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ウクライナの二の舞になる国

本当の脅威はどこだ

お花畑な日本人の間でも、ことチャイナに関しては「国を内部から侵略されている気がする」と感じる人は圧倒的に増えた。

それは観光地に押し寄せる人波を見てとか、家の近所で住人として見かける機会が増えたとか、そういう理由なのかもしれない。

しかし、チャイナは国際法の常識を無視して領海外での武器使用を可能にする中国海警法というものを制定しているというレベルの話になると知らない人が圧倒的に多いと思う。この動きはアジア太平洋の安定を揺るがすものになると、アメリカも警戒レベルを上げている。

アメリカとチャイナの両大国の覇権争いは「新冷戦」ともいわれる。このチャイナの拡張主義を、当時、新たな脅威として台頭していたソ連と同じものとみなし、「プーチン率いる今のロシアも同じ拡張主義の野心を持ってウクライナ侵攻をした。」とする見解が巷の主流のようだ。

本当にそうだろうか。

日本のニュースを見ていても世界情勢が掴めないどころか、日本の国益からはどんどんと遠ざかっていくことは何度も何度も言ってきた。

日本の行く末を心配しての苦言に対して、「お前は親露派である」とバッサリ斬って口封じをしてきた人たちは、驚くことに普段は左翼とは反対の立場を取っているように見える人の中にも多かった。

ロシアによるウクライナ侵攻は、日本のメディアやその傘下の人達が描くように「晩年になり頭が狂ったプーチンが強欲を出して仕掛けた領土侵略戦争」という無謀かつ単純なものでは到底ない。

北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大を巡る対立がきっかけになっている。ベルリンの壁崩壊から30年あまりを経て、今や冷戦期にもなかった激しい戦闘が欧州で続いている。いや、続かされている。

『NATO拡大は冷戦後の米国の政策で最も致命的な誤りだ。』

これはアメリカの著名な外交官であり、ロシア専門家として名高いジョージ・ケナン氏による四半世紀前の警鐘の言葉だ。

その言葉が時を経て、重く響く。

ロシア専門家として業績を残したケナン氏の生前の警鐘に対して、日本ではあまり評価されていないことに違和感を持ちながら、長引くロシア・ウクライナ情勢を苦い思いで見ていると、「日本人は知っておいた方が良いのでは?」と思い、この記事を書くことにした。

ジョージ・ケナン

ケナン氏が一躍有名になったのは、その頃、どのようにソ連と付き合えば良いのか困っていたアメリカの政府中枢の中で「ソ連の封じ込め作戦」を発案した人物だったからだ。

アメリカとソ連

第2次世界大戦が終わってまだ半年あまりで、ドイツと日本を相手に大戦した連合国同士の信頼が残っており、アメリカは戦後秩序の形成にあたってソ連の協力を求めていた。

しかし、東ヨーロッパ諸国を緩衝地帯にすることに忙しいソ連は、アメリカ主導の国際秩序より自国の安全保障を優先していた。戦後構想の柱となる世界銀行にも国際通貨基金にも入るそぶりを見せなかった。

ソ連に対する淡い期待をいまだ抱いていたアメリカ財務省は、ソ連の意図を探るべく、国務省を通して在モスクワ大使館の見解を聞こうとした。その時、偶然にもハリマン大使が不在だったのだが、この偶然がケナンを一躍、有名にすることになる。

その時、高熱にうなされていたケナンだったが、アメリカ国務省随一のソ連専門家として長年蓄積してきた見解を「今こそワシントンに直訴すべきだ。」と考え、秘書の助けを借りて、8000語におよぶ長い電報を口述筆記させた。

これこそが、その後、アメリカの対ソ戦略「封じ込め」構想を生んだ電報だった。

経歴

1904年にアメリカ中西部ウィスコンシン州の生まれ。名門プリンストン大に進み、卒業後は外交官になった。

外交官の仕事よりも学問に興味があったケナンは、国務省の特殊言語の習得のための研修制度を使って、ドイツでロシア語を学んだ。(その時はアメリカとソ連との間に国交がなかったので)そして近隣のバルト三国でロシアの観察を続けた。

