「世界史から紐解く日本」 空に夢を託した人間たち 佐波優子
空に夢を託した人間たち
佐波優子
人が上空を移動する。飛行技術が発達した現代ではそれは普通のことかもしれない。しかしたった百数十年前はそれは普通のことではなかった。今回は人が空を移動するために力を尽くした二人の人物を、世界史と日本の歴史から紹介したい。
空に夢を託した二宮忠八
日本史から登場するのは、飛行機の開発を行った二宮忠八だ。二宮は1866年7月、今の愛媛県八幡浜市に生まれた。物理や化学に関心がある若者だったという。20歳になった二宮は香川県丸亀の陸軍に入営した。23歳の時野外演習で行軍していた二宮はカラスが空を飛ぶ姿を眺めた。カラスは翼をバサバサ羽ばたかせ続けることなく、一、二度羽ばたいただけで空を悠々と舞っている。二宮はこの原理を使って飛行機を作ろうと思い立ったのである。2年間の苦労を重ね、二宮は模型の飛行機を飛ばすことができた。10メートルの飛行に成功したのだ。1894年、日清戦争が始まると二宮も衛生兵として戦争に参加した。飛行機があれば人や物資運んだり偵察したり、戦局は有利に進むはず。そう考えた二宮は軍に「飛行器」の開発を求める上申書を提出するが、何度出しても却下されたのだった。
失意の二宮は軍を辞め、民間の大日本製薬に入社し、支社長にまで昇り詰め、お金を貯めると飛行器の実験機を作った。飛行成功まであと少しというところで、ライト兄弟が有人飛行に成功したことが新聞で報じられた。二宮は新聞を読み涙を流したという。そして実験機を壊し、もう「飛行器」の研究をすることはなかった。たが二宮は後に飛行機から墜落して死んだ世界中の飛行家たちを弔うために「飛行神社」を建立し、神主となり、後に70歳で亡くなった。飛行器の研究は辞めても、二宮の飛行にかける想いは消えることがなかったのだろう。
多くのパイロットの命を救ったパラシュート
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