデータベースと、自分が入れた情報が合致した場合はお知らせもしてくれるという非常に親切です。
難点としては、日本語の検索ベースが、かなり滅茶苦茶で余り使えないのが少し痛い所なのは先に付け加えて置きます。
「静岡」と検索しても、もれなく無関係な全国の情報が出て来ますので。
そんなファミリーサーチに登録して半年くらい過ぎた所でしょうか。
「家の家系は、どことも繋がらないのね」
ガッカリしていた所。
『この情報は、あなたが登録した〇〇〇〇さんの情報ではありませんか』
と言う様な、お知らせが表示されました。ドキドキして、情報を開くと・・・。
英語の筆記体で書かれた古い書類でした。
必死に読み込むと「渡航書類」のようです。
静岡県出身で、仕事でサンフランシスコ(ロスだったかな?)経由して渡航する。という内容で、書類はトランジット(経由地)のアメリカまでの渡航書類だったようです。分かり易く言うと、出国の為の書類です。
ただ、1つだけ引っかかったのが渡航記録には本籍地は現在の静岡県東部のある地名。戸籍では見た事の無い住所でした。
ファミリーサーチの出してきたお名前は、夫側の傍系さんと同姓同名の方。
夫の母側で、彼の曾祖父の弟さんでした。
父の弟や、祖父の弟くらいまでは調べようとは思いますが。
さすがに、曾祖父の弟まで行くと調べる対象から外れるのですよね。
しかも、この時代は兄弟姉妹が多い。
その方のお名前が、私の記憶では薄かったので、戸籍を引っ張り出して確認すると。1つの戸籍に53人もいらっしゃる、超大所帯戸籍の中のお一人でした。そりゃ記憶に薄いはずだわと苦笑いしました。
まずは手始めに、夫の母君に聞き込みをしてみたのですが。
その人は知らないとのこと、まあそうでしょうね。
その代わり、実家の家業などを教えてくれました。
「実家は、塗り職人よ。漆塗りね、下駄とか、神社の鳥居とか塗ってたよ。
父は全国各地に普請の為に飛び回ってて、家にほとんどいなかったの」
そう教えてくれました。
義母曰く。
祖父さん(夫からは曾祖父)は家の裏で作業して下駄を作り。
表のお店で売ってたという商売をしていたの。
それだと、そんなにお金にならないので父親は(夫からは祖父)大きな仕事(神社の修繕など)をするようになったらしいよ。
聞いた感じでは、この家族は海外行くような仕事はしそうにないな。
そもそも、当時。
漆塗りの需要って海外には無いだろうと私は思ったのです。
所が、母君曰く。
ハワイからも普請(日系の神社とか)で来て欲しいって話も有ってね。
とのこと。それなら、渡航申請する可能性はゼロでは無いってことか。
ということで、本格的に調べて見る事にしたのです。
そこまで確認してから、戸籍を開いて見ました。
すると、その方は大正期に京都に分家していたことが判明。
渡航申請出した時期には、もう京都に住んでいたはず。
これは絶対に、別人だよな。
取りあえずは、ファミリーサーチから提供された情報は同姓同名さんの渡航申請で赤の他人とは分かったのですが・・・。
同姓同名の身内が、静岡から遠い京都になぜ分家していたのか?
その辺りは興味が湧き。郷土史を読む事にしました。
何か、情報がわかるかも知れませんので。
個人的には、下駄屋さんをやっていたのでお店の情報が有れば嬉しいなという感じで郷土史を紐解いたのです。すると、完全に生年月日から名前住所まで合致する資料が出て来たのです。
正直言うと、驚きでした。
そこには、こんな感じに書かれていました。
言い回しが難しいので現代語訳です
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明治以降、劇界には色々な種類の劇が生まれた。
その中でも特に人気が出ているのが喜劇です。
駿河の国でも、有名人がおり志賀廼家淡海の弟子で、志賀廼家弁慶がいます。彼の本名は芹澤芳太郎といい、明治二十六年七月清水市の江尻町に生まれました。劇団に加わったのは、大正元年で地方巡業で苦労をしたが、大正11年には東京有楽町で檜舞台を踏んでいる。
*******
ということらしい。
同姓同名さんで、尚かつ出身地も同じってあるのだろうか。
早速、戸籍と照らし合わせてみると生年月日が同じ。
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ついでに確認したところ、喜劇は大阪が本拠地らしい。分家したのが関西という点では合致。
でも、なぜ大阪ではなく、京都に本籍地を移したのだろう?