1933年にアメリカがソ連と外交関係を結んだ時には、一人前のロシア専門家となっており、その後、モスクワ、国務省、ヨーロッパ諸国での勤務を経て、1944年に在モスクワのアメリカ大使館の公使参事官の職に就いた。

ケナンは流暢なロシア語で人脈を築き、鋭い観察眼でスターリン体制の強権的な性格と同時にそのもろさをも見抜いていた。

だから、大戦中と同じようにソ連とうまくやっていけると考えたアメリカ政府内の見方は、彼に取ってはあまりにもナイーブに思えたのだ。

その思いを込めて、1946年2月にワシントンに送ったこの電報は、その時アメリカのだれもが判断に迷っていたソ連の対外行動の動機を鮮やかに読み解いていたので、ワシントンの政界・官界で大センセーションを巻き起こし、無名の外交官は一気に時の人となった。

ケナンはほどなく本国に戻り、1947年には、新設された国務省政策企画局の初代局長に任命された。

封じ込め作戦:注意深く封じ込め、時間をかけて自壊を待つ

ケナンによると、ソ連の指導者たちにとっては、ロシア革命はまだ進行中であり、共産党は権力を絶対化するプロセスの中にあるという。そうしたソ連観を踏まえて、ケナンは次のように提言した。

 「アメリカの対ソ政策の主たる要素は、ソ連邦の膨張傾向に対する長期にわたる辛抱強い、しかも確固として注意深い封じ込めでなければならない…このような政策は、脅威とか怒号とか大げさな身ぶりで外面的『強硬さ』を見せることとは何の関係もない…クレムリンは政治の現実に対する反応において根本的に柔軟である…ロシアの指導者たちは人間心理に対する鋭い判断力を持っており、憤激や自制心の喪失は力の弱いことの証拠であることを知っている…ロシアとうまく取引するコツは、いかなるときでも落ち着いて、ロシアが自らの威信をあまりそこなわないで対応できるような道を開いておくことだ」

またケナンは、ソ連の体制内部に「やがて自分の潜在力を弱めてしまうような欠陥をその内に含んでいる」と指摘し、注意深い封じ込めによって、長い時間をかけてソ連体制の崩壊を待つというシナリオだ。ケナン本人の念頭にあったソ連の脅威とは外国の国内政治に浸透する政治的な影響力であった。だからソ連を軍事的に倒す必要はないという見解だ。

しかし、実際のアメリカの冷戦政策は軍事色を帯びていき、その結果、1962年のキューバ・ミサイル危機のように一触即発の事態にもなってしまった。

とはいえ、最終的にはソ連体制の自壊で冷戦が幕を閉じたのは、ソ連体制を鋭く分析したこのケナンの考察が冷戦の初期段階からアメリカ政府の中にあったことが大きかったということでケナンの功績は讃えられている。

しかし、大物外交官であり、かつリアリストであったケナンは穏健すぎるということで、次のタカ派に牛耳られたワシントンには用済みとされ、国務省を離れることになる。

しかし、言論を止めたわけではない。

NATO拡大は冷戦後のアメリカの最大の過ち

1997年、中部ヨーロッパ諸国、特にかつてソ連時代のワルシャワ条約機構の中核をなしていた国々のNATO加盟に向けてワシントンが懸命に動いていた時、ケナンは強く警鐘を鳴らした。

『ニューヨーク・タイムズ』紙に寄稿し、NATOのロシアへの拡大について

「冷戦後、アメリカの政策において最も致命的な誤りであろう」

と警告した。

ソ連崩壊後、共産主義の廃墟の上で、次の国づくりへの産みの苦しみを味わっているロシアに対して、アメリカとその同盟国が軍事ブロックを拡大しようとしていたからだ。

ケナンは次のように不満を表していた。

「冷戦の終結がもたらした希望に満ちた可能性があったにもかかわらず、東西の関係は、起こりそうもない将来の軍事衝突の際は、誰が誰と同盟を結ぶかという議論をされ進められている」

