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終活ブームに思う

我々、先祖調べをしている人間にとって『写真』とは、その人の生きた証であり。知らない先祖の体温を感じる事の出来る大事なアイテムだったりすします。

所が、一般的に形見としてのこされた亡き身内の写真というのは単なるゴミでしかないらしい。

自分の価値観がレアタイプであることは分かっていたものの。
色々な意味で、呆然とすることが最近多い気がします。

実は、私。
亡き祖母が元気な頃に、写真を借りて何枚かスキャンしているのです。
祖母は写真を眺めて、昔を懐かしむタイプの人でした。

高齢になり、知人友人が歯が抜け落ちるように減っていた時期。
良くアルバムを眺めており、ゴッソリとアルバムごと借りてくるということは、中々出来ませんでした。
私は気に入った写真数枚ずつ借りては、自宅スキャナーでスキャンを取って保存を繰り返しました。

昭和20年頃 祖母は左に座っている女性。
昭和17年頃か?祖母は1番左

祖母は、神奈川県川崎市生まれ・川崎育ち。
都会っ子なので、潮干狩りの写真などもある。

羽田沖だとのこと

私の知らない人ばかりなので、彼女が生きている内にアルバムに映っている人については聞いておくことにしたのです。

所が、祖母が亡くなった途端。
母が盛大に、アルバムや、所有していた私物を捨てて閉まったのです。
あっと言う間でした。

嫁姑問題で虐げられ、ヤレヤレやっと目の上のたんこぶが(以下略)
とは、思わなかったでしょうけれど。
本当にあっと言う間に捨てられてしまった。

母は、何は考えずに捨てたらしいので。
捨て忘れもあり、それは無事サルベージ出来て胸を撫で下ろしました。

結局、手元には押し入れの奥に突っ込まれ難を逃れた写真(50枚以上)が届いたのでした。でも、これでも1/3程度でしょう。

色々な意味で、非常に残念ではありましたが。
残った写真が、素敵な物が多くて、感動で泣きそうでした。

そして、大好きだった祖父母の若い頃の写真は素敵だったので・・・。
写真集に応募して、採用して貰えたのラッキーでした。

デジミ様@dmc_sub着色
よく見ると祖父がチロっと舌を出してるの。照れてるのが分かる。

やはり、写真というのは・・・捨てられたくなかったら、高齢者がご存命の内から声を掛けてお願いしておくのが最善のようです。

祖母が亡くなったあと、数年して。
今度は、母の実家側の祖母が亡くなりました。
夫である祖父は30年近く前に亡くなっていて、祖母が老人ホームで暮らしていた関係で、母が実家を管理していたので全くの手付かず状態でした。

こんどこそ、捨てられてなる物か!と(笑)
直ぐに連絡を入れて「鍵を貸して下さい、写真持ちだして良いですか?どうせ捨てますよね?」と母に頼み。

新幹線で、祖父母の家に駆けつけました。
空き屋を取り壊される前に、スーツケースいっぱいの金目にならない思い出の品を持ち出したのです。金目になるものは、母の兄弟姉妹に怒られるので触っていません。

初めて見る写真の山、山、山。
見たことの無い親戚がズラリ・・・。
うわぁあああ、誰だか分からないけど嬉しいけど、でも悲しい。
まとめて、ジップロックの中に写真を入れようと思ったら写真の裏にビッシリと裏書きが有るじゃ無いですか!

顔が分かるのは祖父のみ、しかも祖父の顔がボコボコに腫れてるw

びっくりしますよね、文字は祖父の文字でした。
筆まめな母方の祖父、人の名前と年齢。
撮影した日付と、なぜ撮影したかまで書いて有りました。
ナイス!祖父様!!

上の写真は、右隅の女性(祖父の姉:曲師)が、その後ろに立っている男性(浪曲師:末廣亭小辰丸)と結婚した時の記念写真。いわゆる、親族集合写真のようです。

ちなみに、小辰丸さんのリンク先。
郷土誌が、間違っている例を指摘してます。この方の推察どおり、没年月日は間違っています。10年ほど違うみたい・・・。
町史が間違ったら駄目ですって言いたいけれど、取材に応じたのは息子さんらしいので、人は記憶違いや言い違いを起こす生き物なんですよね。
取りあえず、町の方へは訂正入れて置きました。←余計w

話を戻しましょう。
この写真が撮影されたのは、昭和2年のこと。
真ん中の砂かけばばあみたいなのが、曾祖母(コラッ)。

曾祖母の後ろが祖父の弟、弟の隣りが祖父(海軍のセーラー服)。
前に座っているのはリツさん。

調べている内にリツさんの身元も判明。
勝間田リツさんと言う方みたい。

我が曾祖父母は、離婚している。
離婚後、曾祖父は後妻を貰い。
その、後妻さんの親戚の方がリツさん。

娘の結婚式を放っておけないけれど、顔は出したくない。
元妻と顔合わせるのは勘弁。ってか?
まあ、イイヤ。曾祖父の代理なのかな。

こういう想像が出来るから古写真は面白いのです。
祖父の写真の裏書きに、大いに感謝しなければならない私。

さて、最後に。
最近は、終活なるものが流行っているらしい。
そう、流行っているのよ・・・私は知らないけれどnoteにも結構記事があって驚きました。エンディングノートを書いて、自分の持ち物を整理して死後に身内に迷惑をかけないというのが主旨らしい。

でも、これ。
本当に難儀で、聞いた話ではアルバムや賞状や日記などをゴッソリ捨てるらしい。そりゃ、日記を見られたく無くて捨てるのは分かります。
でも、写真や賞状まで捨てなくても・・・。

と、私は思ってしまうのです。偲ぶものが何も無くなってしまうでしょう。

いやいやいや、その方の価値観で「残されても困るもの」だというのだからしかたないのかな。誰だか分からない人の写真が、大量に残っても迷惑だろうというのが、叔母の主張らしいのです。

叔母は、教員をずっとやっていたので生徒さんが沢山写っていて。
「生徒の個人情報なんかも、1ミリたりとも漏らしてはならぬ」と日夜必死に捨てまくっていると聞いたので少しは納得しているけれど。

叔母よ、その写真私にくれまいか?と言いたいけれど。
怒鳴られそう。

いや・・・説教喰らいそうなので、母のアルバムだけで我慢しようと思っています。母はまだ存命、すこぶる元気だけれどアルバムごと借りて、スキャンを掛け。あらゆる写真の詳細を聞きまくっている。

そう、これをやらないと失われるものが多いから。
死後に、捨てました・・・では取り返しが付かないのですよね。

母は、写真提供にとても協力的なので沢山データを残していこうと思っています。母もお嬢様なので、写真は多く娘としては嬉しい限りです。
デジミ様に、母の写真もお世話になりました。

皆様もどうか、大事な写真が捨てられる前に手をうってください。
本人が、写真は人には見せたくない!という場合は、諦めるしかありませんが。失ったら、2度と戻らないものも多いのです。

以上、終活のお話でした。

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やまゆき
大変光栄です!ありがとうございます❤️