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爆笑問題 太田光はなぜ嫌われるのか?(仮)

右からも左からも嫌われる太田光

第二次安倍政権以降、世論は「親安倍」と「反アベ」に二極化した。
太田光は基本「反アベ」に分類され、「親安倍」から嫌われている。では「反アベ」からは好かれているかと言うと、そうでもなく、基本「反アベ」なのだが「でも○○なんだよなぁ」と「反アベ」が嫌がる事、「親安倍」が喜ぶことを口走るので太田は「反アベ」からも嫌われている。
つまり太田は全方位から嫌われている。

太田の行動パターンを読み解く

世の中は複雑で「正しい命題A」と「正しい命題B」が両立しえないバッティングを起こすことがある。その時、人はどちらか一方を優先させ、例えば「正しい命題A」を選択するのだが、このAを選んだ人に対して「正しい命題B」の重要さを説き「Aも大事なんだけど、Bも大事なんだよなぁ」と相手を非難するのが太田の行動パターンの一つである。

もう少しわかりやすく具体的な例を挙げると、水深1メートルの池で3歳児が溺れているのを見たら、普通の大人は助けようと思うだろう。「溺れている子供を助ける」は正しい命題である。
ところが、その溺れている子と自分の間には高さ1.5メートルのフェンスがあり、そのフェンスには「進入禁止、許可なくこのフェンス内に立ち入った者は、○○法××条により懲役2年または罰金50万円の刑に処される可能性があります」と書かれている。「法律を守る」は正しい命題である。

フェンスを乗り越えて子供を助けると法律を破ることになり
法律を守ると、助けられる子供を見殺しにすることになる。
『「正しい命題A」と「正しい命題B」が両立しえないバッティングを起こしている。』とはこのような状態の事である。

あなたならどちらを選ぶだろう? 中には法律よりも目の前の人命を重視して「子供を助ける」を選択しフェンスを乗り越えようとする人もいるだろう。その時、その背中に向かって「いや、それは駄目なんだよ。それは法律違反なんだって。法律は守んなきゃさぁ」とネチネチ嫌味を言うのが太田光のパターンなのである。ご理解いただけただろうか?

ここで重要なのは太田光は間違っているわけでも、デタラメなわけでもなく「正しい事を言っている」点である。おそらく彼には「Aを選んだ人はBを軽視したわけではなく、Bの正しさも重要さも理解したうえで、それでもAを選んだのだ」というのが理解できない、もしくは許容できないのだ。
言うなれば彼はおそらく「すべての正しい命題は須らく守られるべきである」という信条の一種の理想主義者・純粋主義者なのである。

本当に怖いのは

#太田光をテレビに出すな がTwitterでトレンド入りするなどしていたが、私はそうは思わない。みんなが前のめりになり視野が狭くなっている時に二三歩ひいたポジションから人々が嫌がることを言う「嫌われ者の太田光」はテレビに出続けていいと思う。
私からすれば「好かれよう」とか「人気者になろう」とか一切考えていない「嫌われ者」の太田さんは怖くない。
本当に怖いのはTV/ネットなどで「怒りや憎しみや差別を煽って人気者になろうとする人」である。
たとえば一昔前の安倍晋三や橋下徹などがそれだった。彼らは怒りや憎しみや差別を煽って人気者になり、片や総理に片や知事になった。
日本人が怒り・憎しみ・差別の感情を抱く対象は中国・韓国・北朝鮮だけではなく、在日・在留外国人・犯罪者・公務員・沖縄・NHK・リベラル・フェミニストなどなど様々だ。今日、TV/ネットの世界の中では有象無象の「人気者」たちが跋扈している。社会は人気の無い「嫌われ者」に対してではなく、「人気者の扇情主義者」「人気者の放火魔的な扇動者」にこそ注意するべきだ。

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