つまり、西側が穏やかに物事を進めておれば、ロシアと西側は比較的調和した形で共存する方法を見出していたはずであると、ケナンは考えていた。

しかし、一国覇権主義のワシントンのタカ派の連中は、世界中の権力を全て手中におさめることに躍起になっているので、ロシア人とヨーロッパ人が仲良く協力しあうことは許せない。

ケナンの警鐘は続く。

ロシアから見れば、NATOの拡張主義を「軍事的な共犯関係」として受け入れざるを得なくなり、「自分たちの安全で希望に満ちた未来の保証」を他所に求めざるを得なくなる。

しかし、このケナンの警告が聞き入れられなかったのは言うまでもない。

1999年3月12日、地政学の権威で究極のロシア嫌いであるブレジンスキーの信奉者であるオルブライト米国務長官は、旧ワルシャワ条約機構のポーランド、ハンガリー、チェコを正式にNATOに迎え入れてしまった。

1949年以来、NATOは当初の12カ国から30カ国に増え、そのうちロシアと国境を接するエストニアとラトビアの2カ国は、過去に大規模なNATO軍事演習の場となったことがある。

アメリカがケナンの忠告を守っていたら、ロシアと西側諸国の関係はどうなっていたかは分からないが、モスクワとNATOの対立の中心となっているウクライナをめぐる地域紛争の崖っぷちに立たされていないことは確かだろう。

NATOの軍備がロシア国境に向かって容赦なく移動し続けていることに、ロシアが自国の安全保障に対して危険を感じるのは当たり前だ。

15年前のミュンヘン安全保障会議では、プーチンが出席者にこう語っている。

「NATOの拡大は、同盟国自体の近代化やヨーロッパの安全保障とは何の関係もないことは明らかだろう。それどころか、相互信頼のレベルを低下させる深刻な挑発行為である。そして、この拡張は誰に対するものなのかを問う権利がある。」

さらに、アメリカを始め西側諸国が理解しなければならないのは、ロシアはもはや20年前のような貧しく困窮した国ではないということである。ロシアは自国の脅威を認識し、それに対処する能力を持っている。

ワシントンが野望と欲に躍起にならず、ケナンの現実的なビジョンを受け入れていれば、今日のような危険な岐路に世界は立たなかったであろうことは、日を追うごとに明らかになりつつある。

アメリカのロシア外交への批判

ケナンはまた、アメリカが行う対ロシア外交のやり方を批判していた。

彼に言わせれば、

アメリカは自分が好きなイメージに合わせて、ロシアの伝統や歴史や文化を無視して、ロシアという国を根本的に作り替えようとしている。それは正におごったやり方だ。アメリカ人は自分達は他の国民より偉いと思っているから、他の国の政治制度、社会制度、歴史解釈を自分達に都合の良いように変えようとする。

アメリカに都合の良いロシアを作りたいがために、NATOを東側に拡張して、ロシアを追い詰めるようなやり方をしたら、ロシアは必ず反米で反西洋国家に傾いていくからやってはいけない。

彼の考察は続く。

ロシア民族とロシアの周辺国の関係において、どこに国境線を引くかという課題はは最も難しくてもっとも扱いにくいものだ。なぜならロシア民族と周辺国の諸民族の間で正しい国境線というのは存在しないからだ。過去1000年にわたって、ロシアやその周辺国に住んでいる人たちは、毎世紀のように民族移動をし、国境線が動いていた。民族移動を何度もやり、数世紀ごとにそこに住んでいる民族が変わってしまうから、どこの民族がどこに定住していたかというのを確定するのは非常に困難だ。

