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人間ぎらいだった私へ

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「人間ぎらい」だった私が、「人間ぎらい」を克服していく自伝的な書き物です。 5000字程度の記事20本くらいで完結の予定…だったのですが、20本では終わりそうにありません。
シリアスな内容が含まれているので、メンタルが安定している時にお読みください。夜中に読まないように。
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#親子関係

人間ぎらいだった私へ0)はじめに

 こんにちは。やまのうえのきのこです。はじめましての方も、またお会いできた方も、お元気でいらっしゃるでしょうか。  前作の、ひきこもりや不登校の当事者に向けて書いたお手紙、「K君への手紙」シリーズを書き終えて、ああ、やれやれ、わたしの社会に対する役目は果たした、もう終わりだと安心していたのですが、しばらく休んでいる間に、今度はわたしの「人間ぎらい」について書きたくなってしまいましたので、再び筆をとった次第であります。  「人間ぎらい」ってなんなの、ってことについては、本編

人間ぎらいだった私へ15)学生時代~心配・腹痛・支配

 さて、前回は、どのようにしてわたしが「苦しみ」を追い求める「ストイックな」性格になっていったかをお話ししました。  わたしの家には、勉強とゲームの時間以外にも、いろいろなルールがありました。家の大人たちは、病気にならないために、子どもが非行に走らないために、将来お金に困らないために…。このような、いろいろな将来の不安を抱え、それに対する対処法を、いつも追い求めているような人たちでした。  具体的に言うと…、「癌」にならないために、抗癌作用のある食材を使ったレシピを見て日々

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人間ぎらいだった私へ14)学生時代~勉強・ゲーム・苦しみと快楽

 このように、わたしはどんどん、「母親に貢献すること」に、はまっていくようになりました。わたしは、家族の中で、メンバー間の衝突を和らげるように立ち回る、「緩衝材」、「調整役」になってしまったのです。

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人間ぎらいだった私へ13)学生時代~勉強・知と徳・母との「絆」

 さて、勉強の話の続きをしていきましょう。

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人間ぎらいだった私へ10)小学校時代ーはじめての友達・母のルール・家庭環境

 小学校の頃のわたしにとって、「友達」と呼べる人はほとんどいなかったと、前回お話ししました。しかし、わたしにも、数少ない「友達」と呼べる人がいました。

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人間ぎらいだった私へ8)小さい頃ーピアノ・厳しさ・母娘関係

 小さい頃の話を、もう少し続けていきましょう。なんといっても、わたしの性格の基本は、ほとんどすべて、幼稚園の頃までに形成されているといっても、過言ではないのですから…。  今日は、ピアノの話のつづきから始めましょう。

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人間ぎらいだった私へ6)小さい頃ー母親・家族行事・泣かないこと

 母親との、いい思い出についても、書いておいた方がいいかもしれません。そうでないと、どうしてわたしが、前回書いたような、「荒れ狂う破壊神」のような母親と、仲が良かったのか、読者の方にはさっぱり分からないでしょうから。

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人間ぎらいだった私へ5)小さい頃ー母親・姉・暴力

 母親についてのお話を、続けていきましょう。  最も分かりやすく簡潔に、母の「欠点」を説明するとしたら、それは「ヒステリー」でしょう。なんでしょうね、「ヒステリー」って言葉は、人によってイメージする中身が結構ずれてしまう言葉のひとつなので、わたしにとってはあまりしっくりこない言葉なのですが…。  姉は、母のことをよく「ヒステリー」と言って表現していました。わたしは、説明するのに言葉を重ねに重ねて、断言するのを避けたいタイプなのですが、それと比べて、姉は、人のことを一言で言い

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人間ぎらいだった私へ3)小さい頃ー家族・逃げた犬・父方の祖母

 さて、これまでの話で、わたしの幼稚園での振る舞いを知っていただいて、わたしの「人間ぎらい」の中身が、ちょっとずつ、ぼんやりとではありますが、イメージしていただけたのではないかと思います。  でも、どうしてそのような人間になってしまったのか、ということが、今度は疑問として浮かぶかもしれません。「元々そういう性格なんだよ」「生まれ持った性質だよ」という説は、わたしは採用いたしません。もちろん、生来の気質もあると思います。しかし、100%ではありません。そこには、環境の要因が存在

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人間ぎらいだった私へ1)小さい頃ー家・わたし・父と母

 小さい頃のことは、あまり覚えていません。  自分自身の最初の記憶は、幼稚園の頃からです。幼稚園の年少(1年目)の時の、担任の先生の容姿が好きだったこと(かっこよかったんです)。でも、容姿からは、女性なのか男性なのかが判断できなくて、かといって本人に聞くわけにもいかず、後にご結婚されて写真を見せてもらったときに、そのウェディングドレス姿から、「ああ、女性だったんだ」と分かったこと。  そういうのが、自分自身のいちばん初めの記憶です。

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