アラフォーからの初めてチャレンジ①ダンスと私
今の私は体を動かすことが大好きですとはっきりと言えるし、めちゃくちゃ楽しんでいる。
実は私は運動神経はない。
そのせいで高校生までは苦労した。
一生懸命走っても走る速さは学年、いや、下手したら学校中で一番下。
ハードルや跳び箱を飛べたこともないし、逆上がりやマットで後転もできないしそれは今も変わらない。
あの頃、体育の授業ではいつも叱られていた。
やる気がないとか、本気でやっていないとか・・・
私は本気でやっているのに
できなくて悲しんでいるのに
大人になってスポーツのトレーナーさんに相談して知ったこと。
体の使い方って教えるのが難しくて、何でできないのか?の解析までしてくれる指導者に出会えなかったから体の使い方をしらないまま成長しちゃったパターンらしい。
そこには恨みはない。
しょうがないもん。
だから、大人になってから運動が大好きになった。
無理やり登らされる登山は大っ嫌い(今も)だけど、自分で行きたい山道はしんどくてもガンガン登るようになったし、ウォーキングは好きなので、今は歩くのも多い方だと思う。
そして、ずっと好きでもできなかったことがある。
それがダンスを習うということ。
子どもの頃、お遊技会的なかわいいダンスもまともにできず、小中学校で謎にやらされる全員ダンスでも私だけできなくて全体の足を引っ張っていると叱られ、白い目で見られた。
父親の親友が日本舞踊の先生だったから、父が習わせようとしたけれど「この子は絶対踊る事には向いていないからレッスンできない」と拒否もされていた始末。
確かに今でもへたくそなのだが、この頃はへたくそがやるもんじゃないという世界観しか知らなかったから、私は踊ることはやりたいけどできないことと認めることにした。
中学生になって、新しく部活にダンス部ができた。
私は本心ではダンス部に参加してみたいのだけど、できなかった。
小学校、中学校の当時はいじめられていた私。
いじめられる原因はいじめた奴らに聞かないと真相は分からないのだけれど、私の運動神経の悪さを面白がってバカにしてきて詰めていかれることも多かった。
それに、そのいじめていた同級生や先輩もダンス部に所属することが決まったので、絶対無理やん、私。
顧問もいつもの体育の先生で、やる気がない、一生懸命真面目にやってないからできへんねんってしか言われないと思うからやりたいけれど、行ったら地獄くらいにしか思えなかった。
それでも、コンクールとか絶対見に行っていたくらい、憧れていたし、踊るだけじゃなくて見るもの大好きなのは今でも変わらない。
大人になってからは比較されないので、運動そのものはようやく楽しめるようになった、というか、楽しいんだとわかるようになった。
誰も否定しないし、ある意味自己満足、競うとしたら他人ではなく自分自身だからというところか。
それでも、ダンスにはなかなか手は出せなかった。
理由①
今更ダンスなんか習ってもなーんの役にも立たない。
将来の為に役立つ資格の勉強ならまだしも、飯のタネにも成らんようなことを今更習うのは無駄であると思っていた。
理由②
振付を覚えるのが本気で遅い。
スポーツジムのダンスクラスに参加しても全然ついていけなかったし、子ども向け番組のエンディングのダンスですら、踊れないし、動きが全く分からない。
理由③
②と繋がっているけれど、大人のダンス教室などに通ったとして覚えが遅すぎて一緒に習っている人についていけないに違いないと考えると、過去のトラウマが顔を出して尻込みしてしまう。
これをクリアするのに何か大きなきっかけがあったわけでもないが、40歳になった時にふと思った。
この年齢からでも通いやすそうなダンススクールないかな?
ひとりで暮らすようになって以来、家賃や光熱費を支払うなどの生活のことしか考えていなくて何をしたら損とか、得とか、そういう気持ちを優先させてきた。
しかし、パートナーと一緒に暮らすようになってその心配がぐっと減ったおかげか?損や得じゃなくて楽しめるかどうかで何かを習ってもいいんじゃないかと心の余裕が生まれたのかもしれない。
昔の夫なら、無駄遣い、そんな暇があればパートに出ろと言って許さなかっただろうけれど、今のパートナーはそんなことは言わないし、何より私が機嫌良くなることは応援してくれるタイプなのも良かった。
住まいも大阪なので、ちょっと調べてみるとたくさんダンススタジオがあったし、シニア向けのクラスなどが開講されているスタジオなら、ハードでややこしい動きも少なそうな気がして、体験レッスンなどを受けてみた。
初回で過去のトラウマなんかも先生にはお話ししたら(した、と思う、多分。初回の記憶が薄れている。)人によってやりやすい動きなどもあるので、その人に合った動きはあると思うと説明してくれてたので、ベリーダンスがメインのスタジオにちょこちょこ通うようになった。
ダンスをちゃんとしなきゃいけないではなくて、レッスンの時間動いているのが楽しい。
それが私にはうれしい事で「ダンス=傷つく」の自分の方程式がどんどん変わっていって「ダンス=心のごちそう」と切り替わっていった。
先生たちが主催するダンスのイベント、見てるだけじゃもったいないってことで参加させてもらえるのも、ソロで踊ってる自分を昔の自分が見たらありえないって信じないと思う。
そりゃ、今から初めても先生たちのようにかっこよく、うまくなんてなれない。
できない動きもあるし、かっこよくないし、振付おぼえるのはじかんがかかるんだけど、時間をかけて練習したら覚えられると知った。
(前までは覚えられないと早々にあきらめていたことにようやく気付く。簡単に覚える人と比較して、できないと思い込んでいただけだった)
でも、楽しむことはいつからでもできる。
楽しんでやろうとする人たちと関わればできる。
体育の授業は結果を出すことが目的。
部活も結果を出すことが目的。
やっぱり、ダンス部には入らなくて正解だった。
この子に踊ること全般が向いていないと言った父の友人は、なんとか舞踊の師範代の先生なので、伝統を守れるような結果を残すことが目的だったので、習わなくて正解だった。
提供する目的が結果であるなら、ダメだしされたり、向いていないと言われたりすることはその通りともいえる。
私は記録を作りたいとか、○○流師範代などの肩書が欲しかったわけでもないので、当時無理にやっていたら踊ることが嫌いになってしまっていただろう。
ダンスも、運動も、辛かった。
走ったらしんどい、暑い夏にプールも嫌
寒い日の登山も辛かった。
辛かったけれど
嫌にならずに済んでよかった。
あの頃は体が辛かったのではない、心が辛かっただけだ。
やりたいことを楽しむのはいつからでもできる。
楽しいと体は軽くなるので、同じように動いても辛くなんてないどころか時間を忘れて動いてしまう。
歩きながら振付を思い出して、小さく踊ってしまうときもある。
やたらふわふわと体を動かしてリズム取って歩いている人いたら、それは私かもしれない。