お墓探し1【レアケース】
先祖探しにまつわる諸々を、今回も書いてみたいと思います。
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さて、今日のお話ですが・・・。
先祖のお墓を探した話を書いてみたいと思います。
今回は、祖母の実家関係のお墓参りをしたいと墓を探した際のお話です。
最初に私が祖母の実家に興味を持ったのは、高校時代でした。
夕食の後、祖母のところにお茶とお饅頭を持っていくと・・・。
祖母が、黒い表紙の古いアルバムを見ていました。
私が入って来たのに気がついた祖母は、アルバムをサッと隠したのですが。
私は、祖母が幸せそうにアルバムを見ていたのを見逃しませんでした。
そのアルバムは、祖母の幼い頃~思春期までの写真でした。
「どれが、おばあちゃん?」
「お祖母ちゃんのお母さんはどれ?」
などと、聞いた記憶があります・・・。
戸籍調査から聞き込みまで終わった今。
あの時、祖母がなぜアルバムを隠そうとしたのか分かりますし。
不躾に色々な事を聞いた私も、幼かったなぁと思うのです。
一番古いであろう写真が下の物。
こんな写真もありました。
嫌がる祖母を押し切って、アルバムの写真を色々と見せて貰うと・・・。
祖母のアルバムには、誰なのか分からない若い女性の写真と、スーツで赤子を抱いている男性の写真の2枚が別に薄紙に包まれて挟まっていました。
女性は、祖母の記憶に全く無く。
男性は、祖母の父・・・曾祖父のようだということ。
※ただし、祖母はこんな若い父親は記憶にないと(笑)
誰だか分からない女性は、祖母の産みの母である可能性が高いとのこと。
「3歳の時に亡くなってるから、覚えていやしないよ」と祖母が悲しそうに言ったのを今でも覚えています。
じゃあ、弟達は後妻さんの子供なのね・・・とは、聞けず終いでしたが。
戸籍を取得すると、祖母と弟・妹までが実母である曾祖母の子供。
(曾祖母は、妹を産んで産後の肥立ちが悪く亡くなった)
末の弟2人は後妻さんの子供で、祖母とは腹違いということを知りました。
ただ、祖母曰く。
就職するまで継母を実の母だと思っていた。
実の母だと慕っていたのに、話してくれなくてショックを受けた。
それが原因で、継母に反抗し「騙された」と継母を恨んだ。とのこと。
そこで、私が先祖調べを続ける内に目標にしたことは。
①祖母の親である、曾祖父のお墓参りをしたいこと。
②曾祖父の前妻である、血の繋がりがある曾祖母のお墓参りをしたいこと。
③曾祖父の後妻である、義曾祖母の事をもっと知りたいこと。
(義曾祖母の墓は高校時代にみつけていますので)
この3つを目標として定めました。
なぜ、レアケースなのかは読んで頂ければ分かるかと思いますが。
通常、同じ墓に入っているはずの3人が別々の墓に入っている時点で、充分レアケースなのでは無いかと思うのです。
そんなことから、真実?を知るのが大変でしたのでこれから書いてみたいと思います。
まず、今回は高校時代に祖母の義母が眠る墓を調べた時のお話をしたいと思います。実際に、調査したのは私の母でしたが、一緒に調査をしたので記憶に鮮明に残っています。
事の発端は、ホラーに近い話になるのですが。
上に書いた、祖母のアルバムを見せて貰った夜。
枕元に、(アルバムに挟まれていた写真の)若い女性が立ちました。
そして、悲しそうに「来て・・・」と繰り返すのです。
うなされて、目が覚めると布団から起き上がれないほどの腰痛。
這うようにして、台所に行き母に夢と腰の状態を説明すると、病院に連れて行かれました。診断は椎間板ヘルニア。
しばらく安静にしていれば、治りますよ。
と、湿布を出されて帰宅。
しかし、いつまで経っても良く成らず。
足を引きずる状態が続き、痛み止めが無いと生活出来ない状態が続きました。母が、気持ち悪がって霊能力者的な人に相談したようです。
霊能者曰く。
「娘さんの曾祖母さんをご供養していないのでは?」
ご供養しないと、治らないです。と言われたとか。
母が霊能力者に頼ったのは、母方の家で埋葬トラブルがあり。
障りが出て、霊能力者に頼って解消したことがあったからだそうです。
(ご遺体を輸送時にビニールに入れ、出さずに土葬したとか)
そんな経験が母にはあるので、母は私の夢と腰痛に敏感に反応したのだと思います。
早速、母の聞き込みが開始しました。
母 「お母さんの母親のお墓はどこにあるの?」
祖母「無い」
母 「そんな訳無いでしょ」
祖母「3歳の時に死んだから、知らないよ!そもそも、アタシは
後妻さんを母親だと思って育ってきたんだから。知るわけ無いだろ」
知らないなら、戸籍を取りに行きましょうか?
