まんちゃ_黄昏

『日本の“ふつう”をぶち壊す』あえて「肩書き」を持たない男・YAMATOが実現したいこと

「日本の『ふつう』に一石を投じるべく生きる」をテーマに活動する、京都生まれ・ニューヨーク育ちのYAMATOさん。

彼は、日本の「ふつう」に対して、何故そこまでの問題意識があるのか。

現在取り組んでいることや、生き方の原点となった過去の出来事を含め、彼の半生を語っていただきました。

〈聞き手=ゆぴ(17)〉

「ふつう」という壁にぶち当たり、迎合した中学時代

― YAMATOさんは現在どんな活動をされているんですか?

いろいろやっていますが、具体的には下記のようなところですね。

・アパレル企業の人事
・英語のパーソナルコーチ
・英語・日本語ディベート講師
・チームビルディング講師
・音楽活動(作詞作曲)
・英語の発音矯正トレーナー
・コーチング(dig your life)

― !? めちゃくちゃ多岐に渡っていますね…

はい。でも、これらの事業には一貫して大きな軸があります。それは日本の「ふつう」という固定概念や同調圧力をなくすことです。

― 「ふつう」ですか?

はい、僕は3〜12歳までニューヨークで過ごしていたのですが、そこではさまざまな人種の方がいたから、共通認識が極めて少なくて、自分の常識が通じないのが当たり前だったんですよ。それに、居心地のよさを感じていました。

一方で、日本には「暗黙の了解」という共通認識がありました。空気が読めなかったり、少しでも和を乱すとおかしな目で見られるんです。

僕は、中学生のときに日本の私服校に編入したのですが、もともとアメリカのキャップ文化が好きだったので、キャップを一日中かぶっていたんですよ。でも、日本には校則に書いていなくても、「授業中に帽子をかぶるのは違うだろ」という共通認識があった。

それで、キャップを取られて、クラス中で回された挙句に失くされる、というのがしばらく続きました。

― それはひどいですね…

また、もともと授業中に積極的に挙手して発言をするのが好きだったんですけど、先生が僕の質問に答えているうちにチャイムが鳴って、少しでも授業が延びてしまうとクラスメイトにボソボソと陰口を言われることもありました。

あとは、音楽をやりたかったけど軽音部がなかったからあえて「帰宅部」を選んでいたのに、それも「異質」とみなされてしまって。

僕も最初のころはくじけながらも頑張っていたんですけど、次第に心がすり減ってきて、とうとう折れてしまいました。

そして、中2からは「スクールカーストの上位だから」という理由でサッカー部に入って、授業中に聞きたいことがあっても、おとなしくノートに落書きをしてやり過ごして、文化祭なんかも率先することなく、投票のときだけ手を挙げるような「事なかれ」人間になったんです。

― 日本で言う「ふつう」に染まっていってしまったんですね。

はい。でも、サッカー部を引退するときにプツンと糸が切れる出来事がありました。

最後の引退試合で早々に負けて、部員全員が泣いてるなかで、僕はまったく涙が出なかったんですよ。

僕は一緒に楽しくサッカーをしていたつもりだったのに、できていなかったんです。

帰宅して、部屋でぼうっとしていたら父が声をかけてきたんです。「サッカーを3年間やってみて、これからどうするの?」と。それに、「今はわからない」と答えたら、「好きなことをやりな」と何気なく言って、出ていったんです。

その瞬間、涙が溢れてきました。「好きなこと」をやっていなかったのが、見透かされたような気がしたんです。

好きでもないものに時間を費やしたことも、それに他の人を付き合わせたことも申し訳なくて、「変わらなきゃ」と決意しました。


「好き」を思い出す練習で、夢が生まれた

― そこからはどのように変わっていたんですか?

高校生になってからは、中高一貫校だったので、サッカー部の退部にはかなり勇気が要ったんですけど、「俺は全力で家に帰るんだ!!」と退部届けを出して晴れて帰宅部になりました。

そして、「好き」を思い出す練習をしました。

おそらくサッカーをやる前には「好きなもの」があったはずなのに、好きじゃないことに時間をかけていたら、「好き」を思い出せなくなっていたんです。

とりあえず空白の時間を作り、散歩をしたかったら散歩をして、楽器屋でギターに一目惚れしたらバイトをして買って、とにかく好奇心や欲求に素直に従っていきました。

最初の1年間でとことんやったら、次第にやりたいことが生まれるようになりました。海外で育ったこともあり、「留学に行きたい」と思ったんです。

そして、高校生には留学プログラムがいっぱいあるので、片っ端から応募して、留学しまくりました。パリやボストン…ハーバードやイェールを目指す世界中の高校生たちと切磋琢磨するサマーキャンプに参加したり、ニューヨークの株式市場やペンタゴンなどを訪問する高校生外交官プログラムにも参加しました。

「世界レベルのやべぇやつと戦ってみたい」と思って。

― ドラゴン◯ールみたいなことを仰る

さまざまな国に留学するなかで気付いたのが、「日本人が全然世界に出ていない」ということでした。

そして、「世界で活躍する日本人を育てたい」という思いが芽生え、英語教師になろうと決めました。

世界に出る障壁となるのが英語力なら、それを補うような手伝いがしたかったんです。


英語教師の実習で再び立ちはだかった「同調圧力」の壁

大学はすべて英語で授業が受けられる、秋田の国際教養大学に行きました。 

ところが、実際に教育実習に行ってみたら、先生と言うのはPTAの連絡や職員会議とか、生徒と関わる以外の負担があって、これは、やりたいことよりもやりたくないことが大量に流れ込んでくるなと感じてしまいました。

また、生徒への自己紹介のときに留学などを含む自分の過去の経験を語ったのですが。「ホストクラブ」で働いていたころのエピソードを出したら職員室に呼び出されて、「そんなの語るんじゃない」と言われたんです。

違法でもなく、ルールに明記されてもいないのにダメと言われることにイラッとして、そういう空気感が教員間に残っている限り、学校という現場ではやりたいことがやれないなと思いました。

― また、いわゆる「同調圧力」の壁があったんですね。

そこから急いで舵を切りなおして、「自分で学校や塾を立ち上げればいいんだ!」という考えに行き着きました。ただ、ちょうど就活のタイミングでもあったので、就活生というカードを切るのも手だと思い、さまざまな企業のお問い合わせフォームから「社長に会いたい!」と連絡してみました。

― えっ、いきなり社長ですか!?

