広島サミット:有意義なものになるのか?
議論に上がらない核武装
先の記事(「ウクライナの二の舞になる国」)で日本では安全保障としての核武装の議論がまったく上がらないことへの危機感を書いた。
戦後、核武装を表立って主張していた政治家はただひとり。故中川昭一さんだったのではないだろうか。
彼は生前、「アメリカに殺されないように気をつけようぜ」と親しい友人に笑い話のように語っていたらしいが、その彼が”不審な死”を遂げてから、早何年経ったのだろうか。中川さんを同志とし、仲も良かった安倍総理もあんな形でこの世を去ってしまった。
後を引き継いだ現在の総理はどうだろうか。自分の意見を持たず、周りが言いたいことを言わされているだけの様子を「腹話術の人形のようだ」と表現されている。
本当にそうだ。
バイデンとやっと話をしたかと思えば、上げた軍事費を使ってアメリカから武器を買う話。アメリカに来たかと思えば、
「バイデン大統領自ら、ホワイトハウスから出てきて歓迎してくださった。二人で話をする機会もあり、厚遇して頂いた。」
などと嬉しそうに記者に話す始末、、
こんな日本としての主体性もなく、強いものに言いなりになるだけの主導者を持った日本は一体、どうなるのだろうか。
2023年の広島サミット
岸田総理といえば、故郷の広島で今年の5月に広島サミットを開くと嬉しそうに意気込んでおられれるようだ。これだけで大体、予想がつきそうなものだが、日本は「核廃絶に向かって進む!」と実際に落とした国と約束と固くすることになるのだろう。
更にはオバマ大統領がそうであったように、広島で演説することでノーベル平和賞を期待しているのではあるまいなと苦い思いで見ている。
思えば広島をアメリカ大統領として初めて訪れたのはオバマ大統領だった。あの時のマスコミの茶番劇は、実情を知っているものからしたら怒り心頭するものだった。
あの時、マスコミはオバマ大統領と被爆者の男性が抱き合う姿をこれでもかと報じ、まるでオバマが核廃絶に向けて協力的な指導者であるかのような印象操作をしていた。しかし、あの大統領はあの裏でアメリカの核攻撃にかける1兆円もの予算を通してから訪日したなどと、どのマスコミも報じる訳はなかった。
広島・長崎で被害に遭われた方々には心から哀悼の意を捧げているが、その方々が日本が二度とあの様な恐ろしいことをされないように強い国になることを妨げることに利用されてきた経緯を思うと心が痛い。
あんなことは日本人の誰も再び起こって欲しくないことは共通の認識だろう。
しかし、恐ろしいことをされ過ぎてか、その後の高度成長がその痛みを早く取ってしまったのか、日本はあの過去から目を背け続けてきたように見える。水に流す国民性も相乗して、自分達が落とされた側であるのに「核のない世の中を作ろう!」と呪文のように唱えている。
この広島サミットのことを考えていたら、私も何度も訪れている原爆資料館の中の資料のことを思い出した。
日本人は「戦争末期でなかなか降伏しない日本に対して、アメリカは自国の兵の損失を避けるために仕方なく落とした。」と学校で教わる。
とんでもない嘘だ。
この原爆は日本がはめられた形で戦争に突入した初期から既に計画されていたのだ。
表向きの目標は
軍事施設の大規模破壊
だったはずだ。
しかし、19944年の9月の段階で、目標が
市街地を狙った人間の体力殺戮
に変わっていた。
そしてこの「人間」というのは、もちろん
日本人だ。
これは原爆投下の1年以上前の1944年9月時点ですでに交わされていた約束だった。ニューヨークのハイドパークで行われた米英首相は他国には極秘で会談しており、その話し合われた内容の覚書が残っている。
その一部が以下だが、注目すべきは、赤字にした部分だ。
”...when a "bomb" is finally available, it might perhaps, after mature consideration, be used against the Japanese, who should be warned that this bombardment will be repeated until they surrender...."
(最終的に「爆弾」(原爆のこと)が利用できるようになれば、熟慮の上、日本人に対して使用することになるだろう。そして日本人は、彼らが降伏するまでこの砲撃が繰り返されるということを警告されるべきだ。)
原爆投下への道程 認知症とル-ズベルト /芙蓉書房出版/本多巍耀
(この本のp.435-436「追補18」に原文全文と日本語訳全文が掲載されている.)
この書状にはフランクリン・ルーズベルトとチャーチルのサインが入っている。
はっきりと「日本人」に使用すると、そして、我々日本人が降伏するまでやり続けると1944年の段階で覚書をされている。
問題は、日本に落とされた二発の種類の違う原爆は、「日本が思いの外強く、なかなか降参しないから仕方なく戦争集結のために落とさざるを得なかった」という我々が教えられてきたストーリーとは全く異なり、始めから「日本人(しかも一般人)」の殺戮を目標にされて作成が計画されていたということだ。
しかも、この覚書の原文と翻訳文には、はっきりと「日本人」を目的と書いてあるにも関わらず、広島の平和記念資料館のこの覚書の展示解説では「日本」と国名に変えられている。
これは何故なのだろうか。
単なる間違いとは到底、考えられない。
こんな小細工までされて、多くの日本人の子供たちは毎年、学校から広島へ行かされ、
「われわれ日本人が悪かったから原爆が落とされたのです。我々の自業自得です。過ちは繰り返してはなりませんよ。」
と教えられている。
なんと悲しいことか。
追い詰められて戦いに駆り出された日本は、大きな戦略にはめられ、国中を焼き払われ、核爆弾まで二発も落とされ、占領され、憲法まで勝手に書き換えられて今に至っている。
全てわれわれが悪かったらしい。
とんでもない話だ。
これから日本を背負う子供たちには、この世界の腹黒さをしっかり知って欲しいし、何よりもこんな国々と戦うために、そして何より大切な日本と家族を守るために多くの先人たちは命を賭して正々堂々と戦ったということをしっかり学んで欲しい。
【今回は『広島サミット:有意義なものになるのか?』について語っていきました。
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