君が大好きと、思っただけ、それだけのこと
土曜日の夜からずっと涙目だ。
旧宮崎酒造で開催された中ムラサトコさんのライブ。最高だった。
中ムラサトコさんの音楽との出会いは、劇作家のりまき愛ちゃんが、瀬羽町で演劇を作っていた数年前。旧宮崎酒造二階で、期間限定のカフェをしていた愛ちゃん。カフェでもよく流していたサトコさんの曲。その時流していたアルバムタイトルは“13のスープのはなし”だっけ?違っていたらごめん。
カフェ時代から時が過ぎ去った今も変わらず、愛ちゃんのスープは暖かい。愛ちゃんが、嬉しくて何かに感動して、ポッポっと光っているときの、澄んだ喜びの時の心。ライブ当日の「激うまスープ」はマジで激うまだった。
カフェのクロージングとして、瀬羽町全体を舞台に演劇を上演した。タイトルは、“すこし、とまる。〜羊編〜”その劇中歌として登場したのが、サトコさんの「ホームレスのラブソング」。
“家なんかいらないのさ
君の事を考えるだけで
ほら I feel at home
別に一緒じゃなくても
君が何処かで生きてれば
ほら I feel at home”
歌詞も耳で聴いて覚えただけだし、間違っているかも。私はこの曲が大好きだ。私だけでなく、あの時あの演劇に携わった全ての人の、記憶の栞として作用するような曲。つまり、私たちの中で、「ホームレスのラブソング」は特別。
家があるのに、帰る場所はあるはずなのに、どこにも帰れないような時がある。世界の誰からも必要とされていないと感じてしまい、今自分が居なくなっても、きっと誰も悲しまないんだろうな…。と、やけに世界がだだっ広く、自分の事を地を這うありんこほど小さく感じてしまうような時。「え?そんな事ってある?」って思った人は、どうかずっとそのままでいて欲しい。こんな気持ちは知らないほうがいいし、知る必要もない。ともかく、人はいとも簡単にホームレスとなりうる。
だけど、誰かの事が大好きという気持ちさえあれば、屋根のない場所でだって安心して眠ることができる。君が隣にいてくれたら。それだけで。いや、いてくれなくても。一緒だった時の幸せを、ずっと心の中でポッポっと灯す。その気持ちだけが、間違いなく自分の居場所だ。
“君が大好きと、思っただけ、それだけのこと”
どんなに好きでも、死ぬまで一生一瞬たりとも離れず一緒にはいられない。だけどあの時、大好きだと確かに感じた時間を信じていられたら、一緒に笑った事を思い出すことができたなら、きっと自分の居場所はその瞬間瞬間にある、あった、という事は、これからもずっとある。なくなったりはしない。だから、やっぱり、
”家なんか、いらないのさ”
圧倒的なラブソング。人を好きになるとはこういう事だと思う。
忌野清志郎の「スロウバラード」にも通じるものがある。常に目の端が潤んでいて、潤んだ世界の中でたった一人の一挙手一投足、発する言葉や眼差しが、自分を守る“家”となる。
大好きだという、ただそれだけの神々しさ。愛とはこういう事だ。
私にとって、あのライブのあの空間は完璧に“家”だった。それぞれが好きなことをやり、好きな人と過ごし、子どもらは遊んだ後の余韻で、大人たちは明日の英気を補充するために心を空っぽにして。
圧倒的な歌声をみんなで聴けるって、共有できるってすごい。あの数時間はもう戻ってこないけれど、私の心に新しい記憶の栞ができた。ページを開けばいつだって、2023.09.09に戻る事ができる。
ホームレスのラブソングの原曲は、オランさんというシンガー。オランさんの歌はユーチューブにのってるので、そちらも是非ご覧ください。
とにかく、中ムラサトコさんが完璧に暑気を祓っていかれ、号泣すぎるほど号泣し、私は元気もりもりです。
地を這うありんこであろうとも、生きてるだけでパーフェクト。酸いも甘いも味わい尽くして、ずんずんずんずん剣岳のてっぺんを目指そう。たまに見える。ちゃんとある。過去も未来も一歩一歩のつみ重ね。
奇跡のような時間が確かにあった事を、心のルーパーで反芻する。忘れないでいようと思う。
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