【実録:私の倒産物語 ③ Xデー『翌日』】
2017年12月7日倒産翌日、今日から自分は倒産社長として、ご迷惑を掛けた人たちに対する贖罪を一生背負っていかねばならない。
「私は絶対に逃げない!」などと決断するのは容易いが、それを実行に移すことはとても難しい。
覚悟を決めていつもと同じ場所(会社)へ向かう…。違うのは非常事態を想定して家族が避難した妻の実家(同じ市内)からの道程であること。
まだ、電気も水道も新聞も普段通り通っている。
朝刊一面に倒産の記事が大きく書かれていた。
ローカルスーパーの破綻など珍しくはないが、田舎では大ニュースとなった。
⭐️朝刊を恐る恐る読んでみた…。
そこにはスーパーやまとの地域への貢献の数々や、私が県の教育委員長であったこと、ヴァンフォーレ甲府のスポーンサーだったこと、閉店による地域への影響などが書かれ、非難めいたことは何ひとつ書かれていなかった。
私は少しホッとした…。
⭐️ネット記事も見てみた、
こちらはきっと批判の嵐だろう…。
そしたら、
✔︎お金がない時、やまとの安い弁当に助けられた、ありがとう!
✔︎俺たちのスーパーやまと、ヴァンフォーレ甲府のJ2降格と共に倒産💧
✔︎うちのお母さん朝から泣いてる、私ももらい泣き💧
✔︎あのチャラい社長、大丈夫かな?いい人だったのに…
✔︎どうして行政はやまとを助けてやらなかったんだ💢
✔︎移動スーパーが来てくれて、免許証返納しちゃったばあちゃんが心配💦
『やまとロス』のオンパレードだった🙏🏻
私が債権者へお詫びの電話を掛けているのと並行して、お客さんからの激励や労いの電話がひっきりなしに掛かってくる。
「愛されていたんだな、そして俺はみんなの大切なものを失くしちゃったんだな」
問屋が卸さないとか、地域貢献したとか、教育委員長とか何の関係もない!
すべては社長である私の責任であるm(_ _)m
時は年末を控えていた。本部スタッフも給与は後回しなのに全員がいつも通り出勤し、社労士や弁護士スタッフとともに離職票や裁判所に出す帳簿資料を作ってくれた。
そして各店ではパートさんが出勤して、在庫の整理や店舗の清掃をしてくれる。私は本部に居て、次から次にやってくるメディアに対応した。
それぞれが自分の役割を全うしようと必死だった。
ニュースを聞いて駆け付けた取引先も多い。
彼らはみんな差し入れを持ってきてくれたり、何か手伝うことがないかと言ってくれた。ご迷惑を掛けるのはこちらの方なのに。
非常時にパンを届けることで有名なあのパン屋は、食べきれないほどのランチパックを持ってきて「これまでありがとうございました」と🙏🏻
担当の女性社員と一緒に泣いていた…。
ひとつだけ悔しいことがあった。
今まで「やまとは町のライフラインだ」と言っていた町がいきなり水道を止めてきた。倒産したからだろう、でも誰も「しばらくそのままにしておけ」と言わなかったのか?
作業もトイレも水が無ければできない。
こうして私のライフラインは止められ、次の日からポリタンクで水を持ち込んで閉店作業をすることになる。
その次の日からもしばらく同じ状況が続き、倒産した会社なのに笑顔があふれていた。
それが「作り笑い」だったとしても、どん底の私には何よりの救いだった。
◉ 従業員の再就職は県が音頭を取り、専用の就職説明会を開催してくれ、取引先を中心に皆が落ち着くことができた。
◉ 1,000万にもおよぶ破産処理費用は、県民のカンパで賄うことができ、未払い給与や公的支払いに充てることができた。
◉ 私は連帯保証人の責務で、家屋敷や車、保険の解約返戻金、預貯金、家財道具等、すべてを持っていかれたがこれは当然のこと。
命があるだけで充分。私の資産は「私自身と仲間たち」なのだから。
大丈夫!心配ない!何とかなる!
なんとかしてやるさ(^^ゞ (完 3/3)
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【私はこんな人間です】