仏と砂をめぐる物語#3「砂に祈る」千曲川源流の砂を、千曲川水害被災地へ
Youtube動画で砂を探す旅を配信しました。
土砂の採取
さて前回は千曲川水源地を調査、
甲武信ヶ岳に登頂し、採取候補地を決めました。
逆算していくと、5月には採取を行いたいところ。
土砂採取に関わる許可申請について、環境省・奥多摩自然保護官事務所に相談しました。(申請と許可は関東地方環境事務所になるそうです。)
通常、1ヶ月半くらいかかるそうで、5月の採取となるとギリギリ。
急いで許可申請をすることになりました。
土木業者さんの申請が多いそうで、あまり例のない申請だそうです。
私も普段することのない環境省への申請。
中には採取候補地の地形図を提出というのがありました。
山岳部時代から、地形図を読むようにしていたため、
良かったなぁと思ったところです。
さて、無事に許可が降りたのですが、
去年の5月はまだ、緊急事態宣言発出中。
その点を環境事務所に相談してみたのですが、
採取の条件が一つだけあり、それは許可から一週間以内に採取を行うということ。
そのため、緊急事態宣言が出ている中ではありましたが、
採取を行うことになりました。
人数も絞って二人だけという寂しいものになりました。
土砂加持法会も「光明真言念誦法会」に
本来であれば、関東ブロックの青年僧だけで「土砂加持法会」を行い、その後に高野山に届けるという段取りでしたが中止。
高野山で11月に青年僧が全国から集まって行う法会もできなくなり、代わりに「光明真言念誦法会」を行うことになりました。
全国で採取された砂が一度集められた後に再度振り分けられ、
青年僧がそれぞれで「光明真言(こうみょうしんごん)」を唱えるという法会。
光明真言とは、この土砂加持法会でお唱えする真言です。
この真言をそれぞれの寺院でお唱えしながら、土砂加持法会で行うように土砂を加持し、また高野山へ砂を集めることになりました。
11月12日、13時。
高野山では、青年教師会の執行部が法会を行い、
全国の青年僧が同じ時刻にそれぞれで法会を行いました。
11月19日。
加持された土砂を分けてもらい、長野県長野市長沼地区。
令和元年の千曲川水害で堤防が決壊した地点へと向かいました。
新しい堤防が築かれ、道も新しくなっています。
しかし、堤防からすぐ近くにある長野市長沼庁舎はプレハブの仮庁舎。その隣の体育館には、災害の傷跡が色濃く残っています。
堤防に上がり、土砂を散じて物故者追悼と災害の少ない世の中であるように祈りました。
祈りとは、何か。
祈りとは何でしょうか。
私はこの「祈り」とは何かを、高野山へ修行に登ったときからずっと考え続けてきました。
祈ればその瞬間に、
あらゆることが解決し、
すべての人々が幸せになり、
すべての不幸が無くなる。
そういうものでもありません。
では、なぜ祈るのか。
自然の大きな力の前、人知を超えた大きな災いの前では
私たちの存在は本当に小さなものです。
その中で、少しでも災いが少なくなるように、少しでも幸せになるように、
神や仏、何か大きなものの存在に祈る。
祈りによって、
私たちの願いを神仏に寄せ、
それが心の置きどころとなり、
前を向いて生きていこうと思える。
すべての命の、すべての幸せ。
その第一歩が「祈る」ではないでしょうか。
太古の昔から、私たち人類が行ってきたごく自然な心の働き、
それが「祈り」ではないかと私は思うのです。
祈りの本質とは
私たちは「祈る」ことが仕事ですので、
そこには長い伝統や厳格な作法があります。
しかし、祈ることの本質は、
「ただ単純に、心を寄せる」ことだと思います。
どうかこの動画やnoteを通じて、
皆さまと「祈り」を共有できたらと願っています。
最後までお読みいただき、
仏と砂をめぐる物語にご一緒いただき、ありがとうございました。
次の山でお会いしましょう。
合掌
小雪童
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