調べて見ると、志賀廼家淡海氏が亡くなると芳太郎氏は葬儀を代表者として出し。その後は、京都を舞台に撮影する大手映画会社に所属。
幾つか有名作品に出はじめるらしいのです。
昭和初期の話です。
出演映画は、映画監督の溝口健二監督の作品のようで。
ビックネームと共演していたため、今でもDVDで彼の姿を見ることが出来るのは驚きでした。しかもSNSで名前が出てくるのです。
本日、溝口健二監督のお誕生日おめでとうございます🎉ということで
— カレー印 (@285tama) May 15, 2023
1936年「浪華悲歌」より
製薬会社の電話交換手=アヤ子役の山田五十鈴さんと、その恋人役の原健作(健策)さんとのやりとりが面白い😊
社長役の志賀廼家弁慶さんのメガネが光り輝いてるシーンも👓✨#溝口健二 #山田五十鈴 #原健作 pic.twitter.com/pmtf4fAH1i
夫は、母方芹澤家の血が濃いらしく。
志賀廼家弁慶を見た瞬間、夫かと思ったほど体型が似ている。
うん・・・多分、この方間違い無く夫の傍系さんだなと確信。
しかし、ここでまた大きな壁にぶち当たります。
DVDで見られるほど、有名な方なのに数作品でてプツッと足取りが途絶えます。何があったの?ちょうど、昭和10年代から足取りが途絶える。満州事変が起き、招集されたかなと思ったのですが、よく考えたら生年月日を計算したところ、既に招集される年齢ではありませんでした。
その後、色々な資料を目を皿のようにして探した所。
何とその後の足取りが掴めました。
最初は、喜劇に入り。その後、映画界に転身した彼は。
今度は、映画界から歌舞伎に派生した新しい舞台の俳優として転身したようなのです。映画で共演した花柳章太郎氏に感化されたらしく。
花柳氏の入って居る、新派の団員として転身するにあたり芸名も変えていることが分かりました。芸名を考えてくださったのが、久保田万太郎氏。
花柳章太郎氏が、久保田万太郎氏に「芳さんの芸名をかんがえてやってくれ」と依頼したと彼の日記に残されていました。
注:久保田万太郎全集 第12巻「名まへ」の項
*******
映画「残菊物語」で花柳章太郎と共演した志賀廼家弁慶といふ役者、今度、花柳の弟子になり、舞豪俳優に還元することになつたについては、何かいい名まへをつけてくれといつて来た。・・・・花柳からである。・・・
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とのこと。舞豪俳優ってなんだろう?
ちょっとまって、どれだけビックネームとお知り合いなのだろう。
この御方・・・ここで息切れがして暫し休憩をしました。
そして、資料を追うと昭和15年正月興行に19日から新生新派公演があり。志賀廼家弁慶は新しい舞台名『葭蘆夫』の名前で出演者一覧に掲載されているました。無事、新しい一歩を踏み出せたのでしょう。
だがしかし、ここからまた彼の足取りが空白になります。
新しい舞台俳優という物も、水が合わなかったのでしょうか。
ここから先、全く足取りが掴めない彼はどこに行ってしまったのか。
新天地を求めて、どこかまた別の所に移居したのでは無いでしょうか。
では、最初にファミリーサーチが出してきた渡航記録の同姓同名さんはその後どうなったのだろう?
国立国会図書館デジタルコレクションで調べて見た所。
芹澤芳太郎さんという方が、昭和初期にベネズエラに渡っている事がわかりました。ネットで色々と調べて見ると。
国際交流誌に、芹澤芳太郎氏が掲載されていました。
渡航当時17歳。
なるほど、年齢も相当違います。
少しだけ、1度ベネズエラに出国して帰国したケースも考えました(笑)
しかし、舞台俳優としての初舞台の日付が出て来た時点で同姓同名であることは確定しました。
ファミリーサーチの提示した資料は無関係でしたが、おかげでビックなギフトが手に入りました。志賀廼家弁慶は生年月日も出身地も同じということで。確実に夫の傍系さんであろうと思われるのです。
親戚一同、誰も記憶にないのはとても残念でした。
しかしながら、こう言ったサクセスストーリーを持っている方がいらっしゃる事が分かる。それだけでも、先祖調べは面白いと思うのです。
夫も風来坊で、全国各地を転勤して暮らしている上に。
海外どこでも、ふらふら出掛けてしまうので。
確実に芹澤家の血が、彼の中で何かを突き動かしているのだろうと・・・。
先祖調べをするにつけ、思うのでした。
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