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人間ぎらいだった私へ

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「人間ぎらい」だった私が、「人間ぎらい」を克服していく自伝的な書き物です。 5000字程度の記事20本くらいで完結の予定…だったのですが、20本では終わりそうにありません。
シリアスな内容が含まれているので、メンタルが安定している時にお読みください。夜中に読まないように。
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#父親

人間ぎらいだった私へ0)はじめに

 こんにちは。やまのうえのきのこです。はじめましての方も、またお会いできた方も、お元気でいらっしゃるでしょうか。  前作の、ひきこもりや不登校の当事者に向けて書いたお手紙、「K君への手紙」シリーズを書き終えて、ああ、やれやれ、わたしの社会に対する役目は果たした、もう終わりだと安心していたのですが、しばらく休んでいる間に、今度はわたしの「人間ぎらい」について書きたくなってしまいましたので、再び筆をとった次第であります。  「人間ぎらい」ってなんなの、ってことについては、本編

人間ぎらいだった私へ12)学生時代ー教育・家の宿題・父

 さて、今日もお話を続けていきましょう。  今日は…、そうですね、わたしの生まれ育った家の「文化」について、もう少し詳しくご紹介していきたいと思います。  最初のほうでも少し触れましたが、わたしの家庭は、すごく「教育熱心な」家庭でした。父親が中学の数学教師、母親も、専業主婦ではあるものの、教育免許を取得しており、両親とも、子どもの教育に非常に高い関心を持っていました。そして、同居していた祖母も、教育熱心で、孫のための知育教材には、お金を惜しまず、投資をしてくれました。  ひ

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人間ぎらいだった私へ6)小さい頃ー母親・家族行事・泣かないこと

 母親との、いい思い出についても、書いておいた方がいいかもしれません。そうでないと、どうしてわたしが、前回書いたような、「荒れ狂う破壊神」のような母親と、仲が良かったのか、読者の方にはさっぱり分からないでしょうから。

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人間ぎらいだった私へ4)小さい頃ー母親・父親・夢

 さて、今日は、母との関係についてお話ししたいと思います。  そうですね、母については、わたしにとって、最も書くのが難しい題材のひとつです。断片的に、こんなエピソードがあった、あんなエピソードがあった、と、その場の雰囲気に応じた、「母との葛藤エピソード」や、「困ったちゃんな母エピソード」は浮かぶのですが、そうやって、ネタとして扱えることは、物事の表層に過ぎません。  「一卵性母娘」とか、「母娘カプセル」とか、「母子密着」とか、いろいろな言葉で、母と娘の「過ぎたる親密さ」につい

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人間ぎらいだった私へ1)小さい頃ー家・わたし・父と母

 小さい頃のことは、あまり覚えていません。  自分自身の最初の記憶は、幼稚園の頃からです。幼稚園の年少(1年目)の時の、担任の先生の容姿が好きだったこと(かっこよかったんです)。でも、容姿からは、女性なのか男性なのかが判断できなくて、かといって本人に聞くわけにもいかず、後にご結婚されて写真を見せてもらったときに、そのウェディングドレス姿から、「ああ、女性だったんだ」と分かったこと。  そういうのが、自分自身のいちばん初めの記憶です。

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