求む My familyヒストリー出生から死亡まで漏れを無くそう
戸籍を取得している初心者で無くても、意外と多いのが戸籍の取得漏れです。自分に限ってそんなヘマはやらかさないし、役所の方が見てくれたから大丈夫!という気持ちでいると、意外と漏れがあります。古い戸籍という物は非常に複雑なのです。と言うのが、今回のお話です。
今回は、戸籍の取得漏れが無いか確認する方法を書いてみたいと思います。実は、私の経験上。1番戸籍の取得漏れで多いのが、死亡戸籍の取得忘れです。
他には、従前戸籍の尊属系の確認漏れと続きます。
それでも、飛び抜けて死亡戸籍の漏れが多いのは事実なのです。
時々、再婚や養子縁組離縁等による(中抜け)取得漏れも有りますが。
今回お勧めする方法でチェックしていけば、どのタイプの漏れも容易に見つかるはずです。
ちなみに、不思議に思われるかも知れませんが。
昭和30年代~現在の間に死亡された方の死亡戸籍が取得漏れが多い様です。原因としては。
①死亡日を知っているから気にしなかった。
②戦後の戸籍の改製で、夫婦戸籍変わり。改正当時の筆頭者は死亡まで追っているが。筆頭者の親世代の死亡戸籍(夫婦戸籍)を取得し忘れている。
ここで、関係して来るのが下記の法律改正です。
昭和22年(1947年)の日本国憲法の施行に合わせて、民法も大改正が行われました。その関係で、旧民法に記載されていた「家制度」も同時に廃止になります。
結果、古い戸籍で運用されてきた「家督相続」という制度も消滅。分家という制度も無くなります。
この改正から後の戸籍は"夫婦と未婚の子供"のみが同じ戸籍に入る形になりました。
ですから、家督相続の文字が無くても、未婚の子供が結婚すれば新しい戸籍が増えますし。分家と言う記述が無くても、新戸籍が出来ます。
家制度の戸籍を見慣れて居ると、うっかり取得漏れが起きるのはこの辺りの事情からでしょう。
では、おさらいをしましょう。
明治19年から、昭和22年の法改正前の戸籍は
"戸主を筆頭とした一族全員が入った戸籍"でしたね。
ですから、傍系まで記載されていました。
家制度のある戸籍を見る癖が付いていると、昭和22年改正時に既に隠居されている、いわゆる「存命の前戸主と奥様」の死亡戸籍が抜けてしまう事例が多い。これは、役所に遡りを頼んで出して貰った場合も多い例です。
プロがしっかり出してくれたからと、安心していると意外とあるものです。
ここから気を付けるべきことは、前戸主と奥様は、転籍も分家もしていないのに戸籍が分離するところです。
しかも、本籍地も変わらない。
ただ、新しい戸籍制度によって書類上だけの戸籍の移動だけが発生したのです。
ですから、うっかりしていると、昭和30年~50年代に亡くなった直系尊属の死亡戸籍が抜けてる。という事になりかねないのです。
※実は私、何度かやりました。役所も見落としていたのです。
では、実例を私の曾祖父の戸籍で見てゆきましょう。
こうやって、私は調べて行きます。
これが正しい訳では無く、一つの手段としてご紹介させていただきますので参考にしてみてください。
実は、私の曾祖父の戸籍。
色々な事情が入り交じって、抜けが出やすいパターンを多く含んだ物で、格好の事例なのでこれを使って行きます。
戸籍やメモを写真でご紹介しますので、可能でしたら大きな画面で写真を見ながら説明をお読みください。
私の場合、漏れの確認をするときは
①A4程度のメモ用紙と3色ボールペン
②確認が必要な戸籍一式
を用意します。
大きな一連の流として同一名字を一つの紙に書き出します。名字は混ぜない方が無難です。確認する時は、対象の名字(家)を一気に書き出し。その後、一人ずつ出生から死亡まで追います。混乱しない方は、全員同時に行われても大丈夫です(笑)
では、まずは…戸籍から戸主と妻だけを書き出し簡易家系図を作成してください。
こんな感じです。
妻はカッコを付けて、旧姓を記載しました。
ここに、生年月日と没年月日をいれていきます。
戸籍の範囲だけで大丈夫です。
どなたの出生から死亡まで調べるかにも依りますが。今回はI吉さんの、出生から死亡まで調べて行こうと思います。簡易家系図の初代K左エ門の孫に当たります。
彼は明治21年(1888)生まれで、昭和35年(1960)に死亡。
大きな戸籍改正を通って来ているので何枚かの戸籍に記載があります。
まずは、出生時の戸籍。
明治19年式です。
この戸籍で、I吉さんは生まれています。
父親(Y右エ門)の兄である、T吉さんが戸主です。
戸籍を読み慣れている方でしたら、何か戸主の事項欄に長々と書いてあるなと思われるのでは無いでしょうか。
実際に、市役所が出してきた次の戸籍はこちら。
写っていませんが、前戸主空欄。
I吉の父親のY右エ門が戸主になっています(笑)ここで違和感を感じないと、戸籍に抜けが出ます。
Y右エ門さん、二男だから分家したんでしょ。単純に納得しないでください。
1枚目の19年式戸籍の謎の事項欄、必死に目を凝らして読みましょう!