その情報から、探しましょう。
と、2人は市役所の戸籍課へ。
結局、分かったのは祖母の母は、現在の清水区由比の実家で亡くなっていること。それだけでした。
戸籍で分からないのなら、知っている人を見つければ良い。
祖母には、4人存命の姉がおり。
一番上の姉は、当時祖母と一緒に仕事をしていたので電話をすれば直ぐに話しを聞ける状態でした。
母が急いで電話をすると「実の母親の墓は、無い。ただ、育ての母の墓は知っている」という返答があったというのです。
もっと言うと「父親の墓も無い」と。
謎な返答に、母は首を傾げたようです。
そもそも、夫婦は一緒の墓に入るものですし。
どこで亡くなっても、お骨を同じ墓に納めるものですし・・・。
実の両親の墓が無くて、後妻さんの墓だけあるというのもおかしな話です。
結局、謎が謎を呼び。
私が先祖調査を本格的に再開した時、墓探しから手を付けることになったのですが。それはまた別の機会にお話します。
結局、判明したのは祖母の育ての母。
曾祖父の後妻さんのお墓でした。
前妻である曾祖母は、曾祖父との間に8人の子供を設けています。
(内2人は早世)
後妻さんが嫁に来た時点で子供達は、上から
17歳、15歳、10歳、8歳、6歳、5歳。
その後、2人の子供を設け。
曾祖父が急逝。
社宅住まいであったのに、夫に死なれ社宅からも追い出され。
前妻の子供達は、既に社会人であったため何とかなったようですが。
後妻さんは、幼子を抱え苦労をした様です。
しかも、継子達に遠慮して実家に戻ってしまったというから悲しいですね。
結局、そのまま実家で暮らし。
実家で亡くなり、あちらのお墓に入って居るとのこと。
母は、他にお墓がないというのなら「継母のお墓に行くしかない」と言ってました。その後、祖母を連れて義曾祖母のお墓に初めてお参りしました。
墓の前で手を合わせると、肩口に手を置かれたような感覚があり。
「ありがとう」と言われた気がしました。
次の瞬間、腰の痛みが嘘のように消えたという不思議な経験もしました。
蛇足ですが、義曾祖母の写真を昨年入手しました。
祖母のアルバムに挟まれていた女性とは、似ても似つかないお顔立ちでした。私が思うには、自分の母親と信じて止まないほど大事に育てて貰ったのに、祖母は「継母」だと言わなかったと恨んで絶縁してしまった。
それを、ヨシとしない曾祖母(実母)が私を通して墓参りに行かせたのだろうと思えてしまうのです。
実は、この出来事をベースにnoteに”おもかげ”という駄文(小説)を書いたこともあります・・・。
墓については、先祖しらべをするまでは、単なる石を建てた物と思って居ました。しかし、墓を調べるなどしていくと不思議なことが時々起こる為。やはり「人の魂」は残ると信じたくなる私がいます。
次は、曾祖父の墓のお話。
そして、曾祖母の墓を探そうとした話を書いていこうと思います。
よろしければ、お付き合い戴けたら嬉しいです。