日本トイレ協会編『快適なトイレ 便利・清潔・安心して滞在できる空間』柏書房
日本のトイレは、清潔できれいなものが多いというイメージがある。公共トイレでも快適なものがある。実は水洗トイレが普及するまでは、とても汚いものであったことが本書でわかる。
第二次世界大戦が終わり、米軍が日本を占領するときに一番危惧したことは、敗戦を認めない人による治安の悪化ではなく、日本の衛生状態の悪さから、米軍兵士への伝染病感染をどう守ることだったというから、驚きである。
明治21年、政府は東京を首都としてふさわしいまちにするため、わが国初の都市計画「東京市区改正条例」を公布した。この条例は近代的な上下水道計画を盛り込んでいた。
明治時代は開国以来経験したことがないコレラに悩まされた時代であった。最盛期には年間16万人が罹患し、そのうち11万人余が亡くなった。その対策として、上下水道整備が重要視された。
上下水道計画は工部大学校お雇い教師の英国人W・K・バルトンの指導の下に策定された。当時、屎尿は農村還元されており、バルトンは水洗トイレを受け入れないことにした。さらに、財政難から下水道事業は延期され、幻の計画と帰してしまった。
ところが、明治30代に入ると東京の市街地化は急速に進み、新たに東京大学の中島鋭治教授が下水道計画を策定した。中島教授は、欧米都市の例に倣い、水雪隠(水洗トイレ)の受け入れは差し支えないとした。しかし、下水道の建設は極めて緩慢であった。また、下水道が整備されても、水洗トイレそのものが知られておらず、家計への負担が大きいため、その普及は伸び悩んだ。
東京市は、洗浄水に雑排水を利用する簡易型水洗トイレを推奨した。東京市はパンフレットを作成し、キャンペーンも行ったが、あまり普及しなかった。汲み取りが当然と思われていた。
昭和20年代後期に米国から化学肥料がもたらされると、農家は扱いやすく、寄生虫の問題もなく、速効性の高い化学肥料に飛びついた。その結果、屎尿は行き場を失い、やむなく下水処理場内に屎尿消化槽を設置したが、根本的な解決にはほど遠かった。
昭和34年、東京オリンピックの招致が決まると、隅田川の汚染、道路網の未整備、住宅の貧困などの問題が浮上した。公団住宅が取り入れた内風呂、システムキッチン、水洗トイレを知った人々からは、下水道整備の要望が劇的に膨らんだ。
国は昭和38年に「第1次下水道整備5か年計画」を策定し、下水道事業を国家施策とした。昭和33年の新下水道法で、下水道共用地域での水洗化を義務づけたことから、公共団体は水洗トイレ設置への補助や低金利融資制度を設けて、その普及を後押しを行った。
令和3年3月現在、全国の下水道普及率は80%、浄化槽利用を含めた水洗化率は91%に達している。
水洗便器が初めて国産化されたのは、大正6年で、東洋陶器(現TOTO)がヨーロッパ型といわれる小型の腰掛便器と、しゃがんでする和式便器を製造した。慣れ親しんだ和式便器が普通で、施工が楽で、便器が詰まった場合の処置も簡単な腰掛便器への切り替えは進まなかった。
それを変えたのが昭和35年、日本住宅公団(現UR都市機構)による公団住宅への腰掛便器の全面採用であった。公団住宅で育った子ともたちが大きくなるにつれて、腰掛便器の採用が増え、昭和52年には、腰掛便器の出荷が和式便器の出荷を上回るようになる。
昭和初期は、タンクが天井近くにあるハイタンク式トイレであったが、ロータンク式が登場した。昭和30年には、タンクのふたを手洗い器とする手洗い付きロータンクも誕生した。さらに、給水タンクをじかに便器が背負うスタイルのタンク密結型便器が誕生し、主流となった。その後、ワンピース便器、タンクレス便器も登場し、トイレ空間が広くなった。
日本の冬のトイレは寒く、昭和41年には、ヒーターを内蔵した暖房便座が登場した。また、昭和44年、用便後の局部を洗浄できる温水洗浄便座が登場した。
昭和55年に発売された改良型温水洗浄便座「ウォシュレット」を機に温水洗浄便座の急速な普及が進み、今では日本のほとんどの住宅トイレに温水洗浄便座が設置され、新しいトイレ文化をもたらした。
トイレは、UD(ユニバーサルデザイン)&ECOでなくてはならない。昭和51年、節水トイレが登場した。便器の洗浄水量は3.8リットルで、昔の便器の5分の1以下の量となっている。SDGsの目標達成に貢献している。
公共トイレの多様性の始まりは、車いす使用者用トイレの整備からである。平成12年に交通バリアフリー法が制定されると、車いす使用者に加えて、乳幼児連れの人や、人工膀胱・人工肛門を装着しているオスメイトの人などの設備機器が求められるようになった。
令和3年の建築設計標準の改正により、「多機能トイレ」の名称を削除し、一般男女別トイレ、車いす使用者トイレ、オスメイト対応トイレを基本とし、乳幼児用設備は車いす使用者トイレから分離することにした。
また、男女共用トイレを積極的に導入し、性的マイノリティ、高齢者や発達障害者などの同伴利用などで常態化されていくものと想定される。
日本のトイレはこの半世紀でかなり快適になった。現在の国際化の流れの中、未だに流すボタンがわかりにくいう声をよく聞くという。また、家庭用トイレは小便器がなくなり、ほとんど洋式化した便器一つだが、男性の小用における便器の高さや撥ねに、まだまだ問題が残るという。
安全・安心・快適・便利・人権・平等が確保されないと快適と言えないという。また、不快感の除去だけでなく、「使いやすい」から「使うと楽しい」といった体験重視にもなっているという。
本書はトイレの専門家が、その知と技を説明したものである。トイレについてかなり詳しい知識を得られる。また、多くのトイレの専門家の努力により、トイレがますます快適となることが期待されると感じられた。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?