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ご縁はどこに落ちているかわからないから面白い

と、ぼくは思っています。

糸を紡ぐと出来上がるもの

中学当時勉強が苦手だったぼくが、
それでも通ってみたいなと思って入った高校の交換留学制度をきっかけに、大学進学への道を開いてくれたり、

大学1年のちょうど今の時期、それまで片道約2時間の道のりを欠かさず通っていた大学をなんとなくサボって、定期区間内の途中駅を降りて立ち寄った場所が、

今の活動に繋がり、誇張でなく一生の友人と呼べる仲間たちとの出会いになっていたり、

大学の所在地がそこだったからと、神田という長く濃い歴史とディープな人々のあるまちに関わるきっかけとなり、

今の僕の活動の前身ともいえる学生団体を結成してみたり、

赤ちょうちんのある店で“のみにけーしょん”を覚えたり、日本三大祭といわれる神田祭で神輿を担ぐ喜びを学んだり。

引越しのバイトでたまたま同じシフトだった人から予備自衛官制度のことを聞いて、大学卒業後のカナダ留学経験が引き金となって入隊することに至ったり、

地元(茨城県)へのUターンを考えているときに、地方とは縁遠い東京の六本木で将来の地方創生大臣と勝手に思っている齋藤潤一さんや茨城移住計画の発起人菅原広豊さんと出会ったり、

思い切ってUターンをしてみると、イバフォルニアプロジェクトという最高にクールで熱量のあるチームの仲間に入れてもらえたり、

紹介してもらった茨城県北ローカルベンチャースクール(LVS)に入ってみると、茨城から溢れ出すほどの情熱と魅力を持ったメンバーやLVS卒業生と切磋琢磨できる環境だったり、

そのLVSでフィールドワークとして立ち寄った県最北西部の大子町という、町内の約80%が山岳地帯で、人口は1万6000人を切り、高齢化率45%越えという日本の将来を地で行く未来都市に出会え、そこが今住んでいる地域となったり....。


ここに書ききれないくらい大小・色も形も様々なご縁でぼくの人生が出来ています。


張るのは枝葉かアンテナか

紡がれたご縁という糸を、一本一本解いていったら

その中にあるものは空っぽなんじゃないかと不安になるくらい

無数のご縁でぼくが形づくられていると感じています。


ご縁というのは捉えどころのない不思議なもので

むこうからやってくることもあれば、

自分から紡ぎにゆくこともあり、

僅かな糸を、丁寧に紡ぎ続けて太く、篤くすることも出来れば、

一瞬で断ち切ることも出来る、

そんな温かくも、とてももろくて儚いものです。

そんな目に見えない存在だからこそ、自分にご縁がひっかっかるように、

フックを多く用意していたい。

それは、自分の視野を広く持ち続ける、という意味でもあるし、

ゆがんだ色眼鏡をかけないという意味でもあるし、

安全地帯に居続けないという意味でもあるし、

こんなものだろうと安易に妥協しないという意味でもある。

人と出会うことに臆病にならないという意味でもあるし、

本をたくさん読んで色々な知識をつけようという意味でもある。

好奇心と向上心を持ち続けるという意味でもあるし、

何より、自分自身を見失わないようにするという意味で

自戒を込めて書き連ねておく。


よく人は「アンテナを張れ」といったりするけれど、

ぼくは、「自分」という「幹」から

ご縁という栄養素を得るための枝葉を伸ばすというイメージを持っています。

枝葉から栄養を取り入れ、

しっかりとした自分の根を張る。

栄養を取り入れることを忘れた木が、スカスカで折れやすく、枯れてしまうように

その歩みを止めることは死活問題。


変化のない同じのことばかりを「枯れた木」にはなりたいくないなぁとこれまた自戒の念を込めて。


そうして紡がれた一本の木が、

人に心地よい木陰をつくったり、

嵐の時に誰かが寄りかかれる安心感になったり、

止まり木になったり。

根を張ったその土地にわずかな緑を足すことが出来て

最後は次世代のために切り倒されて燃料や材料になる。

そうなるんじゃないかな。


ということで、今回は人生を木に喩えて考えてみました。






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