見出し画像

本の国① King's Bag

「キング、ダメですよ。こんなところに勝手に来てしまっては」

甲冑を身にまとったある男は、煌びやかな服装をした男の腕を掴んで、息を切らしながら、そう話した。しばらく走り回っていたのであろうか、ひざが少し震え、ぜぇぜぇとした息は落ち着きをなかなか取り戻さない。

「その名で呼ぶのは辞めてくれないか、なんだかむず痒いんだ。いいじゃないか、たまには外に出たって。俺がずっとあそこにいたって仕方がないだろう? 特に何をやる訳でもないんだ。いたっていなくたってそう変わるものではないだろうに」

呼び止められた男は、眉を八の字にしながら男の手を振りほどこうとする。

「そういう訳にもいきません、あなた様は昨日より、この国の王となったのですから」

***

煌びやかな服を着た男――ブルーニは、この国――ヒノクニの王子であった。そして昨日、国王の崩御に合わせて、王となった。ヒノクニは、人口3.7万人の小国家だ。国土はそう広くなく、天狗の鼻のように細長い形をしているのが特徴で、農業と漁業が盛んな国である。

ブルーニは、前国王のたった一人の子どもだった。国王は世襲制であるため、前国王の崩御に伴い、若干17歳にして国王という肩書を与えられるようになったのだ。

「そういう訳で、私は本日からあなた様のことはキングとお呼びいたしますし、こうして外に出ていることも、咎めない訳にはいかないのです。わかってください」

ようやく息遣いが落ち着いた甲冑の男――ルナルドは、振りほどかれてしまいそうになっていた手にぐっと力を入れ、ブルーニの眉をさらに下げさせた。

「痛いって!!わかった、わかったよ!!戻ればいいんだろう、王宮に」

身を引き、ルナルドの大きな手を引き離したブルーニは、不満そうな顔を続けたまま、王宮の方向へと体を向けた。

「まったく、ついこの間までは『あまり遠くまでにはいかないように』としか言わなかったくせに」

「あのころとは状況が変わったのです。私はあなたが生まれてきたころからずっと、あなたのボディガードなのですから。ようやくあなたが王になったというのに、すぐに問題を起こされるようでは、私の顔が立ちません。さぁ、戻りますよ。王妃も心配しておられます」

安堵の表情を浮かべ、王宮へと歩みを進めるたルナルドを見て「少し悪いことをしたかもな」と感じたブルーニであったが、その足はまだ動いていなかった。

「なぁ、ルナルド。ちょっとお願いがあるんだが……」

「まったく、今度はなんですか、キング」

「だからやめろって、その呼び方は。前みたいに、『ブルーニ様~(裏声)』の方がしっくりくるんだ」

「私はそんなに呆けた声であなた様をお呼びしたことはございませんが。いったいなんだというのです。すぐに王宮に帰らねば王妃様が……」

「俺はな、ただなんとなく街に出たという訳ではないのだ。ちょと食べたいものがあってな」

「キングがお召し上がりになりたいもの、ですか。そんなもの、今教えて頂ければ夕食の時間にてご用意できるというのに。小腹がお好きですか? であれば王宮に……」

「いやいや、あそこでは食べられないものなんだよ。以前、お前に行った時だってダメと言われた」

「なんと、そのようなことが。果たしてそれは? 」

「シサルだよ、シサル」

「……!! あんなゲテモノ! あんな物はキングともあろう方が食べるような代物ではございません! そもそも王宮にはもっとお口に合うものが……」

「あー、もうお前は王宮王宮うるさいな! 俺はシサルが食べたいと言っているんだ! 本でしか見たことのないそれを、一度口にしてみたいのだ! だいたい、『あんなゲテモノ』って言ったって、見てみろ、すぐそこにだって売られているだろ! 現にさっき見た男はそれを食べていた! 市民の食を知らずに、何が王だ! ルナルド、王の命令だ。今すぐ俺にシサルを持ってこい」

「しかし、あんなゲテモノ」

「持ってきてくれさえすれば、俺はまっすぐ王宮に帰る。それでいいだろうが」

「うぅ……。そこまで言うのなら、仕方がありません。食べて後悔なされるように」

ルナルドはしぶしぶ、シサルの売店へ歩いていき、銅貨3枚を渡して、串に刺された黒色の昆虫を手にし、ブルーニの元へと戻った。

「買ってきたはいいのですが、本当に、お召し上がりになるのでしょうか、キング……」

「あ、あぁ。一度食べてみたかったんだ。でも、想像以上になんというか、これは……」

「えぇ、ゲテモノです。先ほど、これを食べていたという男がいたと言いましたが、これは……」

「ええい、モノは試しだ。食べる! 」

バギッ、ボキボキ、クチュ、ゴリゴリ、ゴリゴリ、ゴリゴリ……

「うぇえええええええええええええええええええええええええええ!!!」

ブルーニは近くにあった噴水に“戻した”。朝に食べたサンドイッチと一緒に。人生最大級に。

「だから言ったでしょう……! そもそもシサルは、食用というよりは、漢方の類! 好んで食べるものなど……」

「う、うまい」

「嘘をおっしゃいますな!!!!! 」

ブルーニが“戻した”街のシンボルである噴水――それは前王の就任に合わせて作られた由緒正しいものであった――はその日以来、「キングズバッグ」(王の「ゲロ」袋)と呼ばれるようになった。