求む My familyヒストリー(軍歴編)
先祖を調べていて、やはり気になるのが個人の経歴です。
その中でも、祖父や曾祖父といった年齢の方々が従軍経験がある。という方の割合は非常に高い様です。
特に明治後期、大正期の生まれの方は太平洋戦争時に招集対象の年齢に達している方が多く。軍歴が有る可能性が高いようです。
基礎知識として、明治に近代社会になって終戦までの間。
招集条件は変わってきてはいるものの、成人男子は兵役を課せられていた可能性が高い。というのが現状のようです。
明治・大正期の郷土史には「在郷軍人」や「出兵兵士」の名簿なども散見されます。日清日露戦争の記録に関しては、郷土史や官報を調べるのが有効なようです。この時期は、ほぼ軍歴は残っていないと思われます。
では、シナ事変や日中戦争、太平洋戦争と向かう中で徴兵されたことのある人々の記録はどうしたら確認できるのか。と言えば、軍歴を取得することです。
しかしながら、徴兵された=軍歴が存在する。と言うわけでは有りません。
終戦前後に、国の命令で軍関係の書類を秘密裏に処分するという事例が各地でありました。その際に、処分された書類に軍歴が入って居た場合。該当無しとされることもあるそうです。
ただ、1つだけ言えるのが帰還兵(生きて戻った)方については、比較的資料が出やすい傾向にあります。
なぜならば、軍歴は戦後なぜ保管されたかというと「恩給」支給の為の書類として保管されていたという事実があります。
戦地から生きて戻ったけれど、恩給を支給するための書類が足りないという問題が発生していたそうです。(父談)
そして、帰還兵だった人達に一斉通知をしています。
「貴方の恩給に必要な具体的な従軍記録が失われていますので、申告制とします。必要書類を様式に則って対応部署に提出してください」
まあ、そんな感じだったと聞いています。
※静岡県だけかも知れません
そこで、皆それぞれに自分の従軍記録を書き出して提出しています。
ですから、本人手書きの軍歴が残っていると言った具合です。
なぜ、そんなに細やかな軍歴が必要だったのか。と不思議に思うかも知れませんが。恩給というのは、配属地の危険度で恩給の額が変わってきます。
ですから、もう一人祖父で母方の祖父の軍歴にも「12,8,ヨリ戦地戦場 17,4,1ヨリ戦場軍」というような表現があります。
南鳥島の記録ですが、ここも激しい艦砲射撃を受けた島だったようです。
母の言い回しが正しいかどうかは分かりませんが。
「国内の基地で事務方をしていた人の何倍もの恩給を、激戦地の人は受ける事ができたんだよ」
と、言われました。既に、二人の祖父が亡くなって30年超が経過して私にはこれ以上知る術は無いのが事実ですが。そう言う事のようです。
軍歴から、行軍の経路もある程度は調べられます。調べ方は、今回は長くなりますので割愛します。
そんなこんなで、軍歴というものはかなり読みにくく。
尚かつ、特殊な軍事用語で書かれている物も多い為、取得しても読み解けないという話も多く聞く代物ですが。
「私は絶対に読み解いてやる!」という気合いのある方は是非とも入手して貰いたい先祖調べアイテムの1つです。
では、どこに請求したら良いのか。
といえば、陸軍で将校では無い場合は終戦時の本籍地のある県庁の対応部署に問い合わせます。対応部署はそれぞれの自治体によって違う為、電話で確認を取るかネットで検索をしてください。
申請のしかたも、県独自のルールがありますので、ルールに従い書類を提出して結果を待つことになります。
ちなみに、私が請求した先。
静岡県の軍歴のページはこんな感じです。
軍属の方も、基本的に県の方で保管していることが多いのです。
合わせて、ご承知置きください。
海軍または、陸軍の将校クラスで有った場合。
請求先は、厚生労働省になります。
国の方が、幾分か申請受理のハードルは高くなります。
お役所文章ですから、非常に分かりにくいですが頑張って読んで請求書類を作り請求してください。懇切丁寧には説明しません、国のルールは時々変わる事もありますので。その時のルールに従ってください、としか言いようがないのです。ご了承ください。
最近は自治体でも、厚労省の条件に準ずる条件が厳しい所も多く。
親等数の範囲。
戸籍原本提出。
死亡戸籍が無いものは不可。
身分証明に、最新の住民票。
等々。
漏れの無い様に、揃えて提出するのに神経を使います。
厚労省については、戸籍も原本でないと駄目ですし。
返却までに、最大半年程掛かる可能性もあります。
その間は、戸籍は手元に無くなりますので他の調べを進めたい場合は手元にコピーやスキャンを残しておくことをお勧めします。
チャレンジされる方は、良く請求要綱を読んで請求されてみてください。
以上、軍歴請求についてでした。