お金は稼ぐ額よりも稼ぎ方にこだわりたい 〜マルチ商法と揶揄される団体の説明会に参加して思ったこと〜
この物語はマルチ商法と揶揄される業種の実態を知るべく、カリスマ講師の説明会に足を運んでみた若者の回顧録である。
ぼくの実体験が同じような経験をされた方、もしくは今まさに勧誘の渦中にいらっしゃる方の参考になれば幸いです。
きっかけ
ある日、ぼくは信頼している先輩から「話したいことがある」と居酒屋に誘われた。
その先輩が語るには、ぼくに向いている仕事があるとのことだった。副業として安定的に権利収入を得られるという、それはそれは美味しい話。
ビジネスモデルを伺うと、それはいわゆるネットワークビジネスだった。悪い言い方だと「ねずみ講」と呼ばれる仕組みだ。
「詳しくは説明会に足を運んで、カリスマ講師から直接聞いてほしい。」
ぼくは頭を抱えた。怪しさは残るものの、ネットワークビジネスへの偏見だけで判断したくない。信頼している先輩の提案だったこともあり、簡単に断りたくはない。自分の目で、その真偽を確かめたい。
そして、ぼくは伝説的な存在とされるカリスマ講師の登場する説明会に参加してみることにした。
会場の様子
その説明会は正午から始まると伝えられた。丸一日、夕方まで六時間に渡って講演されるのだとか。
長丁場だな、なんて思いながらぼくは参加を決めた。すると「良い席の確保をするために」という名目で、一時間以上前には会場に来るよう案内された。 結果、さらに拘束時間が伸びた。
当日、会場へ足を運んでみると、その箱は人でごった返していた。自分と同じ二十代の若者は少なく、フォーマルなお洋服を身にまとった中高年の男女が多かった。
行列のできる受付にたどり着くと、ぼくは紹介者の方とともに出席確認を済ませた。おそらく、この瞬間にぼくという数字が紹介者のポイントに加算されたのだろう。
そして、ぼくは会場の最前列に案内された。どうやら新規の人は最前列に座る設計らしい。
ぼくは、カリスマ講師の登場を待ちながら会場を見渡した。すると、この空間の構造が分かり始めた。
広い会場の後列に既存会員が並び、笑い声や拍手などで講演を盛り上げる。最前列に座らされた新規のお客さんは会場の一体感も相まって、すごいと思わされる仕組みだ。
正午になると、司会進行を務めるスーツの男性が現れた。そして、彼の合図と盛大な拍手で説明会の幕が開けた。
カリスマ講師の講演
カリスマ講師を呼び込む前に、まずはコミュニティに入ったばかりの会員さんが舞台に上がった。入会するまでの不安、それをどうやって乗り越えたか、今の活動の楽しさなどを語っていた。男女さまざまな年齢層の入りたてメンバーが登場して、幅広い層に共感を呼べるよう設計されていた。
そして、注目は再び司会進行の男性に戻った。
「大変長らくお待たせいたしました。◯◯(コミュニティ名)の生ける伝説こと、△△(カリスマ講師の名前)さんにご登場いただきましょう。大きな拍手でお迎えください。」
そして、満を持してカリスマ講師が登場した。スーツのジャケットを脱いだスタイルで、小太りの中年男性が舞台に上がる。
細かな内容は割愛するが、内容を要約すると「如何に今のままでは危ないか」「会場にいる人々は幸運にも目を覚ますチャンスが与えられている」といった趣旨の語り口だった。
結論から申し上げると、まずは参加者の自己肯定感を下げて、焦りを煽り、その解決策として入会をおすすめするような形だ。
気持ち悪かった。
最後の方には、ネットワークビジネスの先人こと成功者たちが出てきて、憧れの収入をひけらかす。まるで「あなたもこうなれる」と言わんばかりに、全員が自分の平凡さを語り合う。その話ひとつひとつに沸き立つ会場。
全てが、気持ち悪かった。
そして、ぼくは休憩時間にこっそり会場をあとにした。
ため息まじりの帰り道
一人で見知らぬ土地を歩きながら、この瞬間に至るまでの出来事を振り返っていた。
先輩に声をかけられた夜のこと。会場に着いたときの違和感。伝説と呼ばれるカリスマ講師に覚えた嫌悪感。その人の語り口に染まっていく空間の怖さ。幻想のような夢を掴もうと熱狂する人々。
気持ち悪い。ただ、それだけだった。
ぼくが参加したMLM(マルチレベルマーケティング)団体は良いも悪いも、誰かの人生を狂わせたりしないと思う。なぜなら、月会費が法外な価格でもなければ、ノルマや在庫なども抱えなくて済むから。
つまるところ、その団体に参加したからといって、生活に大ダメージを受ける人は少ないだろう。しかし、多くの参加者は蚊に刺されたような痛みを負い、その血液はごく一部の先行者たちが独占するような構造が出来上がっているのだ。
社会の縮図といってしまえば、その通りなのかもしれない。でも、だからといって、積極的にその構造に加担することはしたくなかった。
ぼくは今、個々人の対話力を鍛え、ただのグループが無敵のチームになるまでの伴走者として活動している。独自の研修を自ら開発し、それを企業や学校に提供しているのだ。
決して安価ではない商品を販売しているため、購入者とは入念にコミュニケーションを繰り返す。お金はもちろん、お互いの時間(命)という資産を使うことへの合意形成をきちんと図りたいからだ。
双方にきちんと腹落ちした上で契約が成立すると、必ず、その時間は有意義なものになる。ぼくは、そんなお金の循環が好きだ。
なんとなく投げられたお金の上で生きていたくない。誰かに対して明確な価値を提供し、その対価として、感謝の気持ちとして報酬をいただきたい。
たしかに、無数の忘れられた月々の投げ銭の上で成り立つビジネスの方がお金持ちになりやすいのかもしれない。でも、そんなお金の稼ぎ方はしたくない。なぜなら、ぼくはそれを「ダサい」と思うから。
稼ぎ方がダサい人の「いくら稼いでいる」とか、本当にどうでもいい。稼ぎ方がダサい人は、やっぱりどれだけ稼いでいてもダサい。以上。
ぼくは稼ぐ額よりも、稼ぎ方にこだわりたい。
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