ブレイク・スコット・ボール『スヌーピーがいたアメリカ『ピーナッツ』で読みとく現代史』慶應義塾大学出版会
漫画『ピーナッツ』は、チャーリー・ブラウンの優柔不断さこそ、その面白さの本質であるとともに、それは作者であるチャールズ・M・シュルツの自身でもあるように思える。
本書は、シュルツの評伝ではない。しかし、シュルツのことを知ることができるテーマを時系列で配列し、評伝仕立てで、その人となりを理解することができる。
『ピーナッツ』は、あからさまイデオロギーがない。まさに優柔不断ではある。その優柔不断さこそ、シュルツのイデオロギーであった。物議をかもす論題を提示しつつ、大いに多義的なところがあるため、読者はひどく嬉しかったりむかついたりした。
しかし、深刻きわまりない事件に対して、無関心すぎるととの批判はされた。シュルツは、一番の仕事は、新聞がよく売れるようにすることだと考え、漫画が多くの人々への訴求力を失うのは、論争ぶくみの政治的課題に、態度を表明することだと確信していた。
シュルツの成功の核は、さまざまな解釈の余地を生み出す、両義性とアレゴリーの巧みな使用であった。巧みに用いられる多義性によって、読者は自分の見たい世界を見てしまう。
シュルツは伝統主義者ではあったものの、彼の女性キャラクターたちは、女性の役割をめぐる二十世紀半ばの期待を押し広げた。それはルーシーと、パティである。
毎年秋、救いががたいほど楽観的なチャーリー・ブラウンがフットボールを蹴ろうとする直前、ルーシーがボールを引き、チャーリー・ブラウンに宙を舞わせて背中から落下させるという恒例行事を行っていた。
1971年秋の回では、チャーリー・ブラウンがボールを蹴るのを拒もうとする。しかし、、ルーシーは「私は組織を代表して、その組織の代表者としてボールをおさえておく」と主張する。
チャーリー・ブラウンは組織を代表するなら誠実なはずだと考える。しかし、全力で突進していざ蹴ろうと体重をかけた瞬間、ルーシーはボールをすっと引き、チャーリー・ブラウンに宙を泳がせる。「今年のフットボールは、女性解放運動の許可を得て引きました!」
女性解放運動をポジティヴに捉える読者であれば、若い男性に自分の優位を見せつけるチャンスを得た若い女性に関するジョークと読み、女性解放に反対する者であれば、かわいそうなチャーリー・ブラウンに無辜の犠牲を見いだし、威圧的で執念深いフェミニズムへの批判と読む。
シュルツは引退を宣言し、最終原稿を仕上げた2000年2月12日、結腸がんでこの世を去る。『ピーナッツ』は、二十世紀の遺産であると考えることもできる。しかし、現在の課題について考える示唆を得ることができるであろう。本書は、アメリカの現代史を読み解くうえで重要な一冊である。
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