生意気にも、「僕に会いたい社長にだけ会う」とか言ってました。「社長も僕に会えていいことあるんじゃない?」みたいな(笑)。

― 鋼のハートかよ

そこで会ってくれたのが、今務めているアパレル系ECベンチャーの社長なんです。彼も、アパレルで事業をつくり、ゆくゆくは地方創世など社会を良くしていくことを望んでいました。

その思いに共感して入社し、「社長の金魚のフン」として社長にぴったりついていろんな経営者に会ったり、社長として働くとは何ぞやということを学んだ後、入社して半年で「英語で預かるベビーシッター」の事業を立ち上げました。

日本の夫婦って「夫婦水入らず」の時間が少なくて、どうしたら夫婦が罪悪感なく二人で出かけられるかを考えたとき、英語教育を掛け合わせればいいと思ったんです。

1年目は、その副業での成功体験を本業に持って帰り、社長に報告して信頼づくりをすることに努めました。

そして、2年目からは自分の事業をやりながら、本業では「採用」と「育成」をやり続けています。


「世界で活躍する日本人を育てる」ために

― 教師という形ではなくても、「育てる」という軸はブラさずにやり続けているんですね。

はい、それが下記の事業に繋がっています。

・アパレル企業の人事
・英語のパーソナルコーチ
・英語・日本語ディベート講師
・チームビルディング講師
・音楽活動(作詞作曲)
・英語の発音矯正トレーナー
・コーチング(dig your life)

― なるほど。この「ディベート」というのが気になるのですが、これは…?

個人や企業に向けて、ディベートの講師をしています。実は僕、大学時代にディベートで日本一になっているんですよ。

― 本当にできることが多すぎる

ディベートというのは、2チームに分かれて、「しずかちゃんは、のび太くんと出木杉くん、どちらと結婚すべきか」みたいなテーマに対して討論するんですけど、ここではさまざまなスキルが培われるんです。

そもそも、日本人はコミュニケーションが下手だと言われているのですが、これは冒頭で話したような「共通認識」に頼りすぎていることが大きいです。

たとえば、一概に「ホワイト企業」と言っても、それは離職率が低いのか、利益が出ているのかわからないじゃないですか。そういうのを飛ばして話す傾向があるんです。

この「前提の共有」や「論理的な会話」というのをディベートでは学ぶことができます。

― なるほど、その事業も含め、今やっていることはすべて「世界で活躍する日本人を育てる」ことに繋がっているんですね。

はい。たとえば、海外に行くために必要な「靴」が「英語」だとしたら、速く走るための筋力が「ディベート」や「コミュニケーション能力」だと思っています。そうすると、現地の人と対等に活躍できるようになるんです。

そして、僕は、日本人に海外に行ってほしいとも思いつつ、最終的には帰ってきてほしいとも思ってるんですよ。

僕は日本を母国だと思っているけれど、そこが少子高齢化や負債などさまざまな問題を背負ってる。僕はこの国になくなってほしくないし、そのためには日本人が頑張らないといけないと思っています。

だから、成長のために一度は海外を経由しても、最終的にはそこで得たものをこの国のために使ってくれたら、という思いです。


「肩書き」はいらない

― YAMATOさんはかなりインパクトの大きいことをしているけど、決まった「肩書き」がないのが気になります。これはあえてですか?

僕は、「何をやっているのかよくわからない人」が多くていいと思っているんですよね。会社員とフリーランスに分ける必要もないし、肩書きに縛られて行動範囲が狭まるほうがもったいないんじゃないかって。

子どもだって起業していいし、肩書きは混ざり合っていいと思うんですよ。

それに、TOEICの点数などの強い肩書きばかりを並べたら反響はあったけど、過去にすがりついているようで、すごい気持ち悪くなったんです。最終的には、肩書きがなくても会いたい、というところまで行けたらな、と思います。

最初にも言ったけれど、僕は日本の「ふつう」という固定概念や同調圧力に苦しんでいる人を少しでも自由にするために、英語教育やコミュニケーションというフィルターを通じて走る靴と筋力を提供しています。

なので、僕の取り組んでいることのなかで少しでも引っかかるものがあれば、ぜひ絡んでほしい。生きることって価値の交換で成立すると思っているので、ぜひ何か価値を感じたら、一緒にお仕事ができたら嬉しいです。

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聞き手のつぶやき

YAMATOさんの本業や現在行なっている活動は、一見バラバラに見えて、すべて一貫した信念のもとに成り立っているものでした。

日本で過ごしていると、「ふつう」に合わせることが当たり前になり、窮屈さを感じながらもごまかして生きてしまうこともあるかもしれません。

「本当に自分がしたいことは何なのか」

一度立ち止まって考えてみて、それでも勇気が出ないのなら、ぜひ彼のもとを訪れてみてください。

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ディベートについて、少しでも気になった方は以下の動画をご覧くださいませ。上のインタビューでも話していた「しずかちゃんの結婚相手に相応しい相手は誰か」一人で議論しております。


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