そこに住んでいるロシア人でさえ、ロシアとウクライナの国境線をどこに引いたら良いかということは決められない。当事者でも分からない問題を、ましてやアメリカ人が「ここに国境線を引いた方が良い」とか「ここの国境線は守るべきだ」とかそいういう余計なアドバイスをするべきではない。住んでいる人さえわからないのに、アメリカ人が口を出すなど、とんでもないことだ。

政治制度に関しても、ロシア人は過去1000年間の歴史で、彼らなりの政治統治の知恵というのを得てきた。それはアメリカ人が考えている政治思想や統治方法とは全く別のものだ。

たとえ、ロシア人が民主主義を採用したとしても、それはアメリカ人が考えているような民主主義とは似ても似つかないものになるだろう。アメリカは、アメリカの政治体制を他の諸国が真似するか否かによって、その諸国に対して偏見を持ったり、下に見たりということをするべきでない。そうすると逆効果になる。それがアメリカ的なものでなくても、つべこべと文句や説教を言うべきでない。

何十年も前に撒かれていた戦いの種

今回のロシア侵攻を受け、少し掘り下げて見られている人は2014年のマイダンクーデターが一因であったと考察しているだろう。それも間違いではないが、実はこの戦争の種はもっと前の段階から撒かれていたということだ。

NATOというのは事実上、アメリカが主導的な力を持つ。その軍事機構が、ソ連時代には緩衝地帯として置いていた東方の国々をジリジリと仲間に入れていき、最後、ここだけは絶対に譲れないとプーチン側が何度も言っていた「ウクライナ」にまで手をかけ始めた。

しかも、緊張体制の中、ドイツとフランスが仲介役となって行った「ミンスク合意」はなかったことのようにされた。これに関してはメルケル元首相が「あの合意はロシアを騙すためのもので、履行するつもりはなく、時間稼ぎのものだった。」と漏らしている。

時間稼ぎというのは、つまりミンスク合意の時は、ロシアと戦う準備がまだ整っておらず、ウクライナをアメリカの手で軍事主導し、ロシアと戦える国にするにはもう少し時間を要したからだ。

『日本にはチャイナの脅威があるのだからアメリカに追随してウクライナ支援すべきだ』という説が多い様だが、この戦争で誰が一番得をしているのかを考えた方がよい。

チャイナだ。

チャイナはロシアがどの様に戦い、そして西側がどのように戦っているか、虎視眈々と観察している。そしてアメリカがウクライナに戦いを続けさせることで、この戦争が長引くことを願っている。長引けば長引くほど、ロシアはチャイナに近づかざるを得なくなる。人々の目がヨーロッパに釘付けになる。最大の敵国であるアメリカは国家予算を湯水のようにウクライナに注ぐ。そしてアメリカの軍事力や国家としての力は弱まっていく。こんな好都合なことはない。

実際、ブリンケンが

「アメリカがアフガニスタンから撤退していなければ、ウクライナを助けることはできなかった。」

と迂闊にも言ってしまった。

これは失言と言える。なぜならその発言は

「今、チャイナが台湾に侵攻してもアメリカには戦う力がない」

という事実を言わずとして露呈していることになるからだ。

日本人はチャイナが日本に侵攻することになれば助けてくれるのだから、アメリカ側についておくべきと甘い考えでいるかもしれないが、アメリカは核を持つチャイナと絶対に戦争はしない。

やるとしたら、日本をウクライナの様な状態にして、日本とチャイナを戦わせることだろう。

日本がやるべきことは戦争を抑止するための核武装であるのに、その様な議論は上がらず、上がっても潰される。その代わりに日本が軍備予算を上げ、アメリカから武器を買うことは絶賛、応援するのだ。

日本がお花畑であるのは確実に事実だし、自前の国防が必要なのも事実だ。

しかし、今、日本が進んでいる道はウクライナの二の舞にしか見えない。


アメリカ外交50年 /岩波書店/ジョージ・フロスト・ケナン

【今回は『ウクライナの二の舞になる国』について語っていきました。

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