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元・修行僧が案内する「天空の聖地・高野山」大門・大伽藍 #3「そもそも高野山ってどんなところ?」高野四郎・不動堂・大会堂など

YouTubeに元・修行僧が案内する高野山第3回を公開しました。

やっと最終回まで公開することができました。
今回はこのnoteで、動画ではお話できなかったところをご紹介していきたいと思います。

そもそも、高野山ってどんなところ?

高野山は、いまからおよそ1200年前に、
弘法大師空海さまによって開かれた真言密教の聖地であります。
お大師さま(弘法大師さま)は、その目的を2つおっしゃっています。
一つが修行する場所、もう一つは祈りを捧げるための場所。

修行、といってもお坊さんだけではありません。
辛いというイメージがお有りかと思いますが、辛いだけでもありません。

全ての方が、
心静かに過ごすことのできる場所として高野山をお開きになりました。
人の多い都会で毎日忙しくしていますと、
ゆっくりと過ごし、心穏やかに過ごす時間を持つことは難しいですよね。
だからこそ、都会から離れた静かな山の中にお寺を建て、
誰もが心静かに過ごすことが出来る場所を作りたい。
そんな思いがあって開かれたところです。

そして、永遠の祈りを捧げるための場所。
高野山の一番奥にある弘法大師さまの御廟、奥之院では365日、絶え間のない祈りが捧げられています。

高野山奥之院

山と仏らしく「山」という観点からお話しましょう。
高野山という山頂は存在しません。
八ヶ岳や立山がそうであるように、全体の総称です。
八葉の峰と申しまして、蓮華の花のようにいくつかの頂きが連なっています。
昔、高野山は女人禁制でしたので、
女性は高野山の周りを歩いてお参りしました。
この峰々を回る道は「女人道」と言いまして、
今も残るトレイルです。

その真中に高野山の街並みがあります。
紀伊山地の山奥にお寺や商店、学校が軒を並べる街並みが広がります。
とても不思議な空間です。

大門の先に見える高野山の町並み。この先にお寺と商店、学校などが混在しています。

今でこそ、中心に「総本山金剛峯寺」という中心のお寺があります。
しかし明治時代以前、今の金剛峯寺は「青巌寺(せいがんじ)」というお寺でした。
金剛峯寺という寺名も全体の総称。
高野山一山をもって「金剛峯寺」と言っていました。
前身の青巌寺は豊臣秀吉公によって建立されたお寺。
明治に入りまして金剛峯寺と改称し、高野山全体を統括するお寺になりました。
このあたりの歴史は、いつか金剛峯寺をご案内するときにいたしましょう。

総本山金剛峯寺

大塔の鐘

根本大塔の向かい側にある大きな鐘、大塔の鐘です。
「高野四郎」という名前が付いています。
造られたときに四番目に大きい鐘だったので、
そのような名前が付いたそうです。
時刻を知らせるため、
毎日午前4時、午後1時、午後5時(春季彼岸中日より秋季彼岸中日までは午後6時)、午後9時、午後11時の5回鳴ります。
その他、法会の時にも鳴ります。
大きいので、反対側から鎖を手前に引いて撞きますよ。

大塔の鐘

不動堂(ふどうどう)

高野山、昔から落雷や火災が多いところで、
建物で古いものはなかなか残っていないのですが、その中でも貴重な「国宝」の建造物です。
14世紀前半の再建、平安時代の住居様式を残しているので国宝なのだそうです。
中にお祀りされるのは不動明王さま。その八大童子は快慶作の国宝の仏像です。まるで生きているかのような、美しい八大童子。高野山を代表する仏像です。
元々は阿弥陀堂だったと推定されていますよ。

不動堂

愛染堂(あいぜんどう)

後醍醐天皇の発願によって建立されたお堂で、本尊の愛染明王さまは、後醍醐天皇の等身大と言われています。
いつか重要文化財になると教えていただいたことがあるのですが、高野山は国宝や重要文化財未指定のものの中にも貴重なものがたくさんあります。
迫力のある愛染明王さまです。
毎月、1と8の付く日(1日から始まり8日、11日、18日、21日、28日、31日)は護摩が修法されています。

愛染堂

大会堂(だいえどう)

金堂で大きな法会があるとき、この大会堂が出仕するお坊さんの集合場所となります。ここで「披露(ひろう)」という法会の次第や注意事項を「故実者(こじっしゃ)」という法会を取り仕切る方が読み上げて、法会が始まります。
「職衆ノ御方〜ナサレマセ」というように、
古式ゆかしい言葉遣いで申し上げます。
その後、行列を作りまして金堂に移動します。
私がいたときには、大会堂を出てすぐに右に回り金堂に入っていましたが、
中門が再建されたので、現在では中門を経由するルートに変更になりました。
ちなみの大会堂の御本尊さまは阿弥陀如来さまです。

大会堂

三昧堂(さんまいどう)

和歌で有名な「西行法師」縁のお堂です。
大会堂を再建するときに、西行法師が奉行を務めたそうですが、
その際にこのお堂で修行しながら再建をされたそうです。
手前の桜は、西行法師お手植えの桜で「西行桜」。

願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃

という和歌が有名ですよね。

「〜三昧」というと、
何かをしたい放題するというような、あまり良くないことにも使われます。
でも、本来は仏教語で「雑念を排し心を集中させること、あるいはその修業」という意味ですよ。
お坊さん一人修行するのに、丁度いい大きさのお堂です。

三昧堂 冬ですと桜がわかりにくいですね

蛇腹道(じゃばらみち)

昔、ここに大きな蛇がいて、
弘法大師が蛇を払い、竹箒に封じ込めたという伝説があります。
(名前の由来は諸説あります)
なので、高野山では本来、竹箒を使わず「くろもじ」の箒を使うと習いました。
しかし、今では竹箒を奉納していただくので、普通に使っていました。
私もくろもじの箒は見たことがありません・・・。

紅葉の名所で、秋は見事なまでに真っ赤に染まる素敵な小道です。
秋に高野山にいらっしゃったら、ぜひこの道を通ってみてください。

蛇腹道 紅葉が真っ赤に染まります

大伽藍、いかがだったでしょうか。

元・修行僧が案内する高野山。
大伽藍をご案内いたしました。
あまり長くなっても・・・と思いまして、
重要なところを中心にお伝えをいたしました。
(実はご案内できなかったところもたくさんあります)
また高野山に登る機会には、他の場所などもご紹介していきたいと思います。

たくさんの方を魅了してきた天空の聖地、高野山。
機会ありましたら、ぜひ実際にお参りになって下さい。
最後までご一緒いただき、ありがとうございました。
次の山でお会いしましょう。

合掌

山と仏 小雪童




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