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父が亡くなった事は事後報告だった…亡くなった日に出会っていた人とは?

私と父

以前書いた記事『大学受験勉強している私に毎晩母は夜食の差し入れ。試験合格後の母のセリフとは??』でも書いたように、私は家族との縁はすっかり切れている。

それでも父だけは亡くなるまで連絡を取り続けた。
もともと仲が良かったわけではないし、父とまともに話すようになったのは私がお酒を飲めるようになってからだ。



私が中学生くらいまでの話。

定年まで夜勤の仕事をしていた父と平日に会うことはほぼなかったし、休みの日も昼間からお酒飲んで、野球中継見て、贔屓の球団が勝ったら喜びの酒、負けたら悔しさを紛らわす酒、そう理由をつけて近所のスナックにボトルをおろしに行く。

父がいない時間が長かったので、母や兄姉たちから聞く父の性格を聞いて必要以上に恐れていた。

兄からは、父は母に暴力をふるい、我が子のしつけも暴力ばかり、ギャンブルも好きで家族に迷惑しかかけてこなかったと聞いたし、姉はそんな家族が気に入らなくて家出したきり帰ってこなくなったと聞いた。

母からは、お父さんが怒る、暴れる、殴られるからそれは止めてとか、こうしてとか、そんなことばかり言われてきたので、そのまま信じていた。

確かに、叱られて手を挙げられたこともあったし、怖かったのは怖かったのだけれど、私の見ている限りでは、お酒を飲んでいるときは機嫌が良く怒られることもなかったし、母や兄の言うことは大げさなのではないかと感じることもあった。

テーマがそれるけれど、我が家は父も母も40代の高齢出産だし、兄や姉とは親子くらい年齢差がある。

姉にはすでに自分の子どもがいて、まだ私が小さいころは姉の子どもを介して(つまり、私から見たら甥っ子だけど同じ年だった)盆正月程度に顔を見たことがあるくらい。

推測でしかないけれど、ある時からぷっつりと姉は姿を現すことが無くなったので、父や母ともう会いたくなくなるような出来事があったんだと思う。
姉の顔を最後に見たのは私が小学生の時だから、かれこれ30年は音信不通だ。

そして、私にはもう一人兄がいた。
つまりは私は4人きょうだいの
末っ子なのである。

本来なら生まれる予定のなかった
末っ子なのである。

2人いる兄のうち、ひとりの兄が20歳目前で病気で亡くなってしまった


兄が亡くなったことは残された父にも母にも、兄や姉にも、想像していた人生とは違う、苦しみや悲しみにはなったと思う。

父と母には後悔がたくさんあったのだと思うし、亡くなった兄の生まれ変わりを求めて私を迎えたんだと思う。

だから、兄や姉から見たら、父は私にはとっても甘くて優しい人に見えただろうし、実際に兄や姉の頃とは違うんだろうなと感じることもたくさんあった。

父は確かに怖かったけれど、兄が言うようなろくでなしではないのではないか?
かつてはそうだったかもしれないけれど、本人も悔やんでいることもあるんじゃないか?

他の家族が言うほど、父の事は嫌いではない。
兄姉には申し訳ないと思いつつ子どもの私はそう思っていた。


私がお酒を飲めるようになるまでも、ジュースならOKと行きつけのお店に連れて行ってくれるのは楽しかったし、父も楽しそうでご機嫌良しだし、借金しているわけでもないし、好きにしていいんちゃうかな?と思っていた。

初めて私を連れていくお店では「この子は愛人」とばれっばれのウソをついて突っ込まれる父は楽しいお酒を飲んでいるなと思えたし、トラブルなんて見たこと無かったし、父がお礼を受け取らないからという理由でスナックのママさんたちから私宛にプレゼントを頂くことも多かったし、恩恵を受けたことは数知れないから、父の何が怖いのかはどんどんわからなくなっていった。

だから、父に聞いてみた。
私が生まれる前のこととか、私が生まれてから聞いていた父の話が本当なのか。

どうやらそれは本当だったらしい。
私は父に、そりゃビビられるし嫌われるわ!!と言った。

父はそのつっこみにも一切反論はせずに、後悔していると話してくれた。

『私はそれ聞いても怒る理由ないねん。だってその時代を知らないからな。どんどん優しくなってくれてて、優しくなってからしか知らない私は幸せやね。でも、実際に悲しい体験をした母や兄や姉にわかってもらおうなんて思わない。辛かったやろなって想像はできるし、実際許されてないから。しゃーないやん、やってもうたことやし。恨まれて当然や。だから私ができる事はお父さんのいいとこ引き継ぐだけかな~。もしものお父さんが亡くなった日は誰がなんて言ったって私はお酒飲んでご機嫌よくお父さんを見送るわ。しかも、朝まで限界まで飲む( ´艸`)』

