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闘う君の唄を、闘わない奴らが笑うだろう
何度も書いたけど、2024年は大厄の年だった。お疲れ様、自分!
体調が悪かった以外は、良い年、いや、濃い年だったなあと思う。
6月には芸術祭をした。
日本全国どこを見渡しても、こんな展覧会、アートイベント、他にないんじゃないかって思うくらい、オンリーワンな出来事を仕掛けることができたんじゃないかな。
この場を借りて、関わって下さった皆さん、本当にありがとうございました。
人生で一番考え、体当たりし、受け入れ、人に助けてもらった半年間でした。プライスレス!!
自分が自分らしくいられるマックスの状態を経験した後のその後の日々は、けっこうしんどいものがあった。
芸術祭の2日間が、楽しすぎた。
私は芸術祭的な事だけやっていたいのに、家族のために働かなくちゃいけないし、夏は暑いし無理…。と、ずっとうじゃうじゃ言っていたような気がする。
好きな事をやって、会社勤めと同じ位稼ぐ方法がまじでわからない。宝くじよ当たれ!買ったことないけど、当たれ!
ずっとうじゃうじゃ言ってもいられんので、生活の場を移すことにした。今、どうにもならないのなら、今、どうにかなるものから進めるしかない。
南砺市は棟方志功が一時期住んでおり、民藝の聖地とも言われている。
井波は木彫のまちで、まちを歩けばノミでカンカン…と木を打つ音がきこえてくる。
クリエイティブで、生活の中に誰かの美意識が根付くまちで暮らすことにした。
息子の通う保育園の中にも木彫りの女性像や欄間、オブジェが飾ってある。クリスマスには、その女性像に容赦なくサンタ服が被せられており、そのユルさにグッときた。
南砺はユルい。以前住んでいたところでは、生きているだけでバカにされたのに。誰も何も気にしていない感じが良い。
私が何も気にしなくなっただけかもしれないけど。
同時期に再婚もした。何でも話せて、美味しいご飯を作ってくれる人に出会えて本当に良かったと思っている。
台所は私の居場所ではない。やりたくなくて、やらなくても良い事は、やらない。
厄年に結婚するのは、実は厄落としになって良いらしい。知らずに結婚したけど、日々の美味しいご飯は他の何にも変えられない、不幸から身を守るための唯一無二の手段だ。
ご飯の時間が幸せならば、日々の大抵は幸せだから。
男が食生活を守り、女が働くスタイルに落ち着くまで、私たちは沢山の話し合いをした。
話し合いは闘いだ。他と違う生き方は世間との闘いでもあり、私たちは内外的にも沢山の闘いを経験した。
自分の心地よさが世間とズレているなら、自分はこのスタイルで生きます!と宣言し、それが少数派となるならば闘わないといけない。
少数派には理由を求められるからであり、「何故ですか?」のひと言はこちらに対する宣戦布告だ。
本当は闘いたくない。攻撃されるかも!と、構えて生活したくない。
この結婚は、案外そんな闘いはふっかけられなかった。「子ども産まれるといいねー☆」というハラスメントを受けたことはあるが、(あえてハッキリ言うけど、誰もが子どもを望んでる訳では無いし、結婚=子どもに結びつけるのは妻・夫どちらに言ったとしてもマタハラですからね!まじ黙れや!)
苦労を知らない人程動揺し、心配という名の攻撃をしてくるものだと、この機会によくわかった。
闘ったことのある人は、闘いを仕掛けてこない。
同性婚が認められている国も、認められていなかった時代に闘った人がいたから、今の当たり前の自由がある。
保育園の送迎も、こんな山の中の保育園ですら6対4で女:男であり、それはもうつまり、その他の色んなことも、できる方がやっているのでは?と思う。
私たちの世代は、少なからず闘い、闘ってきた人を見てきた。
だから、こちらからは攻撃しない。ふっかけられたときに闘い、闘う君の唄を、闘わない奴らが笑っているだけなのだ。
ちなみにGoogleによると、“「闘う」は、権利や利益を守るための言論による争いや、障害・困難・苦しみなどに立ち向かい努力するときに使います”らしい。中島みゆきはすごいなあ。1983年の曲ですって。
自分の幸せは自分で立ち向かい、努力するしかない。
人生は闘いだ。来年も、ファイト!!