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ルンバ1歳に出会えるまち、高岡市場街

ものづくりのまち高岡を存分に楽しめるイベント、高岡市場街にお出かけした。

目当ては「高岡で澄む」という、高岡にゆかりのあるアーティストによるグループ展。1970西織ビルと、土蔵造りのまち資料館の2会場の展示を見た。(もう一つの会場であるPiiloは迷ってしまいたどり着けず)

ビルの展示もすごく素敵でしたが、土蔵造りのまち資料館での展示について書きます。



靴を脱いで畳にあがると、昔の大工さんの道具が展示してあったり、昔の高岡のまちのジオラマがある。そして、会場の奥に視線を向けると、いきなり巨大な人間の頭部にロウソクが刺さっている立体作品。誕生日ケーキが頭に乗っているようだ。私はわりと無邪気に「わ〜、面白い!」と思ったが、同行者は「怖い、気持ち悪い。」と、若干引き気味だった模様。そうだな、当たり前の感想だな。畳の上に巨大な人間の頭部が現れたら、そりゃあ怖いしキモいよ。世の中にはゾッとするような目に優しくない作品も沢山あって、そういう負の感情を当たり前に受け取ることが、アート作品を見まくっていると麻痺してきたりもする。パッと見て普通に思う感覚を大切にしなければなと痛感。畳の上に巨大な頭部があれば、普通に恐ろしいです。


奥に向かう土間の細い通路を進むと、悲しげな表情をしている人魚のような生き物こオブジェが。こちら、以前に富山県美術館で展示されていたのを見たけれど、ホワイトキューブの中での印象よりも100億倍美しく見えました。人間や動物など、表情のあるものをモチーフにした作品は特に、展示場所によってガラリと雰囲気が変化する。昨年の象さんの作品も異なる場所で見てみたい。(同じ方かな?)というか、彼女の作品は勝手に動いてどっかに行っちゃいそうな雰囲気もある。生きてますよね?山町筋に、住んでますよね?


となりのトトロのようなタイル貼りのお風呂場に、またもや人間の頭部が!!畳の上の頭部と同じ作者の作品で、パラフィンのぬめり、テカリによって妙な色気と生命力があった。美しかった。が、やはり同行者は恐怖を感じたようだ。頭部がお風呂場にあれば、そりゃあ怖いよ。でもね、怖さが美しかったりもするんだよ。アート作品を見ていると、美しい、怖い、楽しいなどのひとつの形容詞の単語に、まったく当てはまりきらない感情が心の中に眠っているのを発見できて嬉しい。怖いけれど美しい、楽しいけれど怖い、好きだけど辛い、など。


土間のつき当り、仄暗い空間から聞こえてくる物音。頭部をみた後なので若干ビビりながらも覗くと、全自動で動くハタキのようなものが床をはいていて、謎の黒くて丸い物体、ライティングされた白い紙?のようなもの。本日1番の?が頭の中に溢れる。

係の方の説明によると、全自動ハタキはルンバ1歳、何やらのルールに従い動いているらしい。(ルールの説明が文章だと難しいのだけど、一定のリズムではたいているのではなく、弱まったり強まったり、よく観察していると生き物感溢れる動きをしている)

ルンバ1歳が昨日から(3日間の会期の2日目に行きました)はたき続けた木の床は、その部分だけつやつやピカピカに光り輝いており、意図していなかったであろうアーティストインレジデンスみをうみだしていた。


誰かのとるにたらない行為や習慣が、予想外の物事に繋がっているという事がある。社会のルールに合わせている日常の中で、自分のルールでしか絶対に動けないような事とか。

例えば、会社の始業時間は決まっていても、自分のくしゃみをコントロールするのは難しい。だけど、ある場所を通りかかると原因不明に必ずくしゃみが出てしまう、そのくしゃみを聞いて、そろそろゴミ出しの時間だなとか思っている誰かがいるかもしれない。


自分にしかわからない独自のルールで動き続けるルンバ1歳を見て、生きるってこういう事だと知る。究極だった。圧倒的だった。ルンバ1歳よ、ありがとう。



会期は本日18日までなので、是非行ってみてください。わざと作家名やタイトルを省略しました。他にも素敵な作品沢山ありました。行って良かった!

自分の目と、ファーストインプレッションを大切に、自分の心に眠る新たな形容詞に出会ってみてください!

高岡市場街、高岡で澄む、楽しかったです。



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