『明治参拾弐年弐月八日静岡市〇〇×丁目〇〇番地入籍届出同年同月同日…』
とあります。
はい、一族全員引き連れて転籍してるのですよ。適当にすっ飛ばしたら駄目です(笑)
市役所に電話して、探し出して貰った戸籍がこちら。ほら、明治19年式もう1枚あったじゃ無いか。
これを見た上で、住所が分かったので古地図を広げた所。職業と家族構成が書いてあり、戸主の名前も一致。
どうやら、この静岡市の住所(新しい本籍地)に住んでいたのは、戸主夫婦と、子供達だけでした。
このT吉さんのこの後は、詳しく文書に残っており家業が成功しているのは分かっていましたし。山奥の実家の住所から、当時の県内で最も栄えている場所に住居を変え成功の証として、本籍も移したかったのが手に取るように分かり、抜けに気がついて良かった戸籍の1枚です。
話を戻します。
Y右エ門が、兄の戸籍から分家した理由は深い意味は無く。嫁を迎えて、子供も出来たし独り立ちしただけだろう。そう思いました。
しかしながら、戸籍を見てみると違うようでした。
何と!
T吉の妻子のみ残し、親兄弟全員二男坊であるY右エ門を戸主に立てて分家し。
全員が元の本籍地に戻っていました
想像するに。
先祖代々の土地から、街場に出て行った長男が勝手に本籍地を変えたのでしょう。
大事な先祖代々の土地をあっさりと捨てた事に、親が怒らない訳が無いのです。当然、親が怒れば、兄に味方する兄弟姉妹も居ないでしょう。
親を始め、兄弟全員に総スカンを食らったT吉は、失意からか隠居年齢に達していないにも係わらず、裁判所に申し立てをして隠居してしまいました。
戸籍からは、色々な事が読み取れます。
では、上に挙げました次の戸籍明治後期から、大正時代の戸籍を見てみましょう。再度、ペタンと貼ってみます。
これは、I吉の父親Y右エ門戸主の戸籍です。
Y右エ門は、大正14年に死亡。
その後、I吉が時間を開けずに相続しているのが分かります。時々、遺産相続に揉めると年単位で相続まで時間が掛かっている例もありますが、すんなりと相続が済んだようです。本来相続するべき長男宅と、揉めずに墓の管理から自宅と耕作地も二男が相続しいるようです。
そして、次の戸籍は。大正14年に家督相続したI吉の物です。
この地域は、戸籍の様式が少し変わった後も、古い様式の後ろに新しい様式の紙を付けて保管していたようでかなりの枚数があり。なおかつ、戦後の家制度が無くなるまで使われていた物になります。
ここまで彼の歴史を辿ってきて、戸主の事項欄を読んでみて実際に合致しているか確認するのも良いでしょう。
最後に、全部を通して見て。転籍と転籍後。
家督相続などによる、戸籍に変化が有るときの日付に大きな開きが無いか書き出します。日付に開きがあれば、間に取得漏れの戸籍があることが多いです。
例えば、養子に行き戻っている間の戸籍抜け。嫁に行って、離縁して戻るまでの戸籍など。
事情は色々ですが、日付を書き出せば一目瞭然です。
ここまで見てきて、なぜかすっきりしないのが戦後の戸籍改正だと思います。
昭和32年に法律が施行されているのに、なぜ戸籍が実際に変わるのに時間が掛かっているの?昭和22年の法律改正から、戸籍が実際に変更されるまでブランク開きすぎでしょ?とか疑問は湧くと思いますが…。面倒なので「戦争のドタバタで、法施行はしたものの戸籍の改定に時間が掛かった」と理解するのがよろしいかと思います。ハイ。
最後に、引っかかるのが昭和35年に亡くなっている人の戸籍が、昭和38年に改製されているのはなぜか?という問題ですね。
これは、家制度が無くなった為の矛盾でして。
戸籍の筆頭者(戸主という呼び名は無くなりましたので)が亡くなっても、同じ戸籍に妻や未婚の子が居れば戸籍は生き続けるのですよ。
だから、この場合。
娘ですが、親の戸籍に居ましたので改製されたわけです。
しかしながら、私からみて娘は傍系な為。
改製された戸籍は取れなかったので、I吉の戸籍はここまでで終了となります。何となく、流れがお分かりでしょうか。
女性の直系尊属さんの場合でも、同じです。
単に、戸籍から戸籍へと籍が移動した時の「日付」を抜き出し。
切れ目無く、続いているかを確認するだけでも問題ありません。
慣れれば、それで十分かと。
ただ、最初に直系尊属さんの生年月日と没年月日が総て埋まるか。
簡易家系図を書いてみる事は推奨してます。
以上、戸籍の抜けを無くそう!でした。
蛇足:キャッチ写真はサザエさんスタイルの祖母でした。
大変光栄です!ありがとうございます❤️