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暮しを耕す


雑誌というものを、かれこれ5年は買っていなかった。コロナに突入し、貧乏まっしぐらになり、雑誌を買う精神的余裕が無かった。あくまで精神的に、である。読みたい記事のためなら千円以内の出費は許容範囲だ。美容院や服を買うお金はなくとも、小説や美術書は買っていた。なぜ雑誌を買えなかったかというと、広告ページや商品の値段を目にする事が、そこそこ辛かった、というのがあった。


そんなこんなで、お金はなくとも何故か精神的余裕はある今日このごろ。地震ショックで「お出かけしたくない!」という息子をなんとかかんとかクスリのアオキまで連れていき、キャラメルを買ってやるというミッションをクリア。なんの気なしに目をやった雑誌コーナーで、何故か目があった暮しの手帖12-1月号を、値段も確認しないまま買い物カゴに突っ込んだ。


買って良かった。本当に良かった。

暮しの手帖、なんて素晴らしい雑誌なのでしょう。

圧倒的な文章量。そう、私は文が読みたかった。スマホを見ていると、AIは私の事を誰よりもわかってくれているから、今1番の関心事である震災関連のニュースや住宅ローンや学資の記事がじゃんじゃん流れてくる。知るべきだし役に立つけど、ちょっとほとほと疲れちまっていた。

雑誌は良い。というか、暮しの手帖は良い。プロだろうとアマだろうと、それぞれの生活の中で見つけた小さな幸せやライフハックが、まじで所狭しと埋められたページの数々。そして、一冊の雑誌から一貫して発せられていたのは、平和への祈りだった。


誰もがそのままで面白いと語るのは、テレビ番組で日本中の市井の人々と触れあってきた鶴瓶さん。阪神淡路大震災を経験して、変わりゆく現実や生命の姿を残すために彫り続けるはしもとみおさん。ルームシューズの編み方、年末年始に食べたいちょっとしたごちそう、ゴミの上手な分別の仕方…。全ての記事が、なんだか、パワフルだ。生活に対する真摯でまっとうな向き合い方を、私たちは何があってもやってやるから!という気概。迫力さえ感じる。


「今日拾った言葉たち」というコーナーに、広島県知事湯崎さんの昨年の平和記念式典あいさつが抜粋されていたのはシビれた。同じ広島出身の総理がG7の事しか言ってなかったのに、湯崎さんはただひたすら戦争に対して怒っていた。戦争に対しては怒るのが正しい。どんなに立場が偉くなろうとも、怒る以外に正解は無い。すごく印象に残っていたから、まさか暮しの手帖に載っているとは思わず、嬉しかった。


雑誌の表紙の裏に、この雑誌の理念が載っている。1948年に創刊された暮しの手帖。戦争も災害もなくならないけど、私たちは私たちの暮しを耕すしかない。レシピが載っていても実際に作るかわからないごちそうのページを眺め、牛乳パックは洗って乾かして切って、エコバッグに入れておくと買い物ついでに捨てられて便利というライフハックに膝をうち、お隣の国は戦争をしていないのではなく、ただ休戦中なだけなのだなとハッと気づく。

自分の心の土をふかふかにできるのは、自分しかいない。どうせいつか死ぬならば、ふかふかな土で、色んなお花や植物に囲まれて死にたい。死ぬことは生きることだから。


どうやったらふかふかになるか、そのきっかけは一冊の雑誌が教えてくれた。思わぬ感動をありがとう。12-1月号、すごく完成度が高いと思います。定期購読しよ。


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