マガジンのカバー画像

人間ぎらいだった私へ

18
「人間ぎらい」だった私が、「人間ぎらい」を克服していく自伝的な書き物です。 5000字程度の記事20本くらいで完結の予定…だったのですが、20本では終わりそうにありません。
シリアスな内容が含まれているので、メンタルが安定している時にお読みください。夜中に読まないように。
¥1,100
運営しているクリエイター

#母娘

人間ぎらいだった私へ0)はじめに

 こんにちは。やまのうえのきのこです。はじめましての方も、またお会いできた方も、お元気でいらっしゃるでしょうか。  前作の、ひきこもりや不登校の当事者に向けて書いたお手紙、「K君への手紙」シリーズを書き終えて、ああ、やれやれ、わたしの社会に対する役目は果たした、もう終わりだと安心していたのですが、しばらく休んでいる間に、今度はわたしの「人間ぎらい」について書きたくなってしまいましたので、再び筆をとった次第であります。  「人間ぎらい」ってなんなの、ってことについては、本編

人間ぎらいだった私へ15)学生時代~心配・腹痛・支配

 さて、前回は、どのようにしてわたしが「苦しみ」を追い求める「ストイックな」性格になっていったかをお話ししました。  わたしの家には、勉強とゲームの時間以外にも、いろいろなルールがありました。家の大人たちは、病気にならないために、子どもが非行に走らないために、将来お金に困らないために…。このような、いろいろな将来の不安を抱え、それに対する対処法を、いつも追い求めているような人たちでした。  具体的に言うと…、「癌」にならないために、抗癌作用のある食材を使ったレシピを見て日々

¥150

人間ぎらいだった私へ13)学生時代~勉強・知と徳・母との「絆」

 さて、勉強の話の続きをしていきましょう。

¥150

人間ぎらいだった私へ12)学生時代ー教育・家の宿題・父

 さて、今日もお話を続けていきましょう。  今日は…、そうですね、わたしの生まれ育った家の「文化」について、もう少し詳しくご紹介していきたいと思います。  最初のほうでも少し触れましたが、わたしの家庭は、すごく「教育熱心な」家庭でした。父親が中学の数学教師、母親も、専業主婦ではあるものの、教育免許を取得しており、両親とも、子どもの教育に非常に高い関心を持っていました。そして、同居していた祖母も、教育熱心で、孫のための知育教材には、お金を惜しまず、投資をしてくれました。  ひ

¥150

人間ぎらいだった私へ11)学生時代ー毒舌・やさしさ・母と姉

 さて、前回も、前々回も、わたしの小学生時代の交友関係について、主にご紹介いたしました。  「なんだ、それほど『人間ぎらい』でもないじゃん」「もっと『ぼっち』なのかと思ってた」との声が聞こえてきそうですが、そうですね…、わたしは、外から見たらただの「ちょっと人見知りで」「シャイな」子どもにしか見えなかったかもしれません。しかし、表面的には、人と問題なく仲良くしていても、わたしの内面は、「ひんやり」としていました。「温かみ」をもって人と接することが、ほとんどありませんでした。

¥150

人間ぎらいだった私へ8)小さい頃ーピアノ・厳しさ・母娘関係

 小さい頃の話を、もう少し続けていきましょう。なんといっても、わたしの性格の基本は、ほとんどすべて、幼稚園の頃までに形成されているといっても、過言ではないのですから…。  今日は、ピアノの話のつづきから始めましょう。

¥150

人間ぎらいだった私へ5)小さい頃ー母親・姉・暴力

 母親についてのお話を、続けていきましょう。  最も分かりやすく簡潔に、母の「欠点」を説明するとしたら、それは「ヒステリー」でしょう。なんでしょうね、「ヒステリー」って言葉は、人によってイメージする中身が結構ずれてしまう言葉のひとつなので、わたしにとってはあまりしっくりこない言葉なのですが…。  姉は、母のことをよく「ヒステリー」と言って表現していました。わたしは、説明するのに言葉を重ねに重ねて、断言するのを避けたいタイプなのですが、それと比べて、姉は、人のことを一言で言い

¥150

人間ぎらいだった私へ3)小さい頃ー家族・逃げた犬・父方の祖母

 さて、これまでの話で、わたしの幼稚園での振る舞いを知っていただいて、わたしの「人間ぎらい」の中身が、ちょっとずつ、ぼんやりとではありますが、イメージしていただけたのではないかと思います。  でも、どうしてそのような人間になってしまったのか、ということが、今度は疑問として浮かぶかもしれません。「元々そういう性格なんだよ」「生まれ持った性質だよ」という説は、わたしは採用いたしません。もちろん、生来の気質もあると思います。しかし、100%ではありません。そこには、環境の要因が存在

¥150