初北海道 1989年7月24日-① 釧路空港〜釧路市街地
飛行機の小さな窓の向こう側に緑色の大地が見えた。1年間待ち焦がれていた広大な北海道が今、僕の真下に広がっている。飛行機は旋回を続けながら機体を徐々に立て直すと同時に、機内のモニターにはまっすぐに伸びた釧路空港の滑走路が映し出された。そして想像していたよりも大きな揺れを伴って機体は滑走路に着陸した。1989年7月24日午前10時52分を僕の腕時計は示していた。しばらくして飛行機がスピードを落とし始めると何人かが荷物を下ろし始めた。慌てて僕も荷物をまとめ、出口に向かう人の後に続いた。
タラップをゆっくりと降り記念すべき北海道第一歩目を右足で印した。北海道の空は濃い青色で晴れ渡り日差しが思っていた以上に強い。しかし空港を吹き渡る風は爽やかで今朝東京で感じたような湿った暑さは感じない。僕は羽田空港から乗ってきた全日空機を振り返って眺めた後に、空港ロビーに向かって歩き出した。
ロビーのニッポンレンタカーのカウンターに行き係に人に名前を告げると、僕と僕の到着を待っていたらしい家族連れ4人を順番に見ながら「こちらへどうぞ」と案内をしてくれた。大型のワゴン車に乗せられた僕たちはものの数分でレンタカー事務所に到着し、そこで10分程度の手続きを終えると1台の車が5日間僕のものになった。
真っ白な「いすずジェミニ」。
「お気をつけて行ってらっしゃいませ」
その言葉を背に受けて僕は助手席のドアを開け大きな黒いバッグを放り込み、運転席側に回り込んでシートに座った。閉ざされた空間で大きく息をすると、そこで僕の初めての北海道一人旅がスタートした。
駐車場を出て右にハンドルを切る。左右に緩やかなカーブが続く下り坂をスピードを上げながら進む。エンジンの音にも異常は感じない。ハンドル操作も普段東京で乗っているマイカーのマーチと変わらない。数分走ると初めての交叉点があり、手前の青看板には右が釧路市街と表示されていた。出発前に簡単に地図を見てまずは釧路方面に向かおうと思っていたので、その表示に従い右折する。想像通り交通量も建物も少ない緑色の平原の中の道を進む。ところで今回の旅では「制限速度を守る」という当たり前すぎるテーマをかかげていたんだけど、空港を出発して10分も経たないうちにそのテーマは早くも崩れ去った。法定速度の60キロで走行していると後方から追いついてきた車が僕の車にピッタリと接近してくるのだ。思わずアクセルを踏んでスピードを上げるが、後ろの大型トレーラーはイラついたように轟音とともに右側からジェミニを抜き去っていった。
くっそー危ねえなあ、、、でもまあ郷に入っては郷に従えなのかな、、、と考えながら、スピードのことはその後そんなに気にせず、地元の車の流れに乗って走ることにした。
しばらく走るとようやく建物が増え始め街らしい風景になってきた。どうやら釧路の街に入ってきているようだ。片側2車線の道路の路肩に車を停めて助手席にバッグから地図を取り出し広げる。今いる場所の見当をつけて次に曲がるポイントを頭に入れてスタートする。今では装着されているのが当たり前になったカーナビゲーションがない時代の話だ。今はスタート前に目的地を入力しルート検索ボタンを押せばナビが勝手に誘導してくれる。もちろんナビはとても便利で知らない場所に気軽に行けるし今の自分には欠かせないアイテムなので否定なんかしない。でもあの頃の地図を確認しながらのドライブも良かったよなあと、あのおかげで道を覚えられたんだろうなあとつくづく思う。もうセピア色になってしまった20世紀終盤の旅の思い出だ。
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