しんみりしてるのは嫌やからな、明るくしててな。
父は笑ってそう返事をした。

なぜ私がそんなことを言ったかというと、祖母が亡くなった時に父がずっと飲み続けていたのを、人間らしくていいなと思ったからだ。

過去の後悔も含めて、父の本質のようなものは私によく似ていて親子だなと実感したし、晩年の父とは一緒にスナックやカラオケ喫茶に行くことが楽しかった。

父倒れる

ちょうどこの時期、当時の彼と朝までドライブをしていた日。
彼と会っている日は何にも邪魔されたくなくて携帯の電源を切っていた。

翌日のお昼に起きて形態の電源を入れると、びっくりニュースが飛び込んできた。
父が脳梗塞で倒れて緊急搬送されたというメッセージだった。

この時の私に最初にでたものは、もう終わった…だった。

このメッセージをもらってから半日過ぎているし、父はすでに80歳。
父よ、申し訳ない、しょーもない娘でごめんなさい。もう間に合わないのでゆっくり実家に向かいますと。

亡くなっていると思い込んで、実家に着くと兄がすでに到着していた。
そして、父の一命は取り留めたこと、だが年齢の事もあるから回復は難しいかもしれないとのことだった。

病院の集中治療室にいる父に会いに行くと、言葉はうまく話せないし体も動かない…このまま治らないかもしれないと思うとキュッと胸が痛くなった。

入院も長くなりそうで、私と兄は今後の事についても話しをした。
すでに母は痴ほう症だったのだが、兄は母は自分の家に連れて行って嫁に面倒を見てもらうと決めていた。

母にたくさん辛い思いをさせてきた父が嫌いだという兄は、父は連れて行かないし勝手にすればよいと切り捨てた。
とは言うものの、兄が本当に父を放置するなんてしないだろう、私は楽観的に思っていた。

翌日再び父のいる病院に向かうと、集中治療室ドアの向こうから大きな声と笑い声が聞こえてきた。

(病院なんだし静かにしてほしいな、しかも集中治療室なのにうるさいのはどういうことなんだろうか。)

お察しの通り、そのうるさい人は父であった…

倒れたと聞いた親戚がお見舞いに来ていて、久しぶりの再会に話が盛り上がったらしい。

いや、それはいいんだけど。

いいんだけど。

昨日、医師から回復は難しいって
説明されたはずよな?
喋れんかったし、体も動いてなかったな?

何で1日で治ってるの!!!


もちろん、翌日には普通病棟に移されて、本来なら体力的にお勧めしない治療のための手術も、父なら耐えられそうだからやってみても良いのではないかという流れになり、何かよくわからないけれど回復して良かったねってことになった。

ところが、兄は本当に母だけを連れて帰ってしまったのだ。

父に一緒に暮らそうか?と言ってみたのだが、ひとりで頑張ってみるというので私は時々様子を見に行き、体調が良ければ一緒に飲みに行っていた。

私が母や兄や親類から聞いていた父の姿は、放っておいたら絶対自分の事なんてできないし、ギャンブルにお金を使って借金まみれになる人。

結果は真逆だった。


80歳の自炊したことない人間が、スーパーに行って特売を見つけては焼いたり煮たりして料理をきちんとやっていた。お惣菜は美味しくないからってあまり買わなかったし、家もいつもきれいに片付いていた。
無理にお世話される方が不快で、自分のやり方できっちりやりたいらしく、なんなら私より完璧に家事をこなしているとも思えた。

昔の事は知らないけれど、人って変わることもあるんだって教えられた。

兄嫁との関係

兄は母を実家に連れ帰ってはいたが、父の緊急連絡先は兄の家になっていた。
私は自分のペースで携帯の電源オフにする人間だし、何より兄の家には固定電話があって嫁さんも専業主婦で連絡がつきやすいから。

兄からは連絡はないが、たまに嫁さんからは連絡が来ていた。

【お父さんが入院したので、病院に行ってください】
【お父さんの病状がかなり悪いようです、病院に行ってください】

その度に父に連絡するんだけれど、入院してないのにしてるって連絡がきていたり、風邪を引いただけで病状がかなり悪いと伝えてきていたりしていることが判明した。

父が事実を隠しているのかと疑いもしたけれど、本当に検査入院したときは父から私に直接連絡もあったし、生活にあたって必要なものは頼まれて購入したり、様子も見に行ったりしているので、入院している形跡はないのだった。

兄の嫁さんも父と電話すらすることもなかったらしいし、恐らく、親せきからの伝言ゲーム的に話を知らされ、誤解して、心配してメッセージを送ってきていたのかもしれない。

とはいえ、毎回のメッセージ全部が事実でないことばかりだと、いちいち反応もしたくなくなってしまい、どんなお知らせがきてもすぐに反応はしなくなった。

そんな頃、当時のパートナーと縁が切れ、友だちもほぼいない私は、父がいなくなれば本当にひとりになるんだなと実感が沸いた。
今後の生活をひとりで乗り切るためには、仕事を増やしたほうがいいだろう。

そう思って、成績さえ上げればどんどん収入にはなるような仕事をあえて選んで転職した。

その頃、また兄の嫁さんから父が倒れたと連絡が来るのだが、仕事も忙しいしまたいつものことと思ってすぐに返事を返さなかった。
落ち着いたらまた実家に顔を出すし、本当に倒れたなら病状の連絡が来るに違いないから、今はスルーしておこうと。

事後報告

兄の嫁さんからの最後の連絡はあっけなかった。

【先月、父が亡くなりました。実家は月末までで賃貸契約が終わるので必要なものが残っているなら早めに引き取りに来ないと捨てます】

まず、先月ってどういうこと?ってなったし、私が返信をしなかったから亡くなったことも伝えてもらえなかったのか?だとしたら事後報告だけしてくるのもよくわからない。

嘘かもしれないと思って実家に戻ってみたら、すでにもぬけの殻。
連絡きてから3時間後には実家に到着してるのに、もう捨ててるやんってびっくりした。

本当じゃない情報はたくさんメッセージくれるのに、本当の情報は送ってくれないことに怒りも感じた。

何で亡くなったと知らせてくれなかった?
実家にすでに荷物がないのは何故?

電話して怒りたかったけど、今更無駄なことと思ったから何もしなかった。
怒って現実が変わるならいいけれど、もぬけの殻の家がここにある現実は変わらないのだから。

そこから、家族とは一切連絡を取ることもないし、今どうしているのかも知らない。

それ以上に父のお別れに行かなかった自分への罪悪感や父への申し訳なさで悲しくて悲しくて落ち込んだ。


お墓参り

父は生前にお墓を決めていたのでお墓参りにはいくことができた。
亡くなったと聞いたのは冬だったが、やっとお墓に足を運ぶ気持ちになれたのは夏だった。

ずっと落ち込んでいた私に「連絡取りたくない理由があったんだし、しょうがないよ」って言い続けてくれた人がいた。

その人とは自然と一緒に居る時間が多くなり、お墓参りには一緒に来てくれた。
お墓には父の戒名と亡くなった日が刻まれていて、私は初めて父の命日を知るのだった。

○月○日かあ。
その日私何してたんだろうな。

一緒に来てくれたその人は、すぐに気が付いたらしい。

「その日、一緒に飲んでた日だ・・」


そうだった。
何となく休みが同じで、予定もなくて。

父以外と飲みに行く友だちも、近くにはいなくて。
たまにはお誘い受けてもいいかなって飲みに行ったんだった。

しかも、翌日も休みだから朝まで飲んでたんだったわ。

亡くなった日も知らなかったし、その人にも私が父に話した「もしものお父さんが亡くなった日は誰がなんて言ったって私はお酒飲んでご機嫌よくお父さんを見送る、しかも、朝まで限界まで飲む」の事は話していないし。

不思議だけれど、父に対して宣言していたことは、現実になっていたことをお墓参りでようやく知るのだった。




あれから5年。
今は一緒にお墓参りに来てくれたその人と一緒に暮らしています。

終わりに

親子なら何があってもきちんと連絡をするべきとか、嫌いでもお互いに面倒を見るのが当然と考えるならば、私の家族の取った行動はむちゃくちゃだし、怒りを感じられることもあるかもしれないし、悲しいとか、寂しいとかも感じられることもあるかもしれない。

父や母が悪いわけではないのも知っている。

これは想像でしかないかもしれないが、父も母も第2次世界大戦中を体験している。

まだ10歳にも満たなかった母には両親もおらず、長女だから弟や妹に食べるものを用意するため学校にも行かずにお金を工面していたらしい。私が子どもの頃は、毎日のように母の過去の話を聞かされていて、それは今の私には想像を絶するものだった。

母にしてみれば、そんな苦労も知らないで生きている私が不満に思うことなんて贅沢としか思えなかっただろうし、見ていて気分が悪かったのかもしれない。

今まで悲しい事ばかりの人だから、優しくしてあげなさい、理解していうことを聞いてあげなさい、そんな声をかけられることも多い。

では、子どもとは親の願いを叶えるために
存在するのだろうか?

父と母は確かに辛かったことも多かった。
だったら、それがない世界を作ろうと思うのが私の考えだ。

一緒に苦労をしてあげるのではなく、一緒により良い生き方をすることを選びたい。

それに母は言うことを聞かない、気に入らないのなら縁を切れ、そうでないならいうことを聞け、と考えている。

つまり、縁を切れという提案を私は受け入れているだけなのだ。

そして、父と母をみていると、日本の戦争って終わっているようで完全には終わっていないこともよくわかる。
傷は大きく残っているし、その傷で次の世代を傷つけることもある。

そんな連鎖を終わらせたい。

離れている方が平和で安心していられるなら、その方がお互いよりよい未来のためになっていると思う。

父は母とはもっと仲良くしたかったんだよ。
我慢する事を求めてはいなかったんだよ。

一緒に外食いっぱいしたかったって。
誘ってももったいないって断られて
悲しかったって。

本当は家族全員でたくさん
外食したかったんだよ。

でも、母にも母なりに断る理由もあっただろう。

夫婦の事だからあまり介入すべきじゃないけれど
もし私が過去に戻れるのなら

そういうとこの夫婦の話し合い
諦め早すぎちゃう?
もっと仲良くなれたかもしれないよと言いたい。


今のパートナーは父が縁を作ってくれたのかもしれないし、今後何があるか分からないけれど、今のところはありがたく反面教師にさせてもらって平和に仲良く過ごしている。





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