お墓探し3【レアケース】
お墓探しのレアケース、最終回です。
今回は、前回と前々回書いた曾祖母と、義曾祖母の夫である曾祖父のお墓について書いてみたいと思います。
祖母は、波瀾万丈としか言いようがありません。
祖母は3歳で母親が亡くし、13歳で父親を亡くし。
後妻さんはいらっしゃったものの、兄弟姉妹が独立し始めると祖母も産まれ育った街を離れて姉の家に居候したり。
イトコの家に居候したりと、住居地を点々とします。
その間、義曾祖母は実家に息子達と帰り、神奈川を何度も往復していたそうです。やはり、継子とはいえ世話を焼かずには居られなかったのでしょう。
この時点(昭和10年代)で、高祖母と曾祖父が亡くなっていたこともあり。
どこかに、二人の為に墓を建てていたという推測はしていました。
その後、祖母の兄が所帯を持つと後継ぎである『長兄』が墓守をしていたのでは無いでしょうか。そこから推測するに、今は孫に当たる方が墓を守っているはず。
そんな予測の元で、今度は曾祖父の墓探しを始めました。
しかしながら、親戚に「お墓はどこ?」と聞いても誰もが
「墓?無いよそんなの」と言うのです。
そもそも、昭和一桁~10年代に墓を持たず。
お骨は自宅保管というのは、有り得るのか?
謎は謎を呼ぶばかりでした。
必死に親戚中に聞き込みをした結果。
以下のことが分かりました。
① 墓は空襲で被害を被ったという証言。
② 戦後、墓を作り直したという証言。
場所は○○(地名)。
子供の頃に1度行った記憶がある。という、70代男性の証言。
③ 墓は、工業地帯にあり空襲のターゲットにされやすい地域で。
戦中に山の上に高射砲を置き、敵機を狙い撃ちし市街地に侵入されない
ようにしていた為。高射砲を破壊しようと、周辺に爆撃が集中し。
その山に、墓が有ったため粉々になり跡形も無く消え去った。
という、想像し得なかった事実を知ることになりました。
でもでも!・・・お墓は再建されているというのも事実らしく。
Googleマップで、聞いた地名に墓地があるのか探す事にしました。
バスで行ったという話も出て、バス停から○分くらい歩いたというお話を元に。バス停を探し、徒歩範囲で範囲をもっと絞ってみる。
すると、墓地が3つほどみつかりました。
Googleストリートビューで見ると、2つの墓地は管理がしっかりしており小規模。問い合わせ先まで書かれており、調べると無断立入禁止とのこと。
恐る恐る、2つの墓地の管理者にと合わせをすると
「うちには、そういう方はいらっしゃいません」
と、墓の有無まで即答いただけました。
消去法で、残るお墓は1つ。
お寺様の墓地で、近隣では比較的大きな墓地です。
※ただし、首都圏の平地であるため全国的に見ると小規模※
ここまで分かったのなら、行ってみようか!ということで。
お寺様にお電話した所。
墓参りは自由に行ってくださって構わない。という了解を得ました。
そこで、思い切って航空機のチケットを取得したのです。
電話調査から1ヶ月後、私は空路で曾祖父様の墓を探旅に出掛けました。
場所としては、非常に分かりやすい所にあり。
駅前からバスで移動する必要があり。
折角なのでと、駅前にある市役所にも寄り、古い住宅地図をお願いしてからお墓に向かいました。先祖調べどっぷりの行程です。
Googleマップのクチコミを見ると、日によってはお寺の門が開いていないこともあるとのこと。お寺様の入り口が、開いてなかったらどうしよう・・・
と、ドキドキしながら到着。
門は、大きく開かれており無事お寺の敷地内に入れました。
ここからは、もうローラー作戦です。
ぐるーっと一周回ったら、多分1時間ちょっとくらい掛かりそう。
そう思いながら、歩き回ります。
お墓って、意外と石に太陽光が当たると光って見にくい。
古い墓石もあり、近くでしっかり見ないと読めないものも多い。
隅から、ずっと眺めていき。
半分終わり、40分経過。
歩きはじめた時に、まだ裏に墓地が広がっているのを見つけて
「えっ・・・これは、大変な事になった」
とは思ったものの、飛行機使ってまで来たのだからと必死にみてあるくこと1時間半。無事、目的の墓石に出会えました。
○○家先祖代々の墓とあり。
写真を見直したら「○○家之墓」となっていた。
先祖代々では無いのは、理由がありそうです。
裏を見ると、祖母の兄の名前と、奥様の名前があり。
没年月日も間違い無く。
「見つかった!」と、感無量で手を合わせたのですが。
曾祖父や高祖母の名前は無い。
多分、空襲で破壊された墓からはお骨を移せなかったということだろう。
しかも、墓は新しく。
どうやら、後で無くなった奥様が建立されたものだということが分かった。
もし、古い墓石が残っていたら曾祖父の名前も有ったかも知れない。
しかも、このお墓。
悲しいことに、墓石に家紋が有りませんでした。
祖母の兄は、結婚数年で盲腸になり。
盲腸が爆ぜたのでしょう、若くして亡くなっています。
奥様は、結婚数年で幼子を抱えて未亡人になり。
家紋も、親戚も良く分からない状態で放り出されたのでは無いでしょうか。夫の墓は、欲しいけれど。
家として繋がる全てを否定されたか、はたまた本当にご存じ無かったのか。
その辺りは、憶測になりますので控えさせていただくとして。
墓が見つかったとはいえ、とても悲しい気持ちになったのでした。
ちょうど、住職様の奥様と思われる方が境内のお掃除をされていたのでお声かけさせていただき。事情をお話して、お手紙の中継ぎをお願い出来ることになりました。
折角なので、過去帳を見てあげましょう。
と仰ってくださり、見ていただくと記載があるのは曾祖父と、大叔父と大叔母ということでした。高祖母様の名前は有りませんでした。
お寺様のお話では、お墓は亡くなった奥様が平成に入って新しくされたものとのこと。自分もそろそろ入るから、整備しておきたいと仰っていたとか。
だから、古い方のお名前は書かなかったのかも知れませんね。と。
元々、戦災でお墓が失われているのを再建したというのだから。お墓に曾祖父のお骨が入って居る可能性は低いのでしょう。お礼をお伝えして、もう一度お墓に向かって手を合わせ「お導きいいただいた事への感謝」をお伝えして帰路に着きました。
その後、大叔父ご夫婦の息子さんとも連絡がつき。
お電話させていただいて、こちらの調査は終了としました。
お墓1つ探す場合でも、これだけのレアケースがあり。
そして、人間模様が見えるというのは興味深いな・・・と思った出来事でした。