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MAKING THE CUT3 芸術家と人間性

※ネタバレあり
Amazon Primeで視聴できるリアリティーショーの中で、一番好きなのはMAKING THE CUTだ。

世界中からやってきたデザイナーが、ワンミリオンドラー(ついワンミリオンドラーと言ってしまう。見ればわかる。)と、Amazonで商品を販売する権利をかけて戦う。

中でもseason3は最初から最後までずっとわくわくしながら見ることができた。参加者みんなレベルが高く、人間的にも素晴らしい方々ばかりだった。

エピソード4のグループワークは最高だ。全て見ろとは言わないけど、エピソード4だけでも見てほしい。創作の喜びって、こういう事だなあと思う。 

参加者一人ひとりが、全体的に見てつながりのある服を制作し、みんなで一つのファッションショーを成り立たせるという課題。
世界の様々な地域から来た、年齢も性別も様々な参加者たち。みんなそれぞれのブランドの代表で、自分の個性は絶対に曲げたくない。

今までのシーズンでは、このグループワークの課題は修羅場だった。
誰かの足を引っ張ったり、自分を出したいがゆえのぶつかり合い。見ているこっちが胃が痛くなってしまう。
season3の参加者は、果たしてこの課題をどう乗り切るのか、ハラハラしっぱなしだった。

だけど、その心配は杞憂に終わる。
ある参加者が、テーマをお葬式にしようと提案したのだ。彼のブランドは白い服しか扱わないにも関わらず。

お葬式なら、どこの国のどんな文化にも存在する。イメージしやすい。
色は黒で統一する事になった。
みんなで話し合うたびに、アイディアがどんどん湧き出す。 
「私は死んだ男の愛人にする!」
「僕は死んだ男の放蕩息子。遺産を狙っているんだ」
「じゃあ僕は、男を殺した犯人にする。」
テーマはイタリアンマフィアの葬式になり、それぞれがベストのコーディネートを完成させる事ができた。この課題では一人の脱落者もなかった。

芸術家に人間性は必要なのだろうか?
表現の世界に足を踏み入れた事のある人は、一度は必ず考えた事があるだろう。

どんなに良い人でも、素晴らしい人だとしても、作品が作品として成り立っていなければ、芸術家ではない。
というか、協調性のある“良い人”は芸術家には向いていないはずだ。自分の中の歪さや、社会へのフラストレーションを制作の動機とする場合は多い。

だけど、どんなに優れた作品であっても、その作品の芸術的価値がいかに高かろうとも、作家の根本的な人間性に問題があれば、誰かを傷つける可能性を孕んでしまう。作品は、自分自身だからだ。

その辺りのバランスは本当に難しいなあと思う。完璧な人なんていない。みんな間違う。誰かを傷つけては絶対にダメだけど、鑑賞者の受け取り方で勝手に傷ついてしまう場合もある。

私は、誰かを傷つける事なく、かといって人目を気にすることなく、自分の想いを表現する事が芸術だと思う。
そのためには、根本的な人間性はブレてはいけない。作品は自分だから。自分の中の良いものや悪いものが、そっくりそのまま表に現れる。
だからこそ誰かの心に響くものを作ることができる。だから、やりたいならやればいいと思う。人目を気にせず。矛盾してるようだけど、そこは自分の人間性を信じるしかない。

白い服しか作らないブランドの代表なのに、お葬式というテーマを提案した彼を私は尊敬する。黒い服でも素晴らしかった。大好き。

シーズン3の優勝者が、最後に語った言葉がこちら。

番組に参加して気づいたんだ。
周りは僕を受け入れてくれる。ファッションだけじゃなく、人間として信じてくれた。その意味は大きい。
自分らしく生きる強さをくれた。すごいことだ。

私はこの言葉を涙なしでは見れない。

歪で尖っていて、こだわりが強く正直な、弱さを含んだ彼のすべてが、あっと驚くランウェイとなった。

彼は真の芸術家だと思う。



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