誰も死なない連続テレビ小説
俳優の伊藤沙莉さんが大好き。彼女にハマったのは、連続テレビ小説「ひよっこ」がきっかけ。米屋の娘、米子をコミカルに演じておられた。
伊藤沙莉さんと同じ時代に生きることができて、本当に嬉しい。伊藤沙莉さん見たさに、ひよっこを欠かさず見ていた。「すきすきすきっすーき、すきすてきすっきー」という沙織のテーマ(米子という名前が嫌なので、沙織として生きていた)が流れる度に、米子、ブラボーと心の中で拍手を送っていた。米子を見るだけで、にやりと笑える。朝見るのにふさわしい演技を、本当にありがとうございます。
米子だけでなく「ひよっこ」という連続テレビ小説自体が、朝見るのにピッタリの軽やかでハッピーなドラマだった。
私は朝から悲しい気持ちになりたくないので、人がじゃんじゃか死んだりめちゃくちゃ性格悪い人が出てくる朝ドラは絶対に見ない。軽やかさとハッピーさ以外に何が必要なのだろうか。
これから1日が始まり、社会の荒波にもまれないといけないのに。
ひよっこは、誰も死なず、本当に嫌な人は一人も出てこない最高の朝ドラでした。
主人公みね子は茨城の農家の娘。大好きなお父ちゃんは一家を支えるために東京へ出稼ぎに出ている。ある時から、お父ちゃんは東京で消息不明となってしまい、みね子はお父ちゃんの行方を探しつつ、一家を助けるために東京へ働きに行く、というストーリー。
そう、誰も死なず、嫌な人は一人も出てこないにも関わらず、悲しい出来事はどうしようもなく起きてしまう。
みね子の就職先の工場は1年そこらで潰れ、お父ちゃんはひったくり犯と揉み合った末に記憶喪失になっていた事がわかる。戦争は人々の心に爪痕を残したまま。悲しい事、嫌な事は、どんなに懸命に生きていても向こうからやってきてしまう。
しょうがない。どうしようもない。それでも人生は続く。
伊藤沙莉さん演じる米子なんて、米屋の娘で米子だ。「どこのどいつが米屋の娘に米子なんて名前つけるんだ!!」と、父親と大喧嘩する。そりゃあ嫌だよ。そんな名前を付けられたらどうしようもない。
どうしようもない事にどう向き合うかが、ひよっこのコンセプトだと感じた。
米子は米子が嫌なので、「沙織」として生きていた。朝ご飯に米を食べるのも嫌だから、食パンを食べていた。どうしようもない事に対して必死で抵抗し、「私はこうありたい」という姿を打ち出した。
ゲラゲラ笑いながら見ていたけど、それって本当にすごい事だ。私は沙織。朝はパン。
みんな、どうしようもない気持ち、ハッピーエンドで終わらなかったいくつものストーリーを抱えて生きている。みね子のお父ちゃんの記憶は、最後まで戻らなかった。あんなに家族を愛し、愛されていたのに。この世は悲しいことだらけ。
だけど最後の最後に出てくる、この言葉は全てを救う。
「悲しい出来事に、幸せな出会いが勝ったんだ!」
幸せな出会いは、「どうにかしよう」としている人にだけやってくる。
どうにかしよう、なんとかしよう。
それでも人生は